5.親友

 そのマンションの30階に奈美は居候している。

 子供の頃からの親友のしおりの部屋だ。

 しおりは奈美の勤めていた病院に担ぎ込まれ、奈美に看取られて亡くなった。

 最後の言葉は「家のこと、よろしくね」だった。

 

 しおりは、大学時代に両親を事故で亡くした。夫婦二人で行った旅行先でのことだった。 突然のことに悲しむ暇もなく後始末に翻弄された彼女を、奈美の家族は全力でサポートした。ひとり残された彼女は、落ち着いた後もしばらく奈美の家に居候していたが、やがて住んでいた家を売り、保険金を足して、そのとき市内に新築されつつあった、このマンションの最上階を買ってひとりで住んだ。思い出だらけの家にはどうしても住めなかったという。無論、奈美と家族はそれを応援した。

 引っ越した後、碌に学校に通えてなかったしおりは、次の春まで休学することにしたが、逆に手持ち無沙汰になりすぎた挙句、奈美に同居を求めた。もちろん寂しさや心細さもあっただろう。看護専門学校できついカリキュラムをこなしていた奈美は、迷ったが、最後には「家事は私に任せて思う存分勉強して」という言葉に折れて了承し、彼女の復学と奈美の卒業までの何ヶ月かの共同生活は、なにものにも代えがたい貴重な思い出となった。

 その間に自分を取り戻したしおりは、大学を無事卒業して都内の企業に勤め、奈美も市内の比較的大きな病院で看護師の経験を積み上げつつ、時たま、彼女の部屋で互いに愚痴をこぼしあうのが、いい息抜きになっていた。

「あのさ、なみちゃん。」

「ん?」

「ここのカギ、持ってるよね?」

「さっきも、先に帰ってこれ作って待っててあげたでしょ?」

 その日は、彼女の帰りが少し遅くなったので、奈美は共同生活の後もずっと持っているカギで勝手に入り込んで、つまみを何品か作ったのだった。

「あ、そうだった」

 そういって、ガハハと笑う。

「そのカギさ、ずっと持っててよね」

「うん、いいけど。なによ、いまさら。あ、彼氏連れてくるんなら、返すよ?」

「持っててって言ってるのに。しかも、いないの知っててそゆこと言う?」

「あれ? このあいだなんか言ってたのは?」

「あれは、そういうんじゃないの。」

「ふーん……」

「それはいいからっ! それより、カギのこと」

「あぁ、うん。なに?」

「それ、持っててね? で、わたしになんかあったら、あとのことお願いね?」

「わっ、なにそれ!? なんかあんの? ちょっと怖いんだけどっ!?」

「なんもないよ。でもね、ほら、あたし頼れる親戚とかいないじゃん?」

「あぁ、お葬式のときの話ね。」

「そうそう。で、あんときの弁護士さんに相談して、なみちゃんに後見人だか相続人だかになってもらう手続きをお願いしたから」

「え? なにそれ? わたしがあなたの後見人?」

 要するに、彼女になにかあったときは、なんだかわからない遠い親戚連中を差し置いて、奈美が彼女の代理人となり、また、相続人となる手続きを進めている、ということだった。それは、両親のことを踏まえて、いつなんどき何が起こるかわからないことへの彼女なりの判断だった。

「だからさ、そのうち連絡行くと思うから、お願いね」

「はぁ……。ほかならぬしおりのためなら仕方ないか……」

 重い責任を背負わされるのは気が進まなかったが、彼女の気持ちを考えると、奈美には断ることもできなかった。

「ごめんね?」

「あやまらないで。わかったから」

「ありがと」

 そういって笑った彼女の顔を思い出したのは、それから数年後のことだった。


 あの病気が流行り始めてから奈美の勤め先の病院のベッドは瞬く間に満床になり、奈美は、与えられた隔離宿舎のホテルと職場をひたすら行き来するだけで家族とも会えず、さながら地獄のような、いつとも知れぬ戦いの中に身を投じていた。


 そんな中、しおりから電話がかかってきた。

「なみちゃん、熱が下がらないの」

 すーっと、背中をつめたいものが降りてゆき、一瞬、頭が真っ白になった。

「いまどこ?」

 気を取り直して聞く。

「家」

「わかった、なんとか迎えにいく。できれば救急車を回してもらうから。」

「ありがと」

 その細い声が、あのときの笑顔と重なる。

「ちょっとだけ待ってて。脱水しないように水分をしっかり取ってね。」

 そう言って電話を切り、師長を探しに廊下を走った。

 

 熱に意識が朦朧となって運ばれてきた彼女を、半ば無理矢理空けたベッドに押し込み、点滴と器具を付けた。師長と担当医に、自分が彼女の後見人であることを告げた。驚いてはいたが、事情を話して、万が一の際に判断できる権利が奈美にあることを了解してもらった。

 数日して熱は下がり、防護服越しではあったが、話ができるようになった。

「どのくらい持つの?」

「2、3週間、かな?」

 正直に答えて、しかし、その自分の台詞に泣きそうになる。

「そっか」

「うん」

「治った人はいるの?」

「ほら、でも、別の病気かも知れないから」

 かろうじて平静を保って言う。

「そだよね……。」

「……。」

 そんな可能性が低いことは彼女も奈美もわかっていた。

「さっきね、弁護士さんに電話しといたから」

「うん……。」

「なみちゃんさ、すごいね」

「え?」

「ちゃんと看護師やってんじゃん」

 話題を変える彼女に、奈美は乗った。

「あたりまえでしょ? 何年やってると思ってるのよ」

「いやさ、働いてるなみちゃん見たの、はじめてだからさぁ、酔っ払ってるのは散々見たけど」

「あーっ、やめてっ、ここで言わないでっ」

「がはは」


 そのあとは忙しい合間をぬって毎日馬鹿話をした。時には職場の同僚も交えて。おかげで過去の醜態のいくつかが職場にさらされたのにはちょっと困ったけれど。

 

 やがてその日がやってきた。

「なみさんっ! しおりさんがっ!」

 ワゴンを押しながら廊下を歩いていた奈美に、後輩が走ってきて声を掛ける。奈美は、彼女の病室に走った。

「こうなるんだね」

 気の強い彼女は、黒く変色した自分の指を眺めて平然と言って

「あとどのくらい?」

 と自分の手を差し出す。

 奈美は、その手をとって観察する。ゆっくりと変色が広がっている。

「……1時間か、2時間か……」

 こんなのは何度も見てきたはずなのに、泣きそうになる。

「なみちゃん、ありがとね」

 なにも言えずにいると、さっき声を掛けてくれた後輩が部屋に入ってきて奈美にささやく。

「師長がここにいていいって」

 うなづく奈美を見て、後輩は、すっと部屋を出て行く。

「師長さん、優しいじゃん」

「ん?」

「なんだっけ? すげぇいじわるされたようなこと言ってなかったっけ?」

 親友は、笑って昔の愚痴を蒸し返す。

「やめてよ、新人のときの話なんだから」

「えーと、なんだっけ? 一緒に宿直になったときだっけ?」

「やめてってば。あんただって、はじめての出張でやらかしてたでしょ?」

「あ、それやめれ、心の中に封印してんだから」

 奈美はやっとの思いで笑顔を作る。

 それからはいつもの馬鹿話。慣れきったテンプレート。

 そうしながらも、やがて手は真っ黒に染まり、動かなくなる。そして腕も。

「なみちゃん。」

「なに?」

 もう涙声をごまかせない。

「ありがとね」

 あのときと同じ顔で彼女は笑う。

「なみちゃんがそばにいてくれてよかった。知らないとこだったら多分耐えられなかった」

「うん」

「成長したなみちゃんも見られたし」

「うん」

「おばさんたちにもよろしく言っといて」

「うん」

「おじさんには、なみちゃんの勇姿をつたえてあげる」

 奈美の父は流行の初期にやはりここで亡くなっている。

「うん」

「家のこと、よろしくね」

「うん」

 彼女は、笑ったまま呼吸を停止し、やがて、顔まで真黒に染まる。

 奈美は、ベッドに突っ伏してしばらく泣いた。




---あとがき-------------

書いてて自分でウルウルしたのは内緒です。


会話が多いと行数が増えますね。

(2020/10/19 01:00)

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