ラベンダーのお茶をどうぞ~オレンジブロッサムと散りゆく桜~

阿紋

Ⅰ-1 雨の降る朝

 雨の降る音が聞こえる。まだ起きるには少し早い時間。もう少し寝ていようと目を閉じてみる。そして考える。

 夢の中でキスをした。見覚えのない女性と。まるで恋人のように。女の子というより、少し大人っぽい感じの女性。今までにこんな夢を見たことなんてあっただろうか。確信はないけれど、多分ないと思う。

 だいたい夢なんてものは、いつのまにか忘れてしまうもの。さっきの夢だってキスをした印象ばかり強くて、どうしてキスをしたのか、それからどうなったのか、すでに記憶が曖昧になっている。

 僕の見る夢はいつも支離滅裂で、意味不明の展開や突然の場面転換が繰り返される。キスをした場所は水辺の桟橋だったような気がするけれど、その前に僕は森の中をさまよっていた。多分、湖の桟橋なのだろう。

 でも突然、湖が海に変わってしまうなんて夢の中ではよくあること。そんなことを考えているうちにまた少し眠り、気がつくと部屋の中にはどんよりした光が差し込んでいた。

「ねえ、またフラれたんだって」

 僕の目の前であいつが僕をじっと見ている。

「何で言ってるんだ」僕がボソッとつぶやく。

 別にフラれたわけじゃない。僕は恋愛の土俵にさえ上れていなかった。

「いつものことね」あいつはそう言いながらパンをかじる。

「本当に好きだったの。ケータイの番号もメルアドも知らなかったんでしょう」

 大きなお世話と言いたかったけれど、本当のことなのだからしかたがない。それでも好きだったことには変わりないんだし。

「ごちそうさま」

 あいつはコーヒーを飲み終えて立ち上がった。

「片づけお願いね」

 いつも通りの朝の風景。食器を洗い終えて朝食の片づけが終わるころ、あいつはスーツに身を包んで出かけていく。

 そしてぼくは一人部屋に残される。

「行ってくるね。またバイトでも始めたら。もっと身近な女の子に出会えるよ」

「おまえはどうなんだよ」

 ドアが閉まった後僕はそう言ったけれど、あいつに聞こえたかどうかはわからない。そして窓の外を見て、あいつはちゃんと傘を持って行ったのだろうかと考える。

 突然玄関のドアが開いて、傘立てをまさぐるあいつの手が見えた。その手がすばやく傘立ての傘をつかむと、すぐにドアが閉まった。

 しばらくして階段を駆け下りる足音が聞こえる。あいつの持っていった傘は僕の傘。別にかまわないけれど、僕はあいつのピンクの傘がさせるだろうか。

 僕はつけっぱなしのテレビを消す。天気予報では、今日は一日雨のようだ。外に出ればそれなりにお金がかかる。今日はずっとこの部屋にいるしかないのかな。

 机に置かれたラジカセのスイッチを押すとポール・ウィリアムスの「雨の日と月曜日は」が流れてきた。ラジカセのとなりには走り書きをしたノートが開いたままになっている。

 いつも以上にひどい字だなと思った。今のうちにパソコンに入れておかないと判読不能になってしまう。僕はパソコンを開いてスイッチを入れた。

 季節が変わりはじめている。

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