第6話 決闘の行方
「……魔術を、使うな?」
決闘から時は遡り、一週間前――。
早朝の道場。一連の鍛練を終えてから、シュウとレリアは道場で相対して座っていた。シュウが告げたその言葉に、レリアは目を丸くする。
ん、と胡坐をかいたシュウは頷きながら、彼女を真っ直ぐ見つめる。
「魔術が得意なレリアには申し訳ないが、そういう戦術を勧める」
「ん……いえ、言わんとしていることは理解しています」
彼女は唇を噛みながら指を持ち上げる。虚空をふわりと指を描く――それに像を結ぶのに数秒。そしてさらにそれが輝きを放つのに数秒。
そして完成した魔法陣を眺め、彼女はため息をこぼす。
「さまざまな魔術式を研究してきましたが、構築するのはどうにも……その、本職の方々に比べればどうしても劣ります」
「に、しても早い方だとは思うがな」
普通の生徒なら十秒程度かかってしまうが、彼女はそれよりも早い。鍛練を積めば、さらに早く術式を構築できるようになるだろう。
「ま、どちらにしてもアズールには十中八九後れを取るだろう。彼女は軍用魔術のエリートだ。将来を嘱望されている人材でもある」
恐らく、そのことはアズールも見切っている。
だからこそ、初撃は必ず魔術で来る。その物量でかなり押し切ろうとするはずだ。だからといって、レリアの構築速度では叶わない、
「だから、魔術を使わずに戦う。最初のうちは、必ず」
「……では、剣術で?」
「そういうことになる」
シュウの言葉にレリアは不安そうに瞳を揺らす。やがてぽつりと絞り出すように訊ねる。
「……勝てます、か。私はまだ、お師匠様に弟子入りして一か月足らずです」
「もちろん、真っ向勝負なら無理だ。一朝一夕で差が詰まるほど、剣術は甘くない」
シュウははっきりと断言しつつ、安心づけるように微笑みかける。
「だが、信じてくれ。必ず、レリアを勝たせてみせる」
レリアはシュウの瞳をじっと見つめ返していたが、やがてふっとその真紅の瞳を緩め、小さく笑みをこぼす。
「……もちろんです。お師匠様を、信じます」
「ありがとう。なら早速、稽古をする。立て」
「はい」
二人は立ち上がり、向き合う。そのままシュウは木刀を構え、一つ息をつく。
「では、レリア……まず、最初の稽古だが」
「はい」
「俺の攻撃を、全て躱してみろ」
「……え?」
回想からレリアは意識を戻す――その横を掠めるように、紫電が飛んだ。
(いけない、考え事をして……危ない、危ない)
今は、アズールとの決闘中なのだ。
レリアは息を整えながら、横にひらりと跳ぶ。そこへ駆け抜ける無数の紫電。ひりつくような殺気だが、彼女は目を細めて冷静に見切って躱す。
アズールは次々と魔術式を構築し、次々に紫電を放ち続ける。
紫電は、まさしく光の速さだ。術式の起動とほぼ同時に、空間を駆け抜けている。見てから避けるのは、はてしなく難しい。
だからこそ、アズールは次々にその術式で畳みかけているのだろう。
だが、レリアはそれを一発も受けることなく、冷静に全てを避けていく。
(お師匠様の拳に比べたら、欠伸が出るくらいかな……)
一週間続いた、厳しい訓練を思い出す。シュウが繰り出す拳をひたすら避ける訓練。だが、最初はひたすらに肩や腕を小突かれた。殴る、というよりは拳で叩く程度の衝撃。それをレリアは避けられず、ひたすらに受け続ける。
それを避けようと懸命に研鑽を積み――ふと、見えてくるものがあった。
(人は攻撃しようとする瞬間、そこに意識を向ける――)
剣で頭を狙うなら頭に、胴なら胴体に意識を、視線を向けるのだ。
それを感じ取ることができたのなら、その意識の向けられた場所から避ければいい。レリアはそれに気づいて鍛練を積み重ねる。
シュウの拳は素早かった。意識が肩に飛んだ、と思った頃にはすでに殴られているのである。その意識を感じ取ったとき、すでに行動していなければ間に合わない。
それに比べれば、アズールの魔術は生ぬるい。
(狙いを定めて、紫電が放たれるのに三秒――)
その三秒があれば余裕をもって回避することができる。
レリアはひらり、ひらりとステップを踏んで紫電を躱していく。来る場所は、分かり切っているのだ。彼女は冷静に立ち回りながら、アズールを見る。
間断なく雷光を放つアズールは、落ち着いて攻撃を繰り返す。だが、魔術式の構築をさらに加速し、狙いがわずかに散漫になっている。
決定打が取れず、焦りを滲ませる――だが、同じ魔術一辺倒。
戦術を変えない……いや、変えることができないのだ。
(アズールさんは軍用魔術しか使わない……手札が、少なすぎるから)
精々、切り替えたところで炎や氷の魔術。だが、雷撃の魔術と比べて炎や氷は着弾までに時間がかかる。それで隙を与えるのを嫌っているのだろう。
だが、その雷撃も全てレリアは全て躱し切っている……そうなれば。
(……来る)
不意に、アズールの意識が切り替わる。それと共に宙を描いていた右手は素早く自分の腰に向けられる。そして、佩いていた木刀がすらりと抜き放たれた。
(お師匠様の予見通り、剣術で勝負を挑んでくる)
ごくり、と唾を呑み込みながら、レリアもまた木刀を抜く。そのまま、正眼に構える。アズールは魔術を完全に捨て、意識を剣術に向ける。
アズールの表情は、無。何も感情を見せず、無表情で淡々と踏み込む。
じり、と距離が詰まる。それと高まる殺気に、レリアは息が止まりそうになる。人を殺すような目つきで睨みつけられ、身が竦みそうになり、膝の震えが今にも込み上げてきそうだ。
これが、立ち合い。真剣勝負。剣術の、ぶつかり合い。
(……これ、で、本当に勝てる、の……?)
『大丈夫だ。レリア』
弱気になった心にふわり、と何か温かいものが触れてきた気がした。
背中に感じる。温かくも力強く見守ってくれている、頼りになる存在。
もう十分に見知っている、師匠の気迫が背中に手を添えるように励ましてくる。
それを感じた瞬間、レリアの心が定まっていく。脳裏に、彼の言葉が蘇る。
『剣術にもつれ込んだら、勝とうと思う必要はない』
『負けるな。ただ、負けなければいい』
『そこで、必勝の形に持っていくんだ』
繰り返した一週間の訓練。そこでシュウに叩き込まれたのは二つ。
一つは先ほど繰り返した、攻撃をひたすら避ける訓練。
そしてもう一つは――必勝の、形。
その形を作り出すためにシュウを相手に、何度も木刀をぶつけ合わせた。
(そう、ですよね。お師匠様……)
レリアはふぅ、と深呼吸。相手の殺気を受け止めるように柔らかく木刀を正眼に構える。そして、落ち着きを取り戻しながらアズールを見る。
シュウとそっくりの構えで距離を詰めるアズール。
その影が、シュウの動きと重なって見えてくる。どう来るかが、分かる。
瞬間、アズールの爪先にわずかに力がかかったのが見えた。
(来る)
右肩を狙った突き。それを直感し、レリアの身体は動いていた。
踏み込みと同時に合わせたアズールの突き。レリアは木刀を合わせ、横に受け流す。擦れた木刀が微かに軋みを上げて脇をすり抜ける。
攻撃を外したアズールは微かに目を見開きながらも、すぐに木刀を引き戻す。
ひらりと持ち上げられた木刀は上段。頭を狙うように刃を向ける。
だが、その重心は前ではなく、後ろ。
(引き胴の一撃を、狙ってくる)
考えるよりも早く身体は動いている。レリアは逆に一歩距離を詰めながら、木刀を振り上げる。その牽制の動きにアズールは上段の木刀を防御に動かす。
二人の木刀が頭上でぶつかり合い、乾いた音を奏でて鍔迫り合いへ。そのアズールの目から気迫が激しく飛び、全身に力が込められる。
(押し切ろうとする――)
膂力では、叶わない。だから受け流すようにレリアは横に身体を逸らす。満身の力を込めたアズールはそれにいなされて体勢を崩す。
体勢を崩した彼女はそのまま、素早く距離を取るように地を蹴って離れる。
だが、レリアは追撃しない。勝とうとせず、落ち着いて守りを固める。
(勝ちの目が出てもそれで勝てるかは博打。だから、必勝の形を待つ)
師匠の言っていたことを忠実に守る。レリアは息を整えながら防御に徹する。
そのレリアの態度に、終始余裕を保って無表情だったアズールに、わずかに苛立ちが滲む。切っ先がわずかにゆらりと揺れる。
シュウの動きにはない、わずかな隙が生まれ始めている。
『冷静を欠いた瞬間を見て取ったら、気をつけろ。来る一撃は、重い。それは必ず避けずに、防御するんだ』
シュウの言葉が脳裏に過ぎる。瞬間、アズールの殺気が跳ね上がる。
刺すような気迫と共に踏み込む。直後、まるで時が飛んだかのように、目の前にアズールの木刀が迫っていた。
(……っ!)
辛うじてレリアの防御が間に合う。正眼の姿勢でその一撃を受け止めるが、こじ開けるようにアズールの全身に力が込められ、木刀が薙ぎ払われる。
「く……っ!」
膂力も、技術も、体力もないレリアにその一撃を防ぐのは難しい。
それでも辛うじて後ろに跳びながらレリアはそれを防ぐ。だが、その体勢は大きく崩れている。構えも取れず、辛うじて木刀を正眼に据え置いているだけ。
隙だらけのレリアに向け、アズールは地を蹴る。
アズールは上段に木刀を構え、トドメの一撃を繰り出そうと地を踏み込む。
レリアは直感する――このままだと、負ける。
形だけ構えたレリアの防御をその峻烈な一撃が薙ぎ払い、返す刃で負ける。その光景がありありと目の前に浮かぶ。それに彼女は奥歯を噛みしめる。
(まさか……ここまで……)
迫るのは、防御をはぎ取る一撃。レリアはそれを見据えながら、木刀を構え。
(お師匠様の、読み通りだったとは)
その木刀を、手放した。
「……ッ!」
アズールの木刀が空ぶり、その目を驚愕で大きく見開く。
レリアの木刀は手からこぼれ落ち、地面へ落ちていく。それにアズールの視線が引き寄せられる。視線は流れ、太刀筋は大きく乱れた。
つまりは――待ち望んだ、必勝の形。
ならば、あとは稽古通りに動くだけだった。
木刀を手放したレリアの指先が、くるりと中空で弧を描く。その指先が紡ぐのは小さな光の軌跡。だが、確かに力強く輝きを放つ、小さな魔法陣。
その大きさはアズールの描いてきたものよりもはるかに小さい。
放てたとしても、虫をも殺せない一撃だろう。
(だけど……この、必勝の形なら)
レリアは息を詰めながら一気に踏み込む。その指先がアズールの胸にわずかに触れる。直後、ばちり、と微かな衝撃が指先に響き渡った。
ほんの小さな紫電。わずかな紫電で恐らく、誰も見ることはできなかったはずだ。
一瞬、交錯した二人の影。馳せ違ったレリアは、肩で大きく息をつきながら振り返る。その瞬間、アズールはぐらりと体勢を崩し、力を失ったように地面へと崩れる。
その重たい音を最後に、しん、と静まり返ったように戦場に静寂が訪れ。
「勝負あり! レリア・ルマンドの勝利とする!」
直後、審判の鋭い声が青空へと響き渡っていた。
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