11.A Boy Meets A Girl.
尚樹は炭と格闘していた。
くすんだ白っぽい作業ズボンに黒い長袖のTシャツに青い野球帽をかぶっている。
そろそろ8時になるのに、まだ炭に火が着かない。
(仕方ないなぁ、先にお嬢のお迎えに行くか?)
また腕時計を見て、しかしバーベキューコンロの中に視線を戻して煙草に火をつける。
(もうちょっとだと思うんだけどなぁ……)
ホームセンターに置きっ放しだった炭が湿気を吸っているのだろう。着火剤で少しは乾燥してくれた気がするのだけれど、その着火剤も、もう2個目だ。黒い炭の下から着火剤の炎だけがちらちらと見えている。あまり触るのも良くないと言うし、湿けった炭は爆発するとも聞いたので、少しコンロから離れて見ている。
また、時計を見る。あと3分。
(うーん、どうしよう……)
空を仰ぎ見る。
澄んだ青空が広がっている。
と、後ろで声がした。
「あのぅ…」
(え?)
振り返ると、女の子が立っていた。
「あっ……」
目が飛び出さんばかりに驚く尚樹。
「おはようございますー。」
緩いジーンズと上着のように羽織った白いシャツの下に、黄色いぴたっとしたTシャツを着た奈美が、にこにこして、尚樹を見ている。
「あっ、あの、無線の……。」
「はいー。」
にこっと笑う。
「あ、いや、お迎えに行こうと……」
「はいー、ありがとうございますー。」
ちょこっと、頭を下げる。
「中にいたんですけど、車の音がして、で、ちょっと待ったんですけど、いらっしゃらなくて、で、時間もあるし、ちょっと周りを見てこようかなーと思ったら、後姿が見えて……」
「あー……。すみません、なかなか火が着かなくて……」
「はい。」
にこっ。
「『ちょっと美味しいもの』ってこれですよね?」
にこっ。
「あ、はい……」
「ひょっとして、まさか、お肉とか?」
「すみません、それはさすがにありません……」
「そうですよねー……」
がっかり。
「ごめんなさい。でも、魚を釣ってきました。」
「えっ?」
「うまくいけばめっけものと思って、今朝、挑戦したら、何匹か釣れました。」
「えっ? 釣りたて?」
「はい、小さいし、僕が捌いたんで、イマイチと思いますが。」
「いえ、そんな……。新鮮なお魚なんて、何ヶ月も……。」
驚いて、というか、呆然と、というか……。
「嫌いじゃなければ良いんだけど。」
「だいじょぶです、どちらかと言うと好きなほうです。ありがとうございます。うううっ、お魚……新鮮な……」
ちょっと泣きそうな、喜んでるような……。
「あとは缶詰とかです。それでも炙ればちょっと違うと思って」
「はい、ありがとうございます。ずっとミネストローネばっかりだったんで。」
にこっ。実家でカニ缶とサバ缶は食べたし、昨夜はカレーも頂いちゃったけど、ミネストローネ以外なら大歓迎だ。
「だけど、まずは、火がおきないと。」
「あ、慌てなくても大丈夫ですよー。」
「すみません。」
「あちらにカセットコンロも置いててくださってましたし。」
にこっ。
「あぁ……、そうでしたね、最悪それで。」
苦笑するしかない。
「あの……、香坂奈美と言います。」
「あ、すみません、伊佐尚樹です。」
「よろしくお願いします。」
にこっ。
「こちらこそ。」
尚樹もようやく笑顔になった。
炭には、なんとか火が着いた。
尚樹は赤い炭の上に網を置き、さんまやら貝やら焼き鳥やらの缶詰の蓋を開けて並べていく。
「よくこんなに缶詰が残ってましたねー。」
「あぁ、ホームセンターのバックヤードに少しと、あとは、その辺の民家の台所からいただいてきたやつ。」
「え? それって、どろぼーさん?」
「んー、いや、資源活用。」
「あー、なるほど。わたしも遠慮しないでやってみればよかったかなー」
「ミネストローネばっかり、ってさっき言ってたよね?」
尚樹の丁寧語は早くも崩れている。
「市役所の保存食がそれしか残ってなくて。」
「あー、最後に無理矢理届けたやつかなぁ。」
「そんな感じでしょうか。スーパーとか、ドアが開いてるとこには行ってはみたんですけど、なんにも残ってなくて。」
「バックヤードは?」
「見てない、っていうか、思いつきもしなかったです。」
「いい子ちゃん?」
「そんなことないですけど、とりあえずミネストローネでお腹はいっぱいになったので。」
「おし、そろそろあったまったと思うよ」
トングで缶詰を掴む。
「あ、はい。」
それを奈美が紙皿で受け取ってテーブルに置き、向かい合って椅子に座る。
「「いただきます」ー」
それぞれ割箸でつまむ。
「あちっ」
「あふっ………うまいねぇ。」
「……はいー、おいしいですー。ありがとうございます。」
「たかが缶詰なのにねぇ。」
「そうですねぇ。」
にこにこ。
「あ、忘れてた。」
「なんですか?」
席を立ってクーラーボックスを開けて、中から取り出した何かを奈美に放る。
「ほれ」
「あっ」
なんとか受け取る奈美。
「あー、これーっ! ビールじゃないですかーっ!」
「お、飲めそうだな。」
にかっと笑って、椅子に座る尚樹。
「そんなに強くないですけどねー。」
と言いながらにまっと笑う奈美。
「よく残ってましたねぇ……」
「ホームセンターのバックヤードに結構な数が残っててね。」
「へぇー、すごい。」
言いながら、缶を開ける。
「「かんぱーい」」
ごくごくっ。
「「ぷはー」」
「うー、沁みますー。」
ごくっ。
「はー、うまい。労働のあとはやっぱしこれだな。」
「はい、お疲れさまです。」
ごくっ。
「あれ? これ、冷えてません?」
「あぁ、保冷剤でね。」
「え? 冷蔵庫あるんですか?」
「公民館に太陽電池がついててね。」
「おぉっ! すごいっ! てか、すごく文化的な生活してません?」
「シャワーもついてるよ。」
「え? まさか、お湯が?」
「うん、それはガスだけど。」
「ガス?」
「うん、プロパン。」
目をまん丸にして、あんぐり口を開けて、尚樹を見つめる奈美。
「おっ、おっ、……」
「ん?」
「おっ、およめさんにしてくださいっ!!!」
「え?」
いきなりすぎる。
「だって、だって、こんな、おいしいものがあって、お湯まで出て、ビールもあって……こんな、だって、わたしなんて、いつ止まるかわからない冷たいシャワーと、ミネストローネしかなくて、誰もいなくて、ビデオ見ないと眠れなくて、トイレの水を30階まで運んで……」
ぽろぽろ涙が出てくる。
「わかったわかった、苦労したんだなぁ。」
「そんな、べつに、苦労なんておもってなかったけど、でも、でも、こんなの見ちゃったら、だって、もうあんなとこ……」
「まぁまぁ、とりあえず、食ったらあったかいシャワー浴びにいこう、なっ。それから、ゆっくり考えればいいよ。」
「行ってもいいのっ? およめさんにしてくれるの?」
「いや、それはともかく、公民館にしばらくいればいいじゃん、布団もあるから」
「え? あなた、そこに住んでるんじゃないの? だったらおよめさんになるしか」
どういう理屈だ。
「いや、おれは、公民館には通ってるだけ。寝るのは、自分
「え、そこに住んでもいいの?」
「いいよ? 避難所にもなるようなとこだから和室で寝れば。」
「わーっ! ありがとうーっ!」
もう号泣である。
「わかったわかった、とりあえず、飲んで食え。」
「うーっ、ありがとーっ、(ぐびっ)」
奈美が落ち着くのを待って、アジを網で焼いた。
「んんーっ、おいしいですー。」
あちあち言いながら、奈美がうれしそうに頬張る。
ちょっと酔ったみたいで、それからは、ずっとにこにこして、ぱくぱく食べている。
「よかった、さすがに刺身はちょっと怖いから焼いちゃったけど」
「いえいえー、全然、おいしいですー」
「ほれ、まだあるぞ」
「はいー、いただきますー」
にこにこ。
「いや、こんなに喜んでいただけるとは、がんばった甲斐があったよ」
「はい、私も、まさか、赤い光の先に、こんなおいしいものがあるなんて思いもしませんでしたー。」
にこにこ。
「ビールも、まだあるぞ?」
「はいー、いただきますー」
ぷしゅ。
---あとがき-------------
やっと会えた、と思ったら、はやくもお嬢様からおよめさんに昇格?
(2020/11/09 01:00)
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