26.田んぼ
「んーっ!」
炊き立ての白米を頬張って、奈美は言葉にならない声を上げる。
もぐもぐ。ごっくん。
「やっぱりおいしーっ! 泣きそう。」
「よかったなぁ。」
「うん、ありがと。幸せだよ、私は。」
もぐもぐ。
「お魚も美味しいし。」
「おう。」
2時間程で、なんと3匹も釣り上げた尚樹も、やや誇らしげに返事をして箸を進める。
公民館の和室のテーブルの上は、魚料理とお祝いに開けた缶詰が並んでいて、しかし、今日は酒はない。奈美が「夕飯のあとでお米の植えかたを打ち合わせしたいからお酒はなしで。」と、自らに釘を刺したせいだ。もともとそんなに強くない尚樹に異論はない。
「いやーしかし、なおきくんの釣りの腕も上がったねぇ。」
(よっぱらってねぇか?)
「たまたまだよ。じゃなきゃ時期か潮目が良かっただけだよ。やってることはこの間と変わらないんだから。」
と言っておいて、しかし自分でこう思う。
(そうか潮目か。それもあるかも。あとで理科年表見ておこう。)
食べ終わって片付けを終えると、奈美のご講義が始まった。
「まず、お湯につけてから塩で洗うの。」
「ほう。」
「それでね……。」
要するに、種を
単純に耕した田んぼに籾をばら撒けばいいと思っていた尚樹には衝撃的だったが、それよりもそのために用意しなければいけない道具や物資の量に、めまいがしそうだった。
何をどうしなければならないかを聞いた後、その方法を打ち合わせした結果、必要物資をまとめると、こんな感じになった。
<農協かホームセンターにありそうなもの>
・30Lくらいのバケツ
・数十kgまで計れる秤(できればバネ式の)
・温度計
・ブルーシート
・肥料(180kg)
・比重計(農協か近所の農家にありそう)
・網の袋
・塩 20kg
<入手済み(要調整?)>
・トラクター(土は20cmくらいまで耕すこと)
<これから考える>
・洗ったりした籾を乾かす方法(ブルーシートに撒く?)
・耕した後、出来るだけ土を平らにするなにか
・種を2cm位の土の下に埋めるためのなにか
「まず、問題は、塩と肥料だな。」
肥料は農協かホームセンターになければ、ほぼアウト。塩も量が多い上にスーパーが望み薄なので難しいかもしれない。
「お料理屋さんとかにないかな?」
お、罪悪感も薄れてきたか?
「あるかもしれない。考えてても仕方ないから分担を決めて走り回ろう。」
翌日午前中、とりあえず奈美は農協に、尚樹はホームセンターに向かった。
結果はこのとおり。
<ホームセンター>
・15Lのプラのバケツ
・30Lの練り樽と書いてあるバケツみないなもの、
・ペール缶(20L)
・30kgのバネ式の秤(乗せてはかるヤツ)
・温度計
・ブルーシート
・肥料(適当なの6袋)
・塩(1kg×5袋)
<農協>
・10kgのバネ式の秤(ぶら下げてはかるヤツ)
・温度計
・比重計
・網の袋
・肥料(米用12袋)※重いので置いてきた。
やはり塩が足りない。
地の利と鍵開けの術を持つ尚樹が塩探しの旅に出ることにして、奈美は消毒を始める。
籾を計って網袋(農協に籾専用のがあった)に入れ、バケツに60℃ちょっとのお湯を入れて10分間待ち、冷水で冷ます。言うと簡単そうだが、やってみるとかなりの重労働だ。
給湯器のお湯は、そもそも最大設定が60℃だから、バケツに入る頃には少し下がっている。仕方がないのでヤカンに沸かしたお湯を足すが、その調節がむつかしい。しかも、一度にたくさん籾を入れるとすぐ温度が下がってしまったので小分けにするが、そうすると何度もお湯を沸かすことになる。
12kgの籾の消毒を終えるのにヘトヘトになってしまった。
次があるなら、焚火かなんかで大量のお湯を作ってからやろう、と心に誓う奈美であった。
そうして、ようやく一息ついたところで、尚樹が帰ってくる。
「6軒回ってなんとか20kg弱。合わせて25kgくらいにはなったはず。」
<スーパー2軒、料理屋3軒、パン屋1軒>
・塩(1kg×2袋+5kg×1袋+使いかけ4kg位×2袋=20kg)
「ありがと。」
「なんかそっちも大変だったみたいだな。」
「うん、へとへと。」
「今日は終わりにするか。」
「うん。あ、だめ、消毒したやつ、干してない。」
見るとシャワー室の前の廊下に、ブルーシートに乗った網袋が積み重なっている。
「あー、わかった。とりあえず、座ってろ。」
「ごめん。」
軽バンの荷台を別のブルーシートで養生してから、網袋に入った籾を積む。
目指すは隣の学校の校庭の端にある土俵。ちゃんと屋根がある。昼に脚立で梁にロープを通して物干し竿をぶら下げ、その竿にS字フックをいくつも掛けておいた。できるだけ真ん中に寄るように、でもそれなりに間隔を開けて籾を網袋ごと干す。どうせ塩で洗う時に濡れるから今回はこのくらいで。
戻ると、奈美がモップで廊下を拭いていた。
「おつかれ、大丈夫か?」
「この中で水仕事はよくないねぇ。」
尚樹は雑巾で掃除の仕上げを手伝う。
「お湯が
「焚火とかすれば良かったと思って。」
「あぁ、庭にカマドみたいなの作るか。」
「それいいね。そのうちお願い。」
「おう。」
ふたりで黙々廊下を拭く。
「よし、こんなもんか。飯にしよう?」
「うん、あ、お茶漬け食べたいなー。」
「あぁ、そんな感じのがいいな。」
お湯を沸かす。今日はヤカンが大活躍だ。時計を見ると、5時を回っている。益々、無線室に通うのが億劫になってきた。早めにこっちに開局しよう。
「あ、お茶漬けの元がどっかにあったはず。」
「え? なにそれ、うれしい。」
味付きのアルファ米が届くようになってから使ってないから余ってるはずと、棚を探す。
「あった。」
棚の上から取り出した小さい段ボール箱に半分くらい。
「わぁ、結構残ってるっ!」
「何味にする?」
「梅っ!」
「じゃ、おれは鮭で。」
「ねぇっ!」
「おっ?! なにっ!?」
「……シャワーあびてきていい?」
「お、おおっ、もちろん。」
翌日。
奈美は、公民館の庭で、塩を溶かした水に籾を漬けて浮いた籾を取り除く、という作業を始めた。
大きなバケツに張った水に塩を溶かし、塩分濃度を比重計で測って1.13に調節する。塩の量は、概ね18Lの水に4.5kg。
その塩水を小さめのバケツに取って籾を入れ、浮いた籾を網で掬い取ること数回。最後に真水で洗い、網袋に戻して芽を出させるために水にひと晩つけておく。かなりの重労働だ。
尚樹はもちろん手伝いを申し出たが「田んぼに肥料を撒いて、耕してきて」と言われて、そちらの作業に向かう。こちらはトラクターに燃料を入れ、動かし方をなんとか掴み、肥料を撒いたところで昼になった。
昼飯の間も、昨日に引き続いての慣れない労働であまり会話が弾まない。
その日、奈美は塩水選をやりきり、尚樹はなんとか田んぼ一枚を耕し終えた。
魚の切り身とお茶漬けで夕食を終え、今日は二人一緒に無線室に来た。
「あのさ、」
「ん?」
「田んぼね、出来るだけ水平に平らにするのって、どうする?」
ノートを見ながら奈美が言う。
「水平かぁ。トンボで
「なにそれ?」
「レーザーが出て同じ高さを教えてくれるやつ。」
「教えてくれるだけなの?」
「んー、まぁ、そう。」
大きめの缶詰くらいの装置からレーザーポインタみたいな光が連続で水平方向に発射される。壁とかにあたると水平に線が浮かび上がり、たとえば内装屋が棚の位置なんかを決めたりするのに使われる。
田んぼのどこかに装置を置いて、光の届く範囲に棒を置くと棒の上に線が光る。棒に印をつけておいて、光の線を合わせ、地面を盛ったり削ったりして、棒の先とぴったりにするのを田んぼのあちこちでくりかえせば水平面が作れる。
「なるほど。大変そうだけど、なんとかなりそうだね。」
「土木屋じゃないからあんまりやったことなくて、田んぼ一枚一日でできるか怪しいけど。」
「時間掛かりそうだったら、大雑把でいいんじゃない? どうせ耕してやわらかくなっちゃってるし、水入れちゃうんだし。」
「まぁ、その程度でいいんならやってみるか。」
レーザー
「あとさ、種を蒔いて2センチの深さに埋めるのってなんかいい方法ない?」
これは、この間のご講義のときにも問題になった。律儀にやろうとすると、棒で土を押して穴に種を蒔いて手で土をかける。田んぼ一枚1辺30mとして、20センチ間隔だと田んぼ三枚で7万弱の穴をあけないといけない。2人で穴ひとつ10秒かかるとして1日8時間で10日以上かかる計算だ。
昔の田植えが一大イベントだった理由が良くわかる。大勢でやらないといつまでたっても終わらない。
「パイプで歩きながら2センチの溝掘って20センチごとにそのパイプに種を入れてくと早くないかな? かぶせるのは最後にトンボでざーっと。」
「20センチごとってどうやる?」
「んー、例えば印つけたタイヤを転がすとか? あ、そのタイヤにパイプをくっつければいいか。」
角度が決まれば、ちゃんと2cmの溝が掘れそうな気がする。
「自転車のタイヤだとどうかな?」
無線室の倉庫にあった自転車で20cmごとにしるしをつけると結構な数になる。シャフトも何とかしないといけない。
「ちょっとデカいなぁ。」
「どのくらいがいいの?」
「印は2つか3つくらいがいいかなぁ。そうすると……。」
計算すると、直径12cmとか20cm。
「ちっちゃいなぁ。補助輪とか三輪車くらいかなぁ。」
三輪車? パイプも固定し易そうだし、シャフトも付いてる。
あ、幅が丁度よければ、タイヤの跡が次の溝の印にならんかな?
「なんか良さそうね。」
「うん、耕し終わったら、ちょっとやってみる。」
「よろしく。」
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※7/25修正:水準器→墨出器(単純に勘違いです。お恥ずかしい。)
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