10.光の塔

 初めての無線での会話で『彼』に「あとで」と言われてから少し待つ。どうやら返事は返ってこないようだ。

 「ふぅー……」

 奈美は大きく息をついた。無線というのは終わりがはっきりしないらしい。電話なら切れたかどうか見ればわかるのに。居心地が悪いが、なんとかやり終えたっぽい。ほっとして、汗のにじんだ手からマイクを離す。

 『マニュアル』では『いつものところ』とは、ここをのことを示す。なので朝まですることはない。

 ちなみに『例のところ』は近くにあるという市役所で、もうひとつ『あそこ』がちょっと先のショッピングセンターらしい。なんでも無線というのは誰が聞いているかわからないらしく『彼』なりに用心をした結果の暗号らしい。

 それにしても『彼』の声が意外と若くてだいぶドキドキが上乗せされてどうしようかと思った。『マニュアル』の書きかたがなんとなくおじさんっぽいなー、と思っていたのだけれど。あ、声が若いだけのおじさんの可能性もあるかな?

 さて、朝までどうしよう。

 

 昨夜は、明かりを見てから車でひと眠りし、明るくなってから、この近くの堤防を目指した。国道は信号のない交差点が怖いので、高速で近くのインターまで行った。ほんの数十分で着いた。そのあと立体交差を通り過ぎたりして、「ちょっと」迷ったものの昼前には着いた。

 現在地の表示されないナビの使いにくさったら、まったく想像を絶する。

 目指した場所は、行ってみると工場の脇のなんだか寂しい堤防の端だった。そこには、きのこみたいな建物が建っていた。登れれば何か見えそうにも思ったが、近づいて見るとほぼ廃墟で、壁の剥離に備えたのか全体に網までかけてある。中に入れたところでとても安全には見えなかった。

 見渡しても高い建物は見当たらず、明かりは恐らく、その向こうに行かないと見えないような気がする。堤防は高くてとても登れないし、海も見えない。しかし、どうしてもその向こうが見たい。

 廃墟の門は、あからさまに人が一人通れるくらいに破壊されていて、一応ロープで補修した跡があるが、それすら切られていて、侵入防止の役には立っていない。年季の入った立入禁止の札が貼ってはあるが、きっと廃墟探検するやんちゃな人たちがあとを絶たなかったのだろう。

 悩んだ挙句、意を決して不法侵入して奥を目指す。すると、明らかに岸壁に登るためと思われるコンクリートの、しかしボロボロの階段があった。

(登ったら崩れたりして)

 向こう側をチラッと見るくらいなら大丈夫じゃないかな?

 階段に手をついて、よつんばいでそろそろと登ってみる。

 頭が堤防を越える。大丈夫みたい。

 そろそろと首を回すと、

(あ、)

 左手のほうにひときわ高くて細いガラス張りの建物が見えた。

(あれかな?)

 いや、それにしては、低くないか? もっと高くないとウチから見えそうな気がしない。しかし、他に候補も見えない。がんばってアレに登ったら、何か見えるかも知れないし。

 ボロ階段をそろそろと降りて車に戻り、ナビであのビルを探してみる。

 ミナトタワー? うーん…

(ま、いっか)

 とりあえず、アレまで行ってみて、夜を待とう。


 タワーには、交差点を3回間違えた「だけ」で無事たどり着けた。海を挟んであんなに近くに見えたそれは、けれど港を迂回するとそこそこの距離があり、しかも見回しても、道路沿いの建物が視界を塞いで道路からはほとんど見えない。

 そんな状態だから余計にあれではウチまで光が届きそうには思えない。

 公園入口のロータリーに車を止めると、タワーの入口らしい自動ドアが見える。車を降りてその入口に向かって歩く。陽光をキラキラと反射させてそびえ建つそれは、見上げるとそれなりの迫力だ。

 自動ドアはほぼ全開に開いていて、脇のガラスに張り紙があった。

 <赤い光の塔にようこそ>

 <入って右の「事務所」へどうぞ>

(え? 光の塔って、ゲームかなんか? 赤い光って? え? あ、そーゆーこと? )

 どうやら、ここが目指していたところらしい。

 しかし、誰かがいる気配はない。室内の明かりは消えているし、少し埃っぽい。

(だれがあの「赤い光」を?)

 恐る恐る中に入ってみる。

 意外と広い。しかし、壁も床も天井も真っ白な室内は、すっかり閉店中という感じだ。

 土産物コーナーと思しきところも、その他の什器たちもすっかり白い布で覆われている。さながら、子供向けアニメのお化けたちが静かに佇んでいるようだ。

(右に事務所…? あった。)

 壁の扉に「事務所(無断入室禁止)」と書かれている。

 そっと開けると、白い布を掛けた縦長の台の上に様々なものが置いてあった。台は事務机だろうか。

 一番手前には、黒い機械と紙の束。奥に向かってダンボール箱やらカセットコンロやら食器やら。

 近づいてみると紙の束の表紙には、

 <ようこそ 赤い光の塔へ>

 (はじめにこれを読んでください。)

 と大きな手書きの文字で書いてある。

 手に取ってぱらぱらめくってみる。

 はじめに黒い機械(無線機らしい)の使い方、そして、食べ物や洗面の説明などが続いているみたいだ。

(これって、停電前から用意されてたのかな?)

 だとすると、今となっては役に立たないかも知れない。

 ともあれ、折角なので読んでみる。

 

(発電機? 夜になると動く?)

 それで赤い光が?

 だとすると、これらが用意されたのは、少なくとも停電後。しかも、この用意されたものの様子からして最近じゃないだろうか。埃も積もってないし。そういえば、さっきのホールも、埃っぽくはあったが、床の埃は、奈美の町の市役所や体育館ほどではなかった。

(日が暮れるのって何時ごろだっけ?)

 もし、見たのがここの明かりで、マニュアルの通りに発電機がちゃんと動くのなら、日が暮れれば明かりが灯り、ひょっとするとこの無線機とやらも動くのではないだろうか?

(えーと、なになに?)

 腰を据えて最初から読み始めた。

 19時に「無線機」のマイクに話しかければ良いらしい。他にも水や食料や布団(!?)を用意してくれているとのこと。

(いたせりつくせりじゃん。)

 ヘンゼルとグレーテルの話を思い出した。

(まさか何かの罠とかじゃないよね?)

 悪い想像をするとキリがないが、それならそれで、こんな回りくどいことをしなくても、もっと他に手がありそうな気がする。

(ま、いっか。せっかく置いてくれてるんだし、私ごときを罠に掛けたところでこんな誰もいないところで何をするっての?)

 ここは開き直ることにして、マニュアルを片手に探検することにした。なにしろ、19時までまだ何時間もあるし、お腹もすいてきた。

(ご飯は、非常食ね)

 こればっかりは仕方ないだろう。

(どれどれ?)

 ダンボール箱を覗き込む。

(え? ミネストローネじゃないっ?)

 全国津々浦々に残ってる非常食が全部アレなわけじゃないらしい。それだけで希望が芽生える。我ながら単純である。

(えーと、炊き込みご飯と、わかめご飯と、カレーライス?)

 久しぶりのお米に涙が出そうだ。

 ペットボトルの水をヤカンに開けて、カセットコンロに火をつける。

 お湯が沸く間に、布団を置いてあるという奥の応接室を見に行く。大きな台の上に白い布が掛かっていて、その上に布団がたたんでおいてある。

(え? なにこれ?)

 台から垂れ下がっている白い布の端をめくると、

(あぁ、なるほど……)

 なんと、応接セットの肘掛にベニヤの板を渡して上にクッションみたいななにかを並べ、その上に布を掛けてあるようだ。(あとでマニュアルをよく見たら、キッズコーナーの床のクッションを持ってきたらしい。)

 肘掛の上にクッションの高さが加わるので、ベッドにしてはずいぶん高めだ。そばに、あからさまに置いてある木箱を踏み台にして、ためしに登ってみたら、ベニヤが厚いせいか、思ったよりしっかりしていて横になっても不安感はない。天井が近すぎるけど。

 せっかくなので、沸いたお湯でカレーライスを戻し、ゆっくり堪能する。

(うぅぅ、美味しい。生きててよかったぁ。)

 涙がにじむ。

 ゆっくり紅茶まで頂いてから、洗面セットが用意されているというトイレを見に行く。

 洗面台の上に50cm角位のタンクが置いてある。ちょっと塩素を入れた水を貯めてくれているらしい。<飲むな>と書いてある。下のほうにプラスティックの蛇口がついている。キャンプで使うようなタンクだ。

 脇に新品のタオルや歯ブラシや石鹸なんかがそろえてある。ビジネスホテルごっこみたい。

 水はありがたく使わせていただくとして、申し訳ないので、アメニティは自分のを持ってこよう。

 奥には、大きなゴミバケツ(新品ぽい)が座っている。水は満タンで、ふちに柄杓(これも真新しい)が渡してある。用を足したあと、これで流すらしい。

(なるほど)

 しばらくなら最低限の生活は出来そうだ。無線機がなんにも反応しなくても(その可能性はとても高いと思う)ありがたく使わせてもらおう。




---あとがき-------------

はじめてのダンジョン攻略(違


※次回いよいよです。(なにが)

(2020/11/05 01:00)

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