第一章 だれもいない町

1.公民館

 5月の心地よい風を頬に感じながら、伊佐尚樹は見慣れた町の見慣れた道を歩く。今日は天気もいい。昼頃には暑くなりそうだ。

 数十分歩いて公民館に着く。頑丈な鉄筋コンクリート2階建の地域中核公民館は災害時の避難所にもなっていて、外からは見えないが屋上には太陽電池が備えてある。

 いつもの通り少し重たいガラスの扉を押し開ける。鍵はかかっていない。


 玄関ホールの奥にあるカウンターには、こまごまと文房具やパンフレットなどが置いてある。カウンター裏に回り込むと、壁にさがっている自分の名札を首にぶら下げつつ、隣の名札に挨拶をした。

「おばちゃん、おはよ。点検してくるね。」


 廊下を奥へ向かって順に部屋をまわっていく。奥の階段を上って2階と屋上の様子を見て回り、1階に戻って階段脇の裏口から外に出る。建物の外周を半周回ると広めの庭だ。見回すかぎり、昨日から変わったところはない。

 庭の奥の片隅に向かうと、並んでいる三つの石の前で手を合わせて話しかける。

「今日はいい天気だよ」

 残りの外周を見て裏口に戻る。

「異常なしっと」

「さて」

 裏口を入ったところの壁の上にある分電盤を開けてブレーカをいくつか投入してから、廊下を戻り、会議室と書いてある部屋に入る。

 中には、段ボール箱が山のように積んであった。手前の床に置いてあるひとつが開封されている。その中から無造作に小箱を取り出す。

 給湯室で、水を入れたやかんをIHコンロにかけてから、小箱を開ける。

「お、アルファ米か。」

 非常食だ。会議室のダンボールにはこれらが詰まっている。ただし、どこにどんなものが入ってるか、まるででたらめ。小箱の外にはもちろん記載があるが、尚樹は、あえてそれを見ずに取り出す。なので、毎回の食事は宝くじのようなものだ。ちなみに今日の朝ごはんはアルファ米の「わかめごはん」らしい。

 沸いたお湯をアルファ米に注ぎ、インスタントコーヒーも入れる。余ったお湯を魔法瓶に入れてから、受付カウンターの椅子に座る。

「いただきます」

 この非常食を作ってここまで運んでくれた多くの人達への感謝を込めて手を合わせる。おそらく、その人達は皆、もうこの世にはいないだろうけれど。

 食べはじめてから、気がついて、カウンターの前の「午前10時 受付開始です」と書いてある札をひっくり返して「奥にいます。声をかけて下さい」にかえる。


 食べ終えたら掃除をする。

 今日は晴れているので窓を開け、ざっとハタキではたいて、机の上を拭いてまわる。床を掃いてモップ掛。畳は、ほうきで掃いてから、固く絞った雑巾で拭く。電気がもったいないので掃除機は使わない。

 それほど熱心にするわけではない。悲惨な話題が続く日々に疲れていた尚樹に、おばちゃんが「そんなに一生懸命することはないのよ。毎日すこしづつやれば、気持ちよく過ごせるでしょ? それと身体を動かすことが大事なの。」と言っていたので続けている。のんびりと、図書室で本棚をながめてみたり、音楽室でちょっとピアノで遊んでみたり、屋上で町を眺めてみたりしながら。

 

 掃除が終われば、シャワーで汗を流す。

 井戸と太陽電池とプロパンガスのおかげで、インフラが止まった今でも温かいシャワーが使えるのはありがたい。さすが災害対策公民館。

 着ていたものを水を張った洗濯機に放り込むが、洗濯するのは数日に一度だ。これも電気がもったいないので。

 

 さっぱりすると、およそいつもお昼ごろになるので、非常食を段ボールから取り出し、魔法瓶のお湯で戻して、食べる。

 このあとは、特にすることはない。

 本来なら、非常食を配給として受け取りに来る市民の相手をするのが職務ではあるが、ここ何週間も誰も取りに来ないから、今日は、先日の思い付きを試してみようと思っていた。

 

「さて、行ってみるか。」

 言い聞かせるように声に出す。

 非常食の容器をゴミ箱に放り込んで、カウンターの前の札を「ちょっと出かけています。非常食は会議室にあります。」に変え、名札を壁に戻す。

「んじゃ、おばちゃん、今日は早く上がるね。また明日。」

 おばちゃんの名札に声を掛け、ブレーカーを落としてから、公民館を出る。

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