第3話 シュウの懸念

「しかし、遠征実習か……まさか、シュウと行くことになるとはね」

 場所を移してシュウの研究室。畳敷きの和室には学院長に呼び出された四人が集まっていた。囲んでいる座卓の上には、書類が広げられている。

 それを眺めながら感慨深げに声を上げたユーシスにシュウは肩を竦めて言う。

「人生何が起こるかいつも分からないさ。それよりユーシス」

「うん? なんだい?」

「悪いが、遠征実習について教えてくれるか?」

「ああ、うん、そうだね。みんな経験がないわけだし」

「聞いたことはあるんだけどな」

 シュウの言葉に、レリアは両手で湯呑を口に運びながら首を傾げる。

「アズールさんが行かれていたのも、遠征実習ですよね」

「その一環だね。遠征実習カリキュラムというのは、この学院内では身に着けることができない実習を学院外で学ぶ目的がある。たとえば、商業科は実際の商取引を見たり、農業科はある土地にしかない栽培方法を見に行く、とか」

「アズールの場合は、魔獣討伐、か」

 教え子の一人のことを思い出す。この前、一か月の間、学院から離れていたのはその遠征実習のせいだった。辺境で発生した魔獣の群れの退治だったらしい。

 そうでなくても、アズールはちょくちょく学院から離れている。

「ん、彼女は軍関係の研究室だからね。その研究室は頻繁に実習を行っているよ。魔獣退治とかは、学院では学べないからね」

「なるほど、学院では学ぶことができない、実戦や実習を行うのが『遠征実習』か」

 そうまとめると、レリアやイルゼはなるほど、と揃って一つ頷く。ユーシスもまた同意するように頷きながら、小さく苦笑いをこぼす。

「本当は研究室に所属して半年後くらいにやるのだけどね。僕もそのつもりで実習予定を組んでいたし……まぁ、それはさておき、今回、学院長から課された実習だけど……」

 ユーシスは視線を座卓の上に広げた書類に向けて解説を続ける。

「目的は『古代遺跡の探索』の遠征実習になる。といっても僕たちは探索がメインではなく、同行する史学科の人たちに危険が遭わないように護衛、支援することだね」

「なるほど、場所はいわゆる辺境……魔獣、魔物が行き交うあたりか」

「そうなるね。直に命のやり取りが行われる現場になるとは思うよ」

 その言葉にわずかにレリアとイルゼは顔を強張らせるが、それを安心させるようにユーシスは笑いかける。

「大丈夫。魔獣や魔物といっても、精々中型が限度。だから落ち着いて対応できれば問題なく撃退できるはずだよ。それに、シュウもいるからね」

「ま、これでも剣士だ。武働きはするさ」

「お、頼もしいねぇ。僕も負けないように頑張らないとな」

 気負わずに軽口を講師二人で交わし合う。その雰囲気に少しだけ安心したのか、イルゼは表情を少し緩めて訊ねる。

「えっと……ブラームス先生も、戦うのですか?」

「シュウの手に余るときはね。だけど、どちらかというと、僕は多分、後方支援になると思うよ。もちろん、モルグさんも」

「は、はい、了解しました」

「お師匠様、私はやはり、前線でしょうか」

 レリアは表情を引き締めながら、身体をシュウに向ける。彼はお茶で唇を湿らせると、ん、と軽く頷いて見せる。

「そうなる。戦いの空気を、実際に感じられるチャンスだからな」

「が、頑張ります」

 ぐっと拳を握りしめ、気合を露わにするレリア。だけど、その瞳はわずかに揺れ、不安が伝わってくる。彼女はきゅっと唇を引き結びながら、拳に視線を落とし。

 その拳を包み込むように、シュウは掌を載せた。

「あ……お師匠様」

「あまり気負わなくていい。レリア」

 視線を上げた彼女の目を見つめ、シュウは目を細めて言葉をつづけた。

「俺が絶対に、護るから」

「あ……」

 その言葉にレリアは大きく目を見開き、徐々にその頬が淡く朱に染まっていく。揺れていた瞳が定まり、わずかに熱を帯びて潤む。

 その真紅の瞳を見つめ返して、シュウは微笑みかけていると、横合いでぼそりと小さな声が微かに聞こえる。

「なんというか、仲睦まじいね」

「はい。最近、レリアはナカトミ先生のお話ししかしません」

「ん、シュウもルマンドさんの話しかしないね」

「こちらが恥ずかしくなるくらい、睦まじいです」

「僕たち、お邪魔かな?」

 そのからかうような声にシュウはため息をこぼすと、半眼を向けた。

「……ユーシス、あまりからかわないでくれ」

「イルゼも。私たちはあくまで師弟関係です」

「ふふ、そうだね。もう立派な師弟だ」

 ユーシスは笑みをこぼし、イルゼはこくこくと頷く。シュウは一つ吐息をこぼすと、湯呑を口に運んで一息つく。と、それを見計らったようにレリアは急須を持ち上げた。

「お師匠様、お茶のお代わりはいかがですか?」

「ん、ああ、ありがと。助かる」

 丁度、飲み終わったところだった。手に持ったまま差し出すと、レリアは自然な動作でお茶を注ぐ。それを見ていたイルゼは、あっ、と何か気づいたように小さく声を上げる。

「先生、すみません、それ冷めているやつ……」

「大丈夫だよ。イルゼ。お師匠様はこれくらいの温度が好きだから」

「というか、レリア、若干魔術で温め直しただろう? いい感じに」

「えへへ、バレていましたか」

「レリアならそうすると……そうしてくれると思ったから。ありがと」

「いえいえ、お粗末様です」

 そうやって口に運ぶお茶は熱すぎない、じんわりと舌に温もりが伝わってくるいい湯加減。さすが天才魔術師のレリアである。

 一方、ユーシスとイルゼは複雑そうに見やりながら小声でやり取りする。

「……というか、本当に師弟関係ですか?」

「ん……なんか違和感あるよね。呼吸が合い過ぎているというか」

 その言葉を聞いたシュウは視線を逸らしつつ、お茶を口に運ぶ。

(……ま、確かにそうかもな)

 今、やっていたことを思い直せば、常識や作法からかけ離れている。シュウは湯呑を座卓に置くことなく、手に持ったままだったが、心得たようにレリアは中空で丁寧にお茶を注いでくれた。湯加減の好みを熟知していることも然り、今までよりもずっと呼吸が合いつつある。

 何気なく視線をレリアに向けると、ふと視線が交わり合う。そのぴったりのタイミングになんだか胸がこそばゆい。

「……ま、師匠だからな」

「は、はい、弟子ですから」

 なんとなく視線を逸らすと、ユーシスとイルゼは生温かい視線を向けてくる。たまらず咳払いを一つ挟むと、シュウは強引に話を切り替えた。

「とにかくだ、遠征は今月末。それまでに準備は整えるぞ。不測の事態だけは避けないとならない」

「はい、お師匠様」

「ん、賛成。モルグさんも必要最低限はレクチャーする必要があるから、時間があるときに僕の研究室においで。いろいろ指導してあげる」

「は、はい! 光栄です……! 頑張ります!」

「うん、期待しているよ。それじゃあ……」

「と、待った、ユーシス」

 話を切り上げ、腰を上げようとするユーシスをシュウが呼び止めると、彼はわずかに首を傾げながら腰を下ろす。

「なんだい? まだ話すことあったかな」

「いや、別件だ。仕事のことで少しな」

 そう言いながら視線をさりげなくレリアに向けると、彼女は分かるか分からないかくらいに微かに小さく頷いてから腰を上げる。

「お師匠様、すみません、少々お花摘みに」

「あ、私も行くよ。レリア」

「ああ、行ってらっしゃい。二人とも」

 二人は研究室から出ていく。それを見届けてから、ユーシスは視線をシュウに戻した。

「……何か、気になることでもあるのかな」

「ああ、ちょっと彼女たち……特に、イルゼさんに聞かせるのは控えたくて」

「となると……まぁ、僕も気になっていることだろうね」

 やはり、ユーシスも気にかかっていたらしい。机に置いてある書類に指を載せてめくる。その中身に視線を通しながら言葉を続ける。

「向かう場所は調査され尽くした場所だし、何より急な話だ。学院長が頑張って人材を集めてくれたみたいだけど……急造である感じが否めないね」

「ああ、かなりきな臭い、と俺も思っている。だから、調べてもらいたい」

「そうだね。少なくとも、誰が発案したのか、その背景を調べてみるよ。何事もなければいいけど……」

 何事もなければ、弟子たちにとっては貴重な経験ができるはずだ。

 そうなるためにも、師匠たちが尽力しなければならないだろう。

(尤も、レリアは俺の心中も汲み取っていそうだけどな)

 あのアイコンタクトだけど、席を外してくれるあたり、もう彼女も薄々察してはいるのかもしれない。だが、その場に残ることはせずにシュウの意図に従った。

 それはシュウを信頼していることの裏返しなのだろう。

「……愛弟子に、恥ずかしいところを見せられないからな」

「そうだね。ただ、彼女もいるし、楽しい遠征になるんじゃないかな」

 ユーシスはにやりと笑みをこぼしながら、参加者名簿の一人の名を指先で叩く。それに目をやり、シュウは思わずげんなりとため息をつく。

「気づかないようにしていたんだから、指摘するなよ」

「意識している時点で気づいているよね? それ」

「……ま、そうだけどさ」

「別に構わないんじゃないかな? 彼女の腕が立つのは確かなんだし」

 ユーシスの愉快そうな声を聞きながら、シュウは机の上に置かれた書類を持ち上げる。そこに書かれた名前――『アズール・ラコト』の名を眺め、もう一度ため息をこぼすしかなかった。

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