21.釣果

 尚樹は、今日はいつもの工場脇でなく、タワー近くの岸壁に来ていた。

 釣り雑誌のこの時期のバックナンバーで、この辺りでシーバスとやらが釣れるという記事を見たからだ。釣りのガイドブックで、この辺りで釣れるものを調べてみると、この時期は他の魚はまだ早いようだ。アジももう少しあとらしい。

 このシーバスなる魚は、食えるか食えないかで言うと、臭いが強いという話と、すぐに締めれば大丈夫という説とがあったが、多少臭いがあっても毒があるわけじゃないようなので、挑戦してみることにした。締めかたも一応読んだが、やってみないとどうにも良く判らない。

 そのシーバスは、この時期にはゴカイか小魚を食っているらしく、判で押したようにルアーで釣れ、と書いてあった。まったく釣りキチは研究熱心である。

 なので、昨日釣具屋でルアー釣りのセットとルアーを調達してきた。ルアーはゴカイっぽいのと小魚っぽいのを各々いくつか。

 で、今朝から早速投げてみたのだが、最初はタイミングが難しくなかなか遠くまで飛ばない。持ってきた本を片手に何度も試すうちに、ようやく形になってきた。

 そうしてルアーを投げるのに慣れてきた頃、時折アタリっぽい感触があったり、ゴカイモドキが半分にちぎれてたりして、これはイケるか? と思うと、ピタリと気配がなくなる。場所のせいか? と思いちょっと移動してみる。やはり感触はあったりなかったり。単なる錯覚かもしれない。

 ひたすらに投げては巻き、巻いては投げる繰り返しは、反応が乏しいので、どんどん苦痛になってくる。釣りキチたちはなんて忍耐強いんだろう。正直、多芯ケーブルにひたすら端子を圧着するのよりも、終わりが見えないぶん、辛い。

 そんなことをしている間に昼になって、浮かぬ顔で図書館に戻った。釣果を聞かない奈美にちょっとほっとした。が、奈美に「魚も食べたい。」と言われ、やむなく現場に戻り、竿振りを再開する。



(なんだっけ? 風呂作れって言ってたな。あ、あと、無線機の移動か。)

 他のことを考える余裕が出てきた、というより明らかに飽きてきていた。

(湯船はその辺にあると思うんだ。問題は、囲いと屋根だなぁ。あと排水。)

 たしかホームセンターにユニットバスを展示してたはず。バラしてみれば構造がわかるかもしれない。面倒だけど。

 足場短管の先を埋めてセメントで固めれば柱になるな。そのまま足場材で壁と屋根の骨格を作って内側にうまいことユニットバスが入ったりしないかな? 外側を型枠用のコンパネで覆えばいい感じの壁と屋根になりそうな……。

 まて、ユニットバスを丸ごと運ぶのは無理だ。あ、バラしたやつなら運べるか。

 あれの排水ってどうなってるんだろうなぁ? マンションとか木造一軒家の工事もやってみれば良かったかな? 社長が絶対に請けなかっただろうけど。排水は下に抜けるんだろうから、塩ビ管で受けて、道端のU字溝まで引っ張ればいいか。埋設しなくても高さが足りれば良いけどなぁ。あんまり床を高くするわけにもいかないから、突っかえるようなら掘らないといけないだろうなぁ。面倒だ…。

 てか、どこに置く? 裏口を出たとこかなぁ……。脱衣所は……、洗濯室の前あたりにカーテンでもつければいいか。突っ張り棒でできる。で、裏口が風呂の入口、って具合に行けばベストだなぁ。

 水の配管は……、あれ? 井戸からどこ通ってるんだっけ? 埋設だよなあれ。掘らないとわかんなかったりして……。手掘りだとちょっとつらいなぁ…。

 あ、プロパンは? 今のから分けてきたほうがいいかな? あれ? ガス管の工事なんかやったことないな。水の管と似たようなもんだと思うけど、テーパネジだよな、きっと。うまくネジを切れるかな? シールもどうするんだろう?

 ガス管の耐圧試験は? 窒素のボンベなんてすぐには見つかる気がしないなー。あ、計装屋が圧力計の校正に使ってたやつは? 電動のちっちゃいコンプレッサが入ってるやつ。あ、コンプレッサでいいじゃん。ベビコンくらいどっかに転がってるだろう。ブルドン管もどっか危なくなさそうなとこから頂いてこよう。根本のバルブ閉まるとこのなら問題ないよな。ほっといて圧が下がらなきゃいいんだから、校正取れてなくてもいいし。

 だめだ……、何とかなりそうだけど、面倒すぎる……。しかもすべては、ホームセンターのユニットバスの展示品の様子次第という……。

 ま、どうせ暇だし、お姫様が喜ぶんならいいんだけどね。



(お? おおおっ!!!?)

 つらつらと浴室計画を考えながら、ほぼ惰性でルアーを引いていたのだが、突然すごい当たりが来た。なにやらえらく暴れている。間違いなく何かの生き物だ。

 慌てて竿を立てて合わせ、下ろしながらリールを巻く。本で見て散々脳内シミュレーションした成果が無事発揮された。

(ぐおっ。)

 抵抗が強い。竿を立てられない。横にひく。竿が大きく、しなっている。

(無理しちゃいかんのだったな。)

 少し遊ばせてみることも大事なんだそうだ。ちょっと竿を寝かせてみる。抵抗がちょっと緩む。そおっと引いてみる。引けた。そのままリールを巻く。少し寝かせて、また引く。

 そうしてヤツに合わせて左右に移動しつつゆっくり糸を巻いていく。

 やがて、糸の先に影が見えてきた。大きい? 水面近くのまま手元に引き寄せる。時折暴れるが、幸い針は外れない。

 近くまで引き寄せたところで、口を水面から出させて……。

(あ、タモ。どこだっけ?)

 見回すと、数歩離れたところに転がっているのが見えた。

 糸の先を見ながら、そおっと網に近づいていく。時折暴れる魚くん。

(おとなしくしててくれよ?)

 竿の根元を腰で支えて片手で持ちながら、そっと網を手に取り、竿を立てて引き寄せる。

 ちょっと網の柄が短い。

「よっ、ほっ、もうちょい。」

 思わず声が出る。柵から身を乗り出すようにしてやっと届いた。

 魚が網に入ったのを確認して、竿を放り出して両手で網の柄を持って持ち上げる。

 魚が暴れる。が、網から飛び出すほどではない。網の大きさは十分だったようだ。

 よっこらしょ、っと持ち上げ、海水を汲んでおいたバケツに、網ごと漬ける。少し尾がはみ出すが、バケツの大きさもこれで良かったみたい。暴れる様子はない。ヤツもくたびれたのか。

「ふぅっ」

 ほっと一息つく。息が上がっている。

「釣れちゃったよ……。」

 自分でも驚く。

 バケツに視線をおいたまま、後ろに手をついて座り込む。網の内側で水に頭を突っ込んでいる魚くんは、じっとして、エラとクチだけを動かしている。

「釣れたよ……。」

 

 しばらく放心して魚を見ていたが、息が落ち着いたところで、しめないと、と網をひっくり返して魚をバケツにあける。

 落ち着いて見ると、やはりシーバスのようだ。折りたたみのナイフをポケットから取り出して刃を開き、手袋をつける。エラと歯が鋭いらしい。

 尾を掴んでバケツから取り出し、コンクリートの上にそっと置く。シーバスはバタバタとその身を振る。左手でクチに指を入れて頭を押さえる。右手でナイフを持って、頭にそっと当てる。エラの根元の上、側線の延長辺りだ。尾を振るシーバスの頭をグッと掴んで、ナイフを突き刺す。滑って刺さらない。痛みにシーバスがさらに暴れる。それを無理に押さえつけて、再び狙いを定めてナイフを突き刺す。今度は先端が頭に沈んだ。が、位置が違うようだ。ますます暴れるシーバス。刺したナイフをグリグリと動かす。と、動きが静かになって、やがて止まった。

 ほっとすると共に、良心に呵責を感じる。

 生き物の命を奪った経験など、小さな虫か、せいぜい小学校のときにいたずらしたアマガエルくらいなので、かなり心に響く。

(ま、俺たちが生きるためだ。勘弁してもらおう。なんばんだぶ、なんまんだぶ。)

 おざなりに手を合わせ、血抜きに掛かる。

 エラ蓋を開いて、奥に指を入れて背骨をまさぐる。背骨の下側に動脈があるらしい。それを切る。探しあてた背骨を目当てに、背骨を切るように突っ込んだナイフを動かす。やがてだらりと血がコンクリートに流れる。続いて尾鰭の根元数センチにナイフを入れて今度は背骨を断ち切る。うまく切れなくて、力をこめたとたんブツッと切れて刃がコンクリートに当たる。

(あー、まな板みたいなのがないと、あっという間に刃がぼろぼろになっちゃうな。ホームセンターの端材置き場で拾ってこよう。)

 そんなことを考えながらバケツの水の中にシーバスを頭から突っ込むと、水の中に赤黒い血が沈んでいく。そのまましばらく漬けておかないといけないらしい。

 初めてにしては、上出来ではないだろうか。ビギナーズラックか、あるいは、奇跡かも知れないが。

(なんまんだぶ、なんまんだぶ。)

 小心者なのでまた手を合わせる。

 目を開けると、ふっと力が抜けて、思わずその場に座り込んだ。

「ふぅ。」

 息を吐く。

 煙草が欲しくなる。

 ゆっくり手袋を脱いで、ぬるぬるになった手をコンクリートでぬぐうが、それでは足りない。しかたなくゆっくり這いずってバッグに近寄り、タオルを取り出して手をぬぐう。

 あぐらをかいてポケットをまさぐり、煙草に火をつけ、煙を大きく吸い込んで、吐き出す。

「ふぅ……。」

 尾が飛び出したバケツを眺める。 

「釣れたなぁ……。」

 上を向いて、曇った空に煙を吹きつける。

「釣れたぞぉーーーーっ!」

 倒れこみながら、空に向かって叫び、そのまま寝転んだ。

「釣れたぞー。」

 今度は小さな声でつぶやく。

「ざまあみろ。」

 それは、誰よりもそれを疑っていた自分への言葉だった。




---あとがき-------------

釣りは超素人なので、web記事や雑誌を元に書きました。おそらく間違いなどあろうかと思いますので、お詳しい方のご指摘ご意見など伺いたく存知ます。


ストックの少なさが露呈してしまうのですが、書いている最中に矢口高雄先生の訃報に接しました。

子供の頃、三平三平みひら さんぺいにほだされて釣り竿を握ってみるという定番ルートを辿ったのが、ほぼ唯一の釣り体験です。ちなみにお相手してくれたのはフナとヘゴチでした。

出不精が生来の気質だったようで、そのマイブームは1年も持たずに終息してしまいましたが、世の釣りキチ達が夢中になる気持ちがわからないではないという程度の経験をさせていただいたのは、今思えばわたしにとっては貴重なことでした。

膨大な著作のほんの一部しか拝読できていませんが、じっちゃんの竿に賭ける思いや魚紳さんのプロ意識なども子供心に大きく染み込んでいるように思います。

ご冥福をお祈りいたします。

本当にありがとうございました。

(2020/12/24)

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