6.光

 奈美は黙々とマンションの階段を登る。

 親友が住んでいた部屋は、最上階の30階。

 そこに居候している奈美は、ほぼ毎日その階段を昇り降りしている。そうしたいわけではないが、食べ物やシャワーは必要だし、自分の家には帰りたくない。

 踊り場でひと息つく。

「ふぅ。」

 時間にすれば、休憩も入れつつ、せいぜい数十分だろうか。もちろん、市役所まで歩くほうがはるかに時間がかかる。

 この部屋に決めたとき、彼女は「見晴らしはいいし、上の足音も聞こえないし」と言っていた。「そうだねー」と、ひとごとのように、いや、まさにひとごとだったので適当に同意した奈美も、エレベータが止まったときのことは考えなかった。そして、まさかその事態に階段を登る羽目に陥るのが自分だとも。

「よしっ」

 いまさら愚痴を言っても仕方がない、というか、聞いてくれる相手もいないので気合を入れなおして、残りの階段を制覇するべく足を踏み出した。


「ふぅ。」

 部屋に辿り着いて重いリュックを肩からおろすと、ほっとして声に出てしまう。

 また汗をかいてしまったので、服を脱ぎ散らかして、体育館で汲んできた水でタオルを濡らして身体を拭いた。


「さて、食べるか。」

 もちろんミネストローネである。このマンションには太陽電池がついていて、停電しても、照明と専用コンセントとIHコンロは使える。エレベータも使えるようにしておけよ、と思うが、動かないものは仕方がない。それでも、おかげで暖かいミネストローネが食べられて、海外ドラマが見放題なのだから、世紀末にしては充分に贅沢というものである。


 食べ終わって歯を磨くと、もうすることはない。カーテンを閉め、ビデオディスクをセットして、ベッドに横になる。

 ドラマを見ながら寝落ちするのが日課だ。何もしないで起きていると碌なことを考えないから。お酒でもあれば気もまぎれるのだろうが、親友の備蓄はとうの昔に飲み干してしまったし、奈美の調達先の酒類アルコールの棚は、どこもからっぽだ。


 暗くなっても照明はつけない。真っ暗な町の中で明りを灯すのは無用心だと思う。海外ドラマの影響過多なのは自覚しているが、あながち間違いでもないと思っている。

 このマンションには、明りのついたままになっている部屋が2つある。近隣でも、おそらく太陽電池がついているのであろう新しいマンションや戸建ての家で、明りが灯ったままの部屋をいくつか見かけた。おそらく、そのまま亡くなったのだろう。同じように着けっぱなしにすれば危険は少ないとは思うが、明るい部屋で眠れない奈美は、着けたり消したりすることになる。それはもっと危険だと思うのだ。


 テレビに大停電で次々に明りが消えていく外国の大都会が映った。悪党が引き起こした大惨事である。うろたえる住民たちと、解決のために奮闘する主人公たちの光景がその回のラストシーンだった。ディスクを交換しにベッドからおりて、ふとベランダに出る。


 かつて、グラスを片手に親友と見たそこからの風景は、遠くまで続く光の平原だった。

「きらきらだねぇ」

「ぴかぴかだねぇ」

「あのさ、あの光ひとつひとつに誰かいると思うと、くらくらしない?」

「まるでゴミのようだー、って?」

「ゴミとは思わないけどさ、すごい数じゃん? それがさ、あの光の下でなんかしてるんだよ? 食べたり話したり喧嘩したり仕事したり。」

「あー、ぜんぶ見えたり聞こえたりしたら、気が狂いそうだねぇ」

「わぁ、やっぱくらくらする。ちょっと気持ち悪くなってきた、入ろ入ろ」


 いま、ひとりで見る同じ風景にその光はない。ドラマと同じように大停電ではあるが、それはもう大惨事ではなく、もちろん奮闘するヒーローもいない。真っ暗な平原と満天の星が静かに広がるばかりである。

「あれ?」

 遠くで何か光った気がした。

「え?」

 やっぱり光った。

 赤い光がゆっくり点滅している。

 遠いせいか、微かにぼやっと言う感じではあるが、確かに点滅する光だ。

 遠くてよくわからないが、あれは海際だろうか。

 少なくとも数日前まではあんなものはなかったように思う。

(なんで? 誰が? え? 誰か居るの? あそこに? まさか。)

 もっとよく見てみたい。

(えーと、オペラグラス? じゃない双眼鏡? いや望遠鏡のが。でもそんなのどこに?

 あ、たしか高校の天文部が持ってたはず)

(もっと高いとこからならよく見えたりする? どこから? 駅前のビルの展望台は…なくなったんだっけ。近所のもっと高いマンションなら? え、でも、望遠鏡抱えて今よりたくさん階段を登るの? それ、ちょっと無理かも。)

(見るより行った方が早いかな? 場所がわかれば地図を見ながら行けるんじゃない?)

 スマホの地図が使えないのは、身にしみている。

(とりあえず、明日、地図を探そう。)


 翌日。

 

 市役所でミネストローネを頬張りながら思った。

(あ、地図、ここにあるかも)

 家を出たときには、レンタルビデオ屋の隣の本屋を探そうと思っていたが、市役所にもあるかもしれないと思いついた。

 食後、フロアをいくつかめぐるうち、壁に貼ってある大きな地図を見つけた。道路工事用か何かの、東京都内まで一枚に収まっているものだった。

(えーと、ウチがこの辺で、昨日見えたのは多分こっちのほうだから、この辺り? うーんわからん。あぁー、ちゃんとにはどっちの方角なんだろ? 小学校で習ったような…。えーと、方位磁石コンパスがあればいいんだっけ? )

 工事関係の部署みたいだから誰か持ってるかも、と辺りの机を物色する。と、引き出しの中に、文房具に埋もれた手のひらに納まるくらいの方位磁石コンパスが見つかった。


 夜になって、部屋から窓の外を見ると、やはり微かに光って見える。昨日よりも霞が濃くてぼやっとしているが、目を凝らせば見える。

 昼間のうちにいろいろ試した結果、地図上の北とコンパスの北を合わせて、両面テープで地図にコンパスを貼り付け、ベランダの床に広げて北を合わせる。そして、マンションの辺りに見当をつけて地図の裏面から画鋲を突き刺し、やはり市役所から頂戴してきた長い定規の端を画鋲に沿わせ、寝転がってベランダの柵の下の隙間から片目で目標を見ながら定規の角度を目標に合わせると地図上に線が引ける。目標はその線の上のどこかにあるはずだ。

 ベランダの床に這いつくばって片目をを閉じ、画鋲と赤い光が一直線になるよう、頭と定規を動かして、鉛筆で印をつける。

(こんなもんかな?)

 あらためて地図を見ると、川沿いを海のほうに下った辺りのようだ。もっと先かも知れないが、いまの地図ではそのくらいしかわからない。

(てことは、あ、このネズミーランドの先のほうに行けばなんか見えるかも。)

 線は、全国的に有名なテーマパークの少し左を示している。地図で見ると、テーマパークのある埋立地が海に突き出していて、周りがよく見えそうだ。もし海際なら、そこから何かわかるかも知れない。

(もちょっと細かい地図も欲しいなぁ。)

 それに車も必要だ。友人宅まで乗ってきた自分の軽自動車は、ガス欠のまま長らく放置したままだ。もちろん、給油の当ては、ない。

(あ、パパのハイブリッドならガソリン駄目でも動くかも。ナビも付いてるし。)

 それでも紙の地図も欲しい。やはり明日は本屋に行ってみよう。

(車の様子も見てこないと……)




---あとがき-------------

 想定では150m以下の建物なので、点滅してはいけませんし、遠くまで届くほどの光度もないはずですが、ケーブルを抱えてあまりたくさん昇り降りさせるのもかわいそうだったので低めの建物にしました。

 当然、途中にビル郡もあるので実際にはとても見えるとは思えません。とても位置関係が良かった、ということにしておいてください。あとの回で言い訳をするつもりにはしていますが、念のため先に言い繕っておきます。


 あ、BGMには、ぜひ、吉澤嘉代子さんの「綺麗」をどうぞ ^^;

(2020/10/22 01:00)

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