伊佐物語

かしも りお

プロローグ

プロローグ

伊佐物語  伊佐尚樹



序文


 記録を残しておくことにした。

 何年先に誰が読むことになるか判らないが、うまく残れば誰かのなにかの役には立つんじゃないかと思う。

 格好をつけてというより、例の古典を意識してこんなタイトルにしたが、もちろんそんな大それたものではなく、精々よくて日記と云うべきものにしかならないだろう。そもそもが大したことはしてないのだから、せめて格好くらいつけてもいいだろう。

 念の為、文房具屋で見つけてきた和紙に墨で書くことにした。平安時代のものが残っているくらいだから、ノートにボールペンよりは耐久性があるんじゃないだろうか。


 備忘録代わりに書き留めたメモを頼りに、なるべく正確に書こうとは思うが、時系列も内容もきっと間違いがあるだろう。ご容赦いただきたい。それから見ての通りの誤字や悪筆も。


 アレの後に自分のしてきたことや見聞きしたことを主に記していくつもりだが、序文として、まず、アレについて、俺の知ることを記しておく。



 始まりは、南極からだった。


 その年の暮近くに、南極の研究員が数名、謎の死を遂げたとの報道が出た。最初は恐らく小さな記事だったのだろうが、俺がそれを知ったのは、その後、何週間かして南極にいた数万人の研究員たちが全滅したという事件の発端としてだった。皆、焼け焦げたように真黒な炭状になって次々と倒れ、やがて全滅したとのことだった。容態は不気味であったが、それは伝染病であった。

 やがて、その夏(南極の11月~2月は夏の真っ盛りである)に南極を行き来した者たちやその周囲の者達の中から、罹患し死亡するものが現れ始め、世界はパニックに陥った。

 各国の医療研究機関は原因の追及と罹患者の隔離に躍起になったが、お互いに何百キロも離れた複数の南極基地で生活していた数万人がわずかな期間で全滅したのだ。素人が考えても感染力と致死率の高さが群を抜いていることは明らかだ。しかもそれが「ウイルスさえ生存できないから風邪をひかない」といわれていた極寒の地での出来事なのである。


 南極以外で最初に死亡者が確認されたのは、ニュージャージーだった。ある牧場主とその妻と連絡が取れなくなり、近隣の者が発見した。後でわかったことだが、その直前、夫妻の娘と小学生の孫息子が実家を訪れていた。娘は極地研究者であり、夫も当時南極基地に滞在していた。娘はその年の極地での研究活動の割当からは外れていたが、研究所の所用により、夫を訪ねて短期間南極に赴くことになった。滅多にない機会なので小学生の息子も連れて。もちろん折角なので帰りに実家にも立ち寄る。娘は、牧場主夫妻の遺体発見と前後して、東京都内のマンションで、息子とともに炭状になって死亡しているのが発見された。

 南極で感染していた娘と孫息子がニュージャージーに感染源を持ちこみ、さらに体調不良を押して日本へ帰国した結果、東京にもそれを持ちこんだのだ。


 そこからは早かった。

 アメリカ、日本、そして、同じように南極から戻った者がいた欧米、南極への輸送窓口の南アフリカ、オーストラリア、南米などで、爆発的に罹患者数が増えていった。


 先進国で流行が始まったことには、良い面と悪い面があった。

 当面の対策の検討と広報、第一線の研究者による原因と対策の検討が、さまざまな枠組みを越えて素早く精力的に行われたため、おそらく若干の猶予が生まれただろう。

 しかし同時に、発生拠点となった先進国の大都市は、ウイルスを世界中にばらまく媒介装置ともなった。


 日本ではそれは炭死病(たんしびょう)と名付けられた。

 かつて、火事でもなく、火の気も周囲に焼けた跡もないのに焼死体が発見されるという事件が、世界で数十件報告されていた。「人体自然発火現象」と呼ばれ、きちんとした科学的説明ができなかったためオカルト的に扱われていたが、炭死病は、ほぼそれらの事件と共通する症状を特徴としていた。インフルエンザのような発熱から始まるが、熱は数日でいったんおさまる。だた、その後、数週間して、突然、指先等の身体の末端から炭化し始めるのだ。炭化は次第に全身に広がり、数十分~数時間で全身が炭化してしまう。当然、多くがその過程で死亡する。

 そのオカルト的な症状のため感染症であるとの認知が遅れたことが、初期の感染拡大の要因のひとつになった。インフルエンザに似た初期症状に加えて、発熱が一旦納まるという症状は感染拡大に拍車を掛けた。感染者は熱が納まったあとも病原体を撒き散らしつづけたためだ。


 この病気の標的は人類だけではなかった。哺乳類、鳥類はもとより、昆虫や節足動物など空気呼吸をするものはことごとく罹患し、死亡し、媒介した。治癒した罹患者はおらず、媒介する罹患者はどこにでも居た。罹患しないのは、植物と微生物を除くと、水中の酸素を呼吸する海の生き物たちだけであった。


 炭死病は、世界の叡智の前に屈することなく、その猛烈な勢いで瞬く間に世界を席巻し、各国間の交通、貿易、通信などが次第に途絶え、どんなに防衛しようと、食事や呼吸や排せつによる隙を塞ぐことはできず、防護服で身を包んだり、シェルターに逃げ込んだ人たちも次第に息絶えていったと思われ、やがて地上は静寂の支配に屈した。


 だが、俺は生き残った。

 なぜかは判らない。今の俺達には、免疫体質なのだろうということ以上を調べる技術も設備もない。

 国内に、いや世界に同じようにして生き残った者がどのくらいいるかも判らない。俺達のもつ通信手段はアマチュア無線機しかなく、それも、もう何年も身内以外からの反応はない。




---あとがき-------------

どきどきの初投稿です。


読み返すとつたなすぎて泣きそうになりますが、きりがないので、細かめのアウトラインかプロットだと思うことにして、とにかく完結できるようがんばります。


下世話で恐縮ですが、レビュー、★、フォローなど、励みになりますので、ご遠慮なくお願い申し上げます。

(2020/10/05 00:00)


全編に渡ってあとがきを追記しました。

他サイトにアップしていたものから、時候のご挨拶など一部を除いて転記しました。

()内は、そちらのサイトでの公開日です。

(2021/07/09 01:00)

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