18.調達

「おはよー。はやいねぇ。」

 廊下を掃いていると、奈美が寝ぼけまなこで廊下に出てきた。まだ寝間着スウェットだ。

「おぅ、起きたか。よく眠れた?」

「うん。枕違うからどうかなーって思ってたら、もう朝だった。」

「それはよかった。」

「シャワー浴びていい?」

「もちろん。」


 2階までざっと掃除してヤカンでお湯を沸かしていると、着替えた奈美が部屋から出てきた。

「お腹すいた。」

「魚焼いてみたぞ。」

 初めて調理室のコンロを使ってみた。小さいから焦げそうでひやひやした。

「うん、いい匂いしてた。ありがと。」

「メシ、取ってきてもらっていい?」

「あ、うん。なんでもいい?」

「あぁ。」

 お湯の沸いたヤカンと皿に載せた魚と割り箸を机に並べる。

「わかめごはんにした。」

「おぅ、さんきゅー。」

 奈美は座って非常食の封を切り、尚樹がそこにお湯を注ぐ。続いて奈美が封を閉じる。見事な連携。

「あちあち。」

「大丈夫か?」

「うん。」

「あ、コーヒー飲むか?」

「え? あるの?」

「インスタントだけど。」

「いるいる、嬉しい。」

 スプーンを入れたマグカップをふたつとコーヒーの瓶を持ってくる。

「砂糖もミルクもないけど。」

「うん、大丈夫。」

 尚樹は、瓶のふたを開けて粉をマグに入れる。

「うわぁ、いい匂い。」

「インスタントだぞ?」

「それでも久しぶりだから。」

 にこにこ。

 お湯をマグに注ぐ。

「はい。自分で混ぜて。」

「うん、ありがと。」

 混ぜたスプーンを魚の皿の端に置いて、ひとくちすする。

「あぁ……。久しぶり。美味しい。」

「それは良かった。」

 尚樹もマグに口をつける。

 飲みながらふたりとも窓の外を見る。

「雨だねぇ。」

「昨日、ちょっと雲行きが怪しかったからな。」

「服屋さん行ける?」

 気になってたようだ。

「おぅ、問題ない。しま○らとユニク○、どっちにする?」

「どっちでも。近いほうでいいよ?」

「ユニク○は、ちっちゃいショッピングモールの中でな。」

「うん?」

「鍵開けるのが、たぶん、ちょっと面倒なんだよ。」

「あぁ、全然しま○らでいいよ。」

「すまん。要るものがなかったらユニク○に回ろう。」

「多分大丈夫。ありがと。」

 ふたりして所在なく雨を見る。

「ねぇ、毎朝掃除してるの?」

「まぁ、大体ね。」

「えらいねぇ。」

「一応、職員だからな。」

「えらいなぁ、」

「そうだ、きみも職員にならないか?」

 今朝、自分の名札を取る時に考えたことを思い出した。

「え?」

「ここのカギ、持ってたほうがいいだろ?」

「あぁ、そういうこと。」

 プロポーズじゃなかった。

「なにすればいいの?」

「誰か来たら、住所と名前書いてもらって非常食をわたせばいい。」

「誰が来るの?」

「近所の人。何週間も誰も来てないけど。」

「それだけ?」

「あと、気が向いたら掃除手伝って。」

「わかった。」

 要するに特段することはないってことか。

「報酬は和室の独り占めとアルファ米の食べ放題。」

「わーい、(ぼう)」

「自分で(棒)って言うな。」

「で、書類かなんか書くの?」

 あざやかにスルー。

「えーと、あ、名札作ろう。」

 首から下げている自分の名札を持って見せる。

「それだけ?」

「俺は市役所で名簿に住所と名前書いたけど、もうだれもいないし、いいだろ、そのくらいで。えーと、たしかまだ……。」

 言いながら、立ち上がって事務室に消える。やがてネームプレートを持って戻って来た。

「ほれ。」

「ありがと。」

 白紙である。マジックも渡される。

「あれ? 自分で書くんだ。」

「あ、パソコンかテプラで書こうか?」

「え? 動くの? ていうか、あるんだ。」

「あるよ。多分動くと思う。」

「うーん……。どうせだれも見ないよね?」

「多分ね。」

 それなら、そもそも名札の存在意義がないのだが、ふたりとも気付いた様子はない。

「よし、かわゆく描こう。あ、見本貸して。」

「ほれ。」

伊佐いさ 尚樹なおき』の名札を見る。お世辞にも上手な字ではない。ふりがなが振ってある。

 カードを取り出して、しばし眺め、おもむろに書き始める。

『香坂 奈美』

「あれ? こうさかって、その字か。」

(1回しか言ってないのによく覚えてたな。あ、ひょっとして、わたしの名前を確認したかった? ま、それならそれでいいか。)

「『高』い人とか『向』かう人とか、あと『匂』う人もいるね。ウチはこれ。演歌歌手さんと同じ。」

「そういや、そんな人がいたな。親戚?」

「全然。」

 尚樹のに合わせて、ふりがなを振る。

香坂こうさか 奈美なみ

 空いたスペースに、お花とネコだかイヌだかの足跡をちりばめる。

「器用だな。」

「子供たちにウケるのよ、こんなの描いとくと。」

「保母さんだったのか?」

「ぶー。はずれ。 」

 熱心に自分の名前を飾っている。

「蛍光ペンとか、色鉛筆とかない?」

「あるとは思うが……。」

 そういえば「無線のマニュアル」は、黒い字だけだった。

「いいよ、あとで探させてもらうよ。」

「すまん。」

「よしっ、こんなもんかな。」

 納得がいったらしく、とりあえずカードケースに仕舞って、首から下げる。

「どう?」

「ん、新たなアルバイト職員さんの誕生だな。とりあえず、アルファ米で乾杯するか。」

「しょぼい…… 」

「いらんなら、おれが貰うぞ。」

「あ、食べます、ください。」

「ほれ。」

「ありがと。」

 封をあけてスプーンを突っ込む。

「いただきまーす。」

 もぐもぐ。

「お魚お魚」

「冷えちゃたな。」

「大丈夫。」

 もぐもぐ。

「…… ねぇ、ちょっと生臭くない?」

「うん。なんかまずったかな?」

「冷蔵庫から出したあと、洗った? 塩とかで?」

「いや、そのまま。」

「そのせいだよ。」

「すまん、知らなかった。バーベキューのときはそんなことなかったから。」

「あれは、すぐだったんでしょ?」

「うん。」

「よし、次がんばろう。」

「すまん。」


 朝食のあと、全国チェーンの洋品店に向かった。

 小雨の中、店の裏手からギィーンという金属音が響いている。

「こんなもんかな?」

 尚樹がドリルの先端を鍵穴から抜いてドアノブを回す。はたしてノブは見事に回り、ドアが開いた。電子的なセキュリティもついているが停電で解除されている。

「すごい。こんな簡単に開くんだ。万能カギだね。」

 尚樹の後ろで、傘を差しかけて見守っていた奈美が感嘆の声を上げる。

「音と時間さえ気にしなきゃ大抵の鍵は開けられるらしいよ。」

 前に、客先が現場の鍵を無くしたせいで待ちぼうけを食らったときにお客が呼んだ鍵屋の受け売りだ。鍵の壊し方もその時に見て覚え、誰もいなくなってからあちこちでやってみた。最初は上手くいかなかったが、何度か試す間にコツがわかってきた。道具は電気屋ならあたりまえに持っている電動ドライバとドリルビットだけだ。

「傘ありがとな。これ防水だから多少はだいじょぶなんだよ?」

 中に入りながら、上着を摘んで礼を言う。

「気持ちだから。」

「すまん。濡れなかったか?」

「うん。大丈夫。」

 従業員の休憩室の前を抜けると店内だった。

「さて、お嬢様、お金のことはお気になさらず、存分にお買い物をお楽しみ下さいませ。」

 ちょっと大仰に、しかし、作業着で手には電ドラという出で立ちで言ってみる。

「そんな格好で言われても。」

 奈美は冷淡にそう言いながらヘッドライトを点ける。

 店の中は薄暗い。入口側が大きなガラスになってるとは言え、その前には棚やらマネキンやらがあり、しかも空は雨降り曇天だ。

「見事に冬物ばっかりだな。」

 店が開いてたのは、1月末か2月初めくらいまでだろう。その後は外出禁止が発令され、多くの店が閉まる。その後は入荷がないのだから当然だ。

「まぁ、真冬に夏物しか手に入らないよりはマシかな?」

「えーと……ね。」

 前を歩く奈美が振り返って言う。

「ん? 」

「ついてこなくても大丈夫だから。」

「あ?」

「ほら、あっちのほうに男物があるでしょ? ね、あっちのほうを見てくるといいよ。」

 さすがに察する。

「あー、そうだな。これから寒くなるからな、準備しとかないとな。うん、じゃ、あとで。」

 棒読みでしらじらしく言い置いて、奈美の指差すほうへだらだらと歩いて行く。

「ゆっくりねー。」

 その背中に、にこっと手を振る。

 さすがにぼろぼろの下着の代わりを見つくろうところを見られたくない。少なくとも今はまだ。

 冒険に出るつもりだったから、捨ててきてもいいようなのを選んで来たのが裏目に出た。それは下着だけではなく、多少マシなのは、昨日着ていたTシャツとジーンズくらいだ。今日のTシャツも酷いが、昨日のシャツを上に着てごまかした。ジーンズも昨日のだ。その下まで見せるつもりはないが、万が一見られてもいいようにはしておきたい。一応およめさんに立候補しているんだから。

 下着はちゃちゃっと適当に選んで、急いでTシャツのコーナーに向かう。半袖の無地に近いTシャツを何枚かカゴに入れたら、よし、これでいつ尚樹が飽きて戻ってきても大丈夫。ちょっとほっとする。

 ジーンズのコーナーで試着したほうが良いかどうか迷っていると、やっぱり尚樹が近寄ってきた。セーフ。

「ジーンズなら一年中着られるな。」

「うん、普段着には便利。芸がないけど。」

「ゆっくり選んでて。外でタバコ吸ってるから。」

「あ、うん。わかった。ありがと。」

 なんだ、それなら焦ることなかったじゃん。

「ここになかったら他のとこも連れてくから、遠慮するなよ。」

「え? あ、ありがと。」

(王子様やさしいなぁ。顔はちょっとごっついのに。わたし、運がいいかも。)

 尚樹は入ってきた裏口へのんびり向かっている。

「えーと……。うん、じゃあ、お言葉に甘えて、試着もしちゃうかな。」

 つぶやいて、奈美は本格的に物色しはじめた。


「お待たせー。」

 やっと奈美が扉から出てきた。恐らく防水の、ピンクのジャンバーを着て、大きな紙袋を抱えている。

 裏口の横、搬入口のシャッターの前で雨を避けていた尚樹は文庫ラノベを閉じた。搬入口には大きな庇がある。

「お疲れ。それ防水?」

「うん、多分。」

「要るもの全部あったか?」

「うん、しばらく大丈夫だと思う。」

 ふたりとも車に乗る。

「ドラッグストア、あるかな?」

「何が要る?」

「シャンプーとか。」

「ホームセンターでいいか?」

「うん。お酒があったとこ?」

「そうそう。シャンプーとかも残ってたはず。なかったら他にまわるよ。」

「うん。ありがと。あとビデオ屋もある?」

「あるある。本屋と一緒になってるとこ。そこも開けてある。釣りの本、見ようと思ってたから、寄るつもりだった。」

「あぁ、そうだったね。よろしく。」

「先にホームセンターな。」

「うん。」




---あとがき-------------

なんか、もう、らぶらぶなの?

っかしいなぁ、そんなはずじゃなかったんだけど……。

(2020/12/03)

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