第10話 崩落の中で

 崩落に巻き込まれたレリアが無事だったのは、ユーシスの機転のおかげだった。

 瓦礫に囲まれた崩落地点――その一角だけ、ぽっかりと瓦礫が除けられている場所がある。わずかに青い光のドームが取り囲んでいる。

 その中心に立っていたレリアは一息ついて傍の講師に視線を向ける。

「ブラームス先生、ありがとうございました。これは結界術……ですか?」

「の、応用だね。万が一の備えが役に立ったよ」

 彼は懐から魔石を取り出し、苦笑いをこぼす。その表面にはぼんやりと光を放つ紋様が浮かんでいる。それがふっと消えた瞬間、同時に結界が消え去る。

 レリアの傍に立つイルゼはその魔石を見つめて、おずおずと訊ねる。

「それは……一体?」

「これは魔石。これに魔術式を記憶させることができるんだ。ただ、使い捨てだから本当にいざというときの護身用だね。今回はそれに助けられたよ」

「あ……だから一瞬で結界が張れたんですね」

 納得したように頷いたイルゼは、少し申し訳なさそうに視線を伏せさせた。

「……すみません。足を引っ張ってしまって。レリアも、ごめん」

「ううん、私もいきなりの地震でびっくりして、立ち止まっちゃったから」

 二人はその激震で足を止めてしまった。だからこそ、崩落から逃げ切ることができなかった。それに対し、冷静な判断をした他の先輩たちは崩落から免れ、通路を逃げ切っている。

(……ダメだな。私……こんなところで足を止めていたら、お師匠様の背中に追いつけないのに……)

 思わずため息をこぼしたレリアだったが、ユーシスは目を細めて励ますように笑いかけてくれる。

「大丈夫。それが分かっていれば問題ないよ。こういう事態を見越して講師は待機しているし、反省して活かしてくれればそれでいい」

「そう、ですよね……はい、気をつけます」

「ん、それならいいよ。じゃあ、僕たちは落ち着いて脱出しよう」

 ユーシスは魔術式を描き、周りを見渡すと一点を指さす。そこには瓦礫に埋もれるように見える横穴が見える。

「こっちだ。空気の流れがあるから、逃げられるはずだ。イルゼさんは照明魔術で辺りを照らして欲しい」

「了解しました。レリア、行こう」

「ええ……」

 レリアは頷きながらちらりと足元に落ちている瓦礫を見やる。そこには石人形も巻き込まれたのか、押しつぶされて動かなくなっている。

 その付近には、弱々しく光を放つ石が転がっている。それは次第に光を失っていた。

 それを素早く拾い上げると、ユーシスに従ってレリアは歩き出す。

 横穴は狭いものの、ゆるやかな斜面になっていて地上に向かえるようだ。ユーシスは油断なく周りに気配りしながら進んでいく。その傍をイルゼが指先に光を灯して追随する。

 レリアも気を抜くことなく、視線を辺りに走らせる。

 進んでいく道の至る所には瓦礫が落ちている。もしかしたら、その岩陰から石人形が飛び出すかもしれない……そう思うと、自然と呼吸が浅くなってくる。

 それを抑え込もうと深呼吸する。だが、緊迫した鼓動は収まらない。

 じわりと込み上げる汗を軽く拭うと、ふとユーシスが振り返って言う。

「シュウのことが、心配かな?」

「あ……」

 その指摘で思い出す。そういえば、彼は真下に潜っていった。もしかしたら、崩落に巻き込まれたのかもしれない。それを今さら自覚し、血の気が引きかけ――。

 だが、それを安心づけるようにユーシスが微笑む。

「大丈夫だよ。彼は百戦錬磨の剣士だ。どんな窮地でも落ち着いて対応する。そういう人ってことは、ルマンドさんが一番よく知っているよね?」

「あ……はい、そう、ですね」

 その言葉にレリアは大きく深呼吸。うん、と一つ頷く。

(そうだ。お師匠様ならきっと切り抜けている。今は自分たちのことを)

 そう思って顔を上げれば、自ずと思考が落ち着いてくる。レリアはユーシスを見やると、小さく笑って答えた。

「お師匠様は、無双ですから。でも、ブラームス先生も頼りにしています」

「あはは、嬉しいことを言ってくれるね。ルマンドさん」

「でも、実際に頼りになりますし……そういえば、シモン教授は大丈夫でしょうか」

 ふとイルゼが心配そうに訊ねるが、ユーシスは苦笑いを浮かべて首を振った。

「シモン教授は心配するだけ無駄だよ」

「そうなのですか?」

 きょとんとイルゼが訊ね返すと、彼は頷き返しながらしみじみとした口調で続ける。

「彼はすごく生徒想いの方でね。以前もこんな遺跡の崩落に巻き込まれたんだ。そのときはドラゴンが大暴れして、閉じ込められた生徒たちの命は絶望視されていたんだ。だけど、彼は『自分の教え子は見捨てることはできない』といって、自分の魔術人形を引きつれて単身で乗り込み、全員を救い出したんだ」

「それは、すごいですね……ドラゴンを退治して、ですか?」

「さすがにそこまではしなかったみたいだけど。でも、すごい方だよ。僕が現役の学院生のとき、いろいろとご指導いただいたし。学院長の次に強い方といえば、彼か……」

 そこで口を閉ざすと、ちらり、とレリアを見やって片目を閉じる。

「キミのお師匠様かな」

「当然です。私のお師匠様ですから」

 レリアが軽口を返すと、ユーシスとイルゼは笑みをこぼして頷いてくれる。雑談のおかげで少しだけ緊張感がほぐれ、柔らかい空気になる。

 少し軽くなった足取りでレリアは前に進みながら、小さく思う。

(でも、実際、お師匠様はそんなに強いのかな……)

 確かに強いことはこれまで見ても分かることだった。

 剣技や洞察力は言うまでもなく、学院長相手にも引かない胆力もある。ただ、それでも魔術の上を行くか、と言われれば甚だ疑問だ。

 魔術は遠距離でも近距離でも抜群の威力を発揮する。それを前にしたら、いかにシュウでも切り抜けられないような気もする。

 そう思いながら、ちら、とユーシスの顔を窺ってみる。

(それが分からないブラームス先生ではないと思うから……多分、お師匠様を心配していると思って、私のことを安心させるために言ってくれたのかな)

 その心遣いは嬉しい。ただ、一つ頭に引っ掛かっていることがあって、その気持ちを素直に受け入れることができなかった。

 レリアは気づかれないように深呼吸すると、ユーシスの背に声を掛ける。

「ブラームス先生、一つ伺ってもいいですか」

「ん、一つと言わずいくらでもどうぞ」

「先生は、何故、この遺跡に急に石人形群が出たと思いますか?」

「う、ん……それは困った質問だね」

 ユーシスは足を止めることなく、顔だけで振り返って眉を寄せる。その視線がレリアとイルゼの間を行き来してから、真面目な顔で答える。

「落ち着いて聞いて欲しいけど……僕の考えでは、何者かが仕掛けたものだと思う」

「え……? 仕掛けた、ですか?」

 イルゼがわずかにおびえたような表情を見せる。ユーシスは苦笑いを浮かべて首を振った。

「可能性の一つだけどね。石人形ゴーレムたちが自然に発生した可能性ももちろんある。ただ、ここはもう調査され尽くした遺跡だけに、それが考えられにくいんだ。だから、そういう可能性を考えなければならない、ということ」

 そこまでユーシスは一息に告げると、ちら、とレリアを見て苦笑いを浮かべる。

「もちろん、それは僕ではないよ」

「……それは、もちろん。信頼していますから」

 一拍遅れて小さくレリアは笑みを返す。だが、その背筋では冷汗が流れている。

(……気づかれていた……みたい)

 実は、ユーシスのことを疑っていた。これだけの仕業をできるのは、講師陣の誰かではないか、と。現にユーシスの実力があれば十分に可能だ。

 それに落ちていた石人形ゴーレムの中には、光を放つ石――魔石が、交じっていた。

 魔石を取り扱うことができる彼ならば、その魔石を仕込んだ石人形を配置して、シュウたちを襲撃することも可能なのだ。

 だからこそ警戒していたのだが、ユーシスはそれを見抜いていたらしい。

 だが、彼は柔らかく笑みを浮かべると、ゆるやかに首を振る。

「とにかく、いろいろな可能性を考えるのは脱出してからだよ」

「……そうですね。余計なことを言いました」

「ううん、気持ちは分かる。こういう状況でなければ『いい質問だね』と褒めるところだから――っと」

 ふと、急にユーシスが足を止める。それに反応し、レリアとイルゼも足を止める。彼は目を鋭く細めながら指先で魔術式を描き――。

 その指先が止まり、ユーシスは驚いたように目を見開いた。


「――シモン教授」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る