第6話 血路を切り拓け

(まさか、ここでこれだけの魔獣に出くわすとはな)

 シュウは完全に馬車を止めると、深くため息をこぼしながら腰を上げる。二階席のユーシスを見上げると、彼はすでに腰を上げていた。

「生徒たちに伝えてくるよ。動ける生徒に備えさせる」

「そうさせてくれ……どうにも、あれ一頭だけじゃなさそうだからな」

「え……っ!」

 イルゼがびっくりしたようにきょろきょろと辺りを見渡す。その視線に応じるように周りに視線が大きく揺れた。そこから次々と黒い魔獣が姿を現す。

 レリアは落ち着いて周りを見渡し、ゆっくりと口を開く。

「全部で五頭。囲まれましたね。そして、これは……」

「グリズリー。そこそこの大物が出たな」

 ふん、とアズールは鼻を鳴らしながら立ち上がり、イルゼは顔を引きつらせる。ユーシスはその肩に手を置き、こっちに、と声を掛けた。

「イルゼさんは、馬車の中に。じゃあ、シュウ、シモン教授」

「ああ、魔獣の相手は任せてくれ。俺は武働きしかできないからな。レリアは……」

 中にいてくれ、と言おうと振り返った瞬間、その真っ直ぐな視線とぶつかった。据わった真紅の瞳の輝きに口をつぐみ――小さく笑みをこぼす。

「俺の傍に。援護を、頼んだ」

「はいっ、お任せください! お師匠様!」

 レリアは意気込んで頷き、腰に佩いた剣を抜き払う。それは木刀ではなく、本当の太刀。シュウがいざというときに備えて渡したものだ。

(まさか、いざというときがこんなすぐに来るとは思っていなかったけどな)

 シュウもすらりと太刀を抜き放ち、ひらりと御者台から降りる。レリアもそれに続き、その隣に黒髪をなびかせながら一人の少女が降りたつ。

「ここよりは命のやり取り――抜かるなよ? レリア殿」

「分かっています……頼りにしています。アズールさん」

「うむ、任せておけ」

 快活に笑うアズールは剣を担いで余裕たっぷりだ。さすがに実戦経験が豊富だけはある。彼女はそのまま、二階席を振り返って声を掛ける。

「教授、頼りにしております」

「ええ、お任せを。では配分ですが、ナカトミ先生、ルマンドくん、アズールくんで二頭は相手できそうですか」

 ゆったりとした声は戦場に似つかわしくないが、各々に落ち着きをもたらしてくれる。じりじりとにじり寄ってくるグリズリーを前に、シュウは声を返す。

「そうですね。俺一人でも二頭は相手できますから、余裕でしょう」

「ほほう、ならば期待していますよ? では、私は他の生徒たちを見つつ、三頭を相手にしましょう。よろしいですね」

「……それは構いませんが、シモン教授、大丈夫ですか?」

 生徒たちに戦闘を任せるとはいえ、三頭に気を配るのは容易ではないはずだ。シュウは眉を寄せていると、アズールがふふんと鼻を鳴らす。

「シュウ殿、シモン教授を見くびりすぎだ――教授、見せてやってください」

「はは、承知いたしました。では」

 シモン教授の楽しそうな声と共に、馬車の二階から何かが落ちてくる。乾いた音を立てて、木の塊のようなそれは地面を転がり――不意に、すくりと音もなく立ち上がった。

 そこに立っていたのは、木が組み合わさった人形。それにレリアは息を呑む。

「魔術傀儡……!」

「……なるほど、魔術仕掛けの人形術か」

 二人の声に応じるように、その傀儡はゆっくりと振り返ってかくりと頭を傾げる。アズールは頷きながら、自分のことのように得意げに語る。

「教授は持ち前の戦術眼を組み合わせ、五体の傀儡を同時に操ることができる。傀儡には魔術式を仕込んでおり、炎、水、雷、風、土、五つの術を使いこなせる」

 その言葉に目を見張ったのはレリアだ。むむ、と唇を引き結んで眉を寄せる。

「それは凄まじい技巧ですね。あとで、その傀儡を見せていただきたい……」

「こいつらを撃退したら……だぞ。レリア、アズール、気を抜くな」

 シュウは叱咤しながら目の前のグリズリーに視線を注ぐ。背の丈以上の大きさのある巨熊は威嚇するように唸り声を上げながら近寄ってくる。

 それに合わせて、もう一頭のグリズリーもじりじりと接近。

 二方面からの圧力。背後は馬車があり、後ろには引けない。

「なかなか知恵が回る熊だな。シュウ殿」

「ああ、とはいえ、俺たちには適うまい……ひとまず、一頭を任せていいか。アズール。足止めだけで結構だ」

「ふっ……別に倒してしまっても構わんのだろう?」

 好戦的に口角を吊り上げたアズールは剣を担ぐように構え、一頭の熊と向き直る。瞬間、彼女の気迫が一気に漲っていく。

(アズールなら上手く立ち回るはずだ。なら、俺は――)

 視線をもう一頭のグリズリーに向ける。グリズリーは低い唸り声を上げながらさらに一歩距離を詰めてくる。それを見つめ、レリアがごくりと唾を飲み込んだ。

 表情はわずかに強張っている。だが、腰は引けていない。いつも通り、姿勢に綺麗を保って魔獣の刃を向けている。

 なら、大丈夫だろう。シュウは口角を吊り上げ、レリアに声を掛ける。

「レリア、二人でやるが……メインは、レリアに任せる」

「え……いいのですか?」

「ああ、補佐はこの師匠に任せろ。心置きなく魔術でも剣術でも戦うといい」

 そう言いながら、シュウは一歩引く。代わりにレリアは一歩踏み出すと、グリズリーの声が激しく迫力を帯びてくる。それに目を細めながら、さて、と吐息をつく。

(お手並み拝見、と行こうか。レリア)

 瞬間、グリズリーの殺気が膨れ上がる。獰猛にぎらりと目が光を放ち、その下肢に力が込められる。それに反応し、レリアとシュウは左右に分かれて横に跳ぶ。

 直後、猛烈な勢いでグリズリーは地を蹴っていた。激しい突進と共に振り下ろされた鉤爪は、レリアの立っていた地面に砕いた。

 避けられたと気づくや否や、魔獣は振り返ってレリアを視界に捉える。

 レリアは体勢を立て直しながら、剣を顔の横に構える。地面に水平にし、切っ先を魔獣に向ける――霞の構えだ。

 グリズリーは唸り声を上げると、強く地を蹴ってレリアの横に回り込むように駆けた。その視線が油断なく、離れて構えるシュウを捉えている。

(賢い魔獣だ――背後を取られるのを嫌ったか)

 グリズリーは狂暴な熊の魔獣だが、その反面で臆病な一面もある。相手の匂いで戦力を分析し、自分より強い相手は襲おうとはしない。

 待ち伏せして後ろから旅人を襲うこともあるほど、知恵が回るのだ。

 だからこそ、グリズリーは確実にレリアから相手取ろうとしているのだろうが――。

(それは、悪手だぞ)

 シュウの視線の先で、レリアが指先を虚空に走らせる。そこに描かれるのは鮮やかな魔術式。彼女は目を細めながら、指先を真っ直ぐに魔獣へ向ける。

 直後、迸ったのは紫電。宙を駆け抜けた稲妻の矢が真っ直ぐにグリズリーへ叩き込まれる。

「グオオオオオオオオォォッ!」

 空を震わせる苦悶の咆吼。間髪入れず、レリアは次弾の魔術式を描いている。だが、それが放たれる前に、グリズリーは地を蹴っていた。

 怒りに染まった目でレリアを睨みつけ、激しい殺意と共に駆ける。

 一瞬で消し飛ぶレリアと魔獣の距離。それを前に、彼女は術式を放棄。横っ飛びにその突進を避ける。間一髪、避けたものの、体勢を立て直す前に魔獣は反転。

 振り返りざま、丸太のように太い腕を振り上げる。

(……っ!)

 シュウは反射的に動きかけた身体を、すんでのところで抑える。レリアはその動きを真紅の瞳ではっきりと捉えていたからだ。

 はたして、レリアは振り下ろされた剛腕を身を逸らして回避。さらに脇流しに構えていた真剣で鋭く斬り上げを放つ。澄んだ音と共に、中空に血が舞う。

 グリズリーはその斬撃に驚いたように横へと跳ねる。その間にレリアは距離を取る。その表情はわずかに固い。感情は表に出していないが、悔しさが伝わってくる。

(そうだな。今の斬撃は、浅かった)

 大ぶりな攻撃の隙に斬りつけたのは、さすが。その動きも真っ直ぐで良かった。だが、いかんせん、太刀筋に力が載っていなかった。

 だから、浅いところだけしか斬れず、深手を負わせられなかった。

 彼女に不足しているのは、経験と実力だ。

(さて……その状況で、どうするかな? レリア)

 いつでも助けられるように立ち位置を変えながら、シュウはレリアを見守る。彼女はグリズリーの攻撃を回避しながら、その動きで距離を稼ぐ。

 だが、その距離もグリズリーの猛進で瞬く間に潰される。魔獣もまた、レリアの動きを学習してきたのか、できるだけ回避できないように細かく攻撃を繰り出す。

 それに苦しそうにレリアは息を乱し――ふと、その視線がシュウを捉える。

 視線が合う。それだけで、不意にレリアが大きく目を見開いた。その端正な顔つきに不敵な笑みが浮かび上がる。

(ん? 何か、思いついたのか?)

 レリアの動きが変わる。距離を取ろうとする動きから、細かいステップで魔獣を左右に揺らす動き方。学んできた剣術の身体捌きで攻撃をひたすらに回避。

 そして、もう一度、レリアはシュウに視線を投げかけ、そのまま背を向ける。

(ああ、なるほど)

 そのアイコンタクトが、決定打だった。シュウも彼女の考えを察し、笑みをこぼす。ぶら下げていた太刀をゆっくりと鞘に納めて息を整える。

(いいだろう。乗ってやるよ。レリア)

 レリアの背が前で左右に揺れる。それを仕留めようとグリズリーは爪を払い、牙で引き裂こうとする。だが、翻弄する足捌きでそれを避け、かざした刃で攻撃をわずかに逸らす。

 強力な一撃を確実にいなし、レリアは耐え忍ぶ。薙ぎ払いを跳んで躱し、頭上の上で閃く爪を屈んで避け、食らいつく牙は地面を転がって回避。

 そのまま、彼女は跳ね起きて刃を構える。頭に血が昇ったグリズリーは唸りを上げる。その下肢に力を込め、激しく殺気を立ち上らせる。

 こざかしく避けるのならば、それごと吹き飛ばさんと全ての力を注ぎ込む。

 そのまま、凄まじい勢いでグリズリーが突進を放つ、直前。

 ふっとレリアは小さく笑った気がした。


「頼みましたよ。お師匠様」

「ああ、任せておけ」


 その言葉と共に、レリアが半身を逸らして道を開ける。それを合図に、後ろに控えていたシュウは入れ替わるように大きく一歩踏み込みながら口角を吊り上げる。

(見事な誘導……よくここまで、グリズリーを導いた)

 弟子は為すべきを為した。ならば、後は師匠の役目だ。

 目の前のグリズリーは止まらない。それのそのはず、ここまで来れば魔獣は全てを薙ぎ払うしかない。地を揺るがしながら。魔獣はさらに加速。

 シュウはその突進を冷静に見据えながら、腰に帯びた太刀を掴む。

 その目は魔獣の一挙手一投足を見つめ、何一つとして見逃さない。わずか二秒後に訪れる死にも臆することはなく、短く息を吸い込んだ。

 地を蹴った魔獣の爪が頭上から振り下ろされる気配。

 瞬間、シュウは動いた。身体の全ての力をその一瞬に込める。呼吸をするように滑らかに、鞘から刃が迸り、居合抜きに真上へ斬り上げた。

 したたかな手応え。それに一瞬遅れて、魔獣の爪が裂いた風が頬を叩く。

 シュウは残心の姿勢と共にぴたりと静止――やがて、手にした刃を一閃させて振り返る。

 その視線の先には、勢いのまま地面を転がり、真っ赤に身を染めるグリズリー。その身体はもはやぴくりとも動かず、ただの塊となっている。

「……相変わらず、見事な太刀筋ですね。お師匠様」

 隣に並んだレリアもそれを見つめながら吐息をこぼす。まだ荒い息を落ち着かせながら、シュウを熱い視線で見上げると頭を丁寧に下げる。

「ありがとうございます。斬っていただいて」

「いや、あそこでの判断は正しかった。魔獣の誘導も見事。おかげで俺は斬るだけで十分だった……初めての実戦なら、合格点だ」

「え、えへへ、ありがとうございます」

 照れくさそうに笑うレリアの頭を軽く撫でながら、シュウは視線を辺りに巡らせる。

(他も大丈夫そうだな)

 二頭のグリズリーも遠距離からの魔術で的確に仕留められ、手が空いた生徒たちがまだ戦っている加勢に向かっている。その魔術の集中砲火を受け、さらに一頭のグリズリーも倒れる。残り一頭を相手にしているアズールも――。

「これで、おしまいだッ!」

 距離を大きく取り、鋭くグリズリーで指を突きつける。瞬間、迸った青白い業火が魔獣の巨体を大きく包み込んだ。苦悶の叫びをあげていた魔獣は身を捩り、やがて地面にずしんと音を立てて崩れ倒れる。

 ふぅ、と一息満足げに吐息をこぼしたアズールはシュウたちを振り返り、むっ、と不機嫌そうに眉を寄せる。

「――レリア殿とシュウ殿は、片付けるのが早いな」

「はい、お師匠様が一太刀で片付けてくれました」

「レリアのお膳立てがあってのことだけどな」

 師弟で笑みを交わし合いながら言うと、アズールの視線は地面に横たわっている魔獣に向けられる。真一文字に斬られているのを見て、目を微かに見開く。

「――刃一筋で、あのグリズリーの剛毛を」

「修練を積めば、ここまでいけるぞ。もちろん、レリアも」

「精進します。あ、お師匠様、これ」

「お、ありがと」

 差し出された布で刀の血糊を拭う。出発前に軽く刀の手入れを教えただけだったが、もうすっかり理解しているらしい。

 シュウは刀身を綺麗にすると、鞘に刃を納める。他の生徒たちも汗を拭ったり、息を整えている。戦闘の余韻を感じさせる中、シモン教授の穏やかな声が降ってくる。

「みなさん、ご苦労様でした。では、出発しましょう」

「怪我している子は言ってね。手当てするから」

 続いてユーシスの声。それを見上げてシュウは頷くと、レリアとアズールを振り返った。

「さぁ、行こうか。二人とも」

「うむ……と、どうした? レリア殿」

 アズールの声に振り返ると、レリアは転がっているグリズリーを眺めて少し複雑そうな表情を浮かべていた。だが、シュウとアズールの視線に気づいて首を振る。

「いえ、何でもないです。行きましょう」

「ああ、そうだな」

 シュウは頷き返しながら、ちら、とレリアの見ていた魔獣の死体を見る。

(……レリアも、引っ掛かるか)

 彼も同じく、心のどこかで微かに気になっていた。後でそれは講師陣を交えて話をしてもいいかもしれない。シュウはそう思いながら御者台に上がり、レリアに差し伸べる。

「さ、レリア」

「はい、お師匠様」

 手が重なり合い、レリアを御者台に引き上げる。それだけのことなのに、レリアは嬉しそうに笑みをこぼす。シュウも笑みを返しながら手綱を握った。

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