第7話 焚火を囲んで
グリズリーの襲撃後、他の魔獣の襲撃はなく街道を順調に馬車は駆け抜けた。
山間の道もスムーズに通過し、山脈を越えた平原に到達。目的の古代遺跡まで近い場所まで来たところで、空は鮮やかな赤色に染まっていく。
一行はその手前でテントを張り、野宿をして明日に備えることとした。
とん、とん、とん、とん、と一定リズムで穏やかな音が響く。
仮設の作業台を前に、その音を奏でているレリアは視線を横に向ける。
「イルゼ、お塩を取ってくれる?」
「あ、うん、えっと……はい」
「ありがと。そしたらこれに塩を振って揉む、と」
「レリア、私がやるよ。お手伝いしかできないけど」
「ううん、助かる。じゃあ、私はこっちを……」
二人の少女が他の生徒と交じり、仲良く言葉を交わし合いながら、焚火の傍の作業台で丁寧に続けていくのは食事の下ごしらえ。エプロンをし、動きやすいように髪を一本に縛り、腕まくりをして手際よく準備を続けている。
その様子を少し離れた場所で見ているユーシスが目を細めて言う。
「ん、こういう光景はなんだか和むな」
「それは同意だが、手を動かせよ。ユーシス」
「はいはい、分かっているって」
シュウの声に倒木に腰かけていたユーシスは苦笑いを返す。彼がやっているのは山菜の下ごしらえ。近くで採ってきた山菜をてきぱきと皮をむき、水に浸していく。
「さすが薬草の栽培を研究しているだけはある」
「はは、マイナーな研究だから、魔術薬学の講師の中でも外様扱いだけどね。こういうときに目利きができるのは、重宝がられるよ」
「それはそうだ。おかげで今日のごはんが豪華になりそうだ。何か手伝うか?」
「ううん、それよりシュウは薪拾い係でしょう? こんなところで油を売っていていいのかな?」
「ああ、薪を作るのは一瞬だからな」
「え? 作る? 拾うんじゃなくて?」
きょとんとしたユーシスの腰かける倒木。それにシュウは歩み寄ると、腰から無造作に太刀を引き抜き、ひらりと一閃させた。
それを何度か繰り返すが、倒木に目立った変化は見られない。
ユーシスは眉を寄せていると、シュウは太刀を鞘に納め、軽く爪先でこつんと倒木を蹴った。直後、何の変哲もなかった倒木が、積み木を崩すかのようにがらがらと崩れた。
呆気に取られたユーシスに、シュウは軽く肩を竦めてみせた。
「な? これだけ薪があれば足りるだろう?」
「足りる……と、思うけど。そんなやり方で……」
「こっちの方が効率いいだろう? これでユーシスの手伝いもできるし」
「あ、はは……そうかもね。それじゃあ」
ユーシスは仕方なさそうに笑うと、山菜の入ったザルを取り上げ、シュウに手渡す。
「はいこれ。もう下処理は終わっているから、調理班に渡して手伝ってあげて」
「ん、こっちはいいのか?」
「うん、あとは面倒くさいキノコ類だし……ああ、そうだ。それならモルグさんをこっちに手伝ってくれるよう伝えてくれるかい? 折角だから、実地で薬学の実習をしよう」
「お、イルゼさんを弟子にするつもりか?」
「本人さえよければ、ウチの研究室に欲しいとは思うよ。彼女は、賢い」
シュウの言葉に、ユーシスは笑みをこぼしながら頷く。ナイフを取り出し、丁寧な手つきで今度はキノコの処理を始める。
「さっきの魔獣のときも動揺していたのは一瞬で、窓からしっかり外の様子を確認していた。負傷者を収容するときも援護をしてくれたし、血を見ても狼狽えずにしっかりと助手を務めていた。彼女は魔術医学、魔術薬学あたりに素養があるかもね」
「その言葉、よければ直接言ってあげたらどうだ? 喜ぶぞ?」
「あはは、機会があればね。じゃあシュウ、よろしく」
「ああ、任された」
ユーシスが渡してくれたザルを脇に抱えて、シュウは作業台にいるレリアとイルゼの方に足を向ける。二人は丁度、作業の手を止めたところだった。
「ん、ありがと。イルゼ。これで一品は大丈夫だね」
「どういたしまして。じゃあ、他に何を作る?」
「うん、あっちの先輩と相談して、かな。えっと……」
「じゃあ、この山菜を使うのはどうだ? レリア」
声を掛けながら歩み寄ると、レリアは振り返ってぱっと顔を輝かせる。
「あ、お師匠様! 薪割の方は……」
「ああ、いくらか斬っておいた」
「さすがお師匠様っ! お仕事が早いです!」
レリアが無邪気に喜ぶ一方で、イルゼは振り返って切り崩された倒木を微妙な表情で眺める。
「……なんというか、規模が違いますね。先生」
「ま、剣士だからな。それとイルゼさん、ユーシスが手伝って欲しいって」
「あ……! はいっ、了解しました」
イルゼは表情を緩めると嬉しそうに頷き、ぱたぱたとユーシスの方へと駆けていく。それを見やって、レリアも嬉しそうに表情を緩める。
「よかったです。この実習を通じて、イルゼはブラームス先生の研究室に入れればいいのですけど」
「ユーシスは乗り気だぞ? 割と」
「本当ですか? それはイルゼに朗報ですね」
「そうだな……で、レリア、イルゼさんの代わりに俺が手伝うけど」
「あ、じゃあ少し待ってくださいね」
レリアはそう断ると、近くで作業する他の学生の方へと近づく。二言三言交わして、何か器を受け取ると戻ってくる。そこに入っているのは、木の実だ。
「これの皮を剥いていただけますか?」
「了解、っと」
作業台の上の包丁を取り、木の実にあてがう。そのまま滑らせるように皮をするすると剥いていくと、レリアは目を細めて小さく笑みをこぼす。
「お上手です。お師匠様」
「ま、これもいわば剣みたいなものだからな」
「刃物ですものね」
瞬く間に一個が綺麗に剥き終わる。皮は一続きとなって地面に落ちた。それをレリアは受け取り、一口大に切り分けていく。シュウは次の木の実に手を伸ばした。
(しかし、十数人分か……かなり量があるよな……)
量が量だけに、具材を一気に調理できる鍋物になる。だが、それにしても具材はかなり多く必要だ。言葉を発さず、手元に集中して皮を剥いていく。
剥き終わった木の実を横の器に置こうとすると、さっと手が伸びてきてそれを受け取る。そのまま、レリアは刻みながら軽い口調で訊ねてくる。
「先生、お料理の経験があるのですか? 皮むきが上手です」
「旅をしていたからな。さすがにある。専ら、肉の解体が主だったけど」
「なら、鳥肉とかも捌けるんですか?」
「そうなるな。魔獣の肉もできなくはない」
「え、食べたことないです。味はどうなんですか?」
「まずいし、固い。あまりお勧めできない」
「あはは、そうですよね」
ふと生まれる会話。だが、手元の作業能率が落ちるわけでもない。皮を剥き終えると、横にそれを差し出し、ごく自然にレリアがそれを受け取る。
視線も交わさない。作業も自分のだけに集中する。
だけど、相手の呼吸は会話や息遣いを通じて、何となくわかる。
「そういえば、今日はグリズリーを倒しましたけど、あれも食べたことが?」
「あるな。ああ、そういえばあれは美味かったか」
「え、じゃあ、勿体ないことをしましたね」
「とはいえ、他の魔獣よりマシくらいだけどな」
芋を剥き終わる。レリアが手に取り、また刻んでいく。そうしながら、ふと彼女は口を開く。
「――お師匠様、あのグリズリー、どう思いました?」
「レリアも気づいていたいみたいだな。あの違和感」
「はい……学院で、魔獣の生態についての座学も受けていたので」
彼女は細かく刻んだ芋をザルに入れながら、思い出すようにゆっくりと言葉を紡ぐ。
「グリズリーは狂暴な一面、臆病なところがあると聞きました。絶対に強敵には相手をせず、それでも敵対するときは狡猾に待ち伏せなどをする――と。ただ……座学では群れて動くなどとは聞いていません」
「ああ、確かに。俺も子連れ以外で群れているグリズリーに会ったことはない。それに十人以上の人間を狙って襲うなど……正直、前代未聞だな」
「何故、でしょうか……たまたま? 偶然?」
「偶然にしておくには少々気がかりだな。レリアはどう思う?」
「そう、ですね……あ、お師匠様」
「ん、これか?」
レリアの視線ですぐに意図を察する。塩を取って手渡すと、彼女は頷きながらザルに山盛りになった芋に塩を振る。一通り振り終えてから、彼女は言葉を続けた。
「考えたのは、飢えていたのではないか、ということです。腹を空かせて街道を歩き回り、たまたま私たちと出くわした――というのは」
「あり得なくない線だな。だが、五頭同時に、か?」
「……確かに。そこまで偶然が重なるのも妙、ですね」
「ただ、悪くない線だとは、思うな……俺も似たようなことは考えていた」
「似たようなこと、ですか」
「ああ、腹を空かせているかどうかは分からないが、何か美味そうな匂いに釣られてきた、とかな」
レリアはちらりとシュウの横顔を見る。探るように彼女は彼の目を見つめ、やがて小さく苦笑いをこぼして肩を竦める。
「そんな理由で来ますかね?」
「来るかもしれないぞ? 特にレリアは美味しそうだ」
「ふふっ、お師匠様になら食べられてもいいですよ?」
「そういう冗談は好いている相手だけにしておけ」
「相変わらずお師匠様はガードが堅いですねぇ」
軽口をたたき合いながら最後の食材まで下ごしらえを終える。芋が山盛りになったザルにレリアは手を伸ばすが、それより早くシュウがさっとそれを取り上げる。
「これくらい、俺にも手伝わせてくれ」
「あ……はい、では甘えさせていただいて」
レリアは嬉しそうに表情を緩めながら、シュウと共に焚火の傍に集まる。そこには食材を処理し終えたのか、ユーシスとイルゼの姿もあった。シモン教授とアズールはその焚火で煮立った鍋もかき混ぜている。
「や、そっちも終わったみたいだね」
「シュウ殿、肉がよい感じになってきた。芋から入れてくれ」
「了解。すみません、シモン教授のお手を煩わせて」
「いえいえ、たまにはみんなで料理するのも悪くありませんよ」
焚火を中心に和気藹々とした空気が流れる。束の間の平穏に表情を緩めながら、シュウはその面々を見渡していると、ふとレリアは傍で何気ない口調で告げる。
「お師匠様、先ほどの話は二人だけの秘密にしませんか?」
「ん……そう、だな。それも悪くない」
シュウは頷き返し、レリアと視線を交える。それに気づいたのか、ユーシスはにやりと笑みを浮かべながら声を掛けてくる。
「なんだい? 二人だけの秘密って」
「ブラームス先生、聞くのは野暮ですよ。多分、そういうことが」
「ああ、なるほど。そういうこと」
「む、イルゼ殿、ブラームス殿、そういうこととはどういうことだ?」
「ふふ、アズールくんもまだまだ若いですねぇ」
シモン教授の茶化すような声に、焚火の周りでにぎやかな笑い声が響き渡る。それに交じって笑い声を上げながら、シュウはひっそりと内心で思う。
(……何か、レリアは引っ掛かるんだな)
先ほどの何気ない言葉に隠された真意を読み取りつつ、だけどそれを感じさせないようにシュウとレリアは笑みをこぼし合った。
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