Ⅳ-2 ビリー

「今日は一人なの」

 気だるそうにタバコを吸いながらビリーが言う。

「ここでバイトさせてもらおうと思って」

「で、どうだったの」

「人は足りてるって」

「それは残念」

「今日は歌うの」

「歌うけど」

 何となく気が乗らない様子。

「ねえ、何かおごって」

「何がいいの」

「オレンジブロッサム。ショートで」

「いいよ」

 ビリーは僕が返事をする前にドリンクカウンターのほうに歩いていく。ステージではアーシーなブルースをトランペットのワンホーンカルテットが演奏している。ジャズというよりもリズム&ブルース寄りの演奏。

「こないだの彼女さんはどうしてるの」

 ビリーはグラスを二つ持ってテーブルに戻って来た。ひとつはオレンジ色。もう一つは透明でオリーブが飾られている。

「これはあたしから」

 カクテルグラスが僕の前に置かれた。

「ドライマティーニ」

「乾杯しましょ」

 そう言うとビリーは持っていたオレンジ・ブロッサムを一気に飲み干した。そして僕にもそうするように目で合図する。

「大丈夫。そんなに強くしないように言ったから」

 僕はグラスを持ってドライマティーニを飲み干した。何が大丈夫だ。十分強い。

「普段飲んでないから」

「彼女さんは強いのに」

「あいつは妹だよ。わかってるくせに」

「血はつながっていないんでしょう」

 ビリーは僕の目を見てニヤリと笑う。

「そうだけど、兄妹には違いない」

「でも結婚できるのよね」

「ごちそうさま」

 ビリーはグラスを置いてテーブルからはなれていく。マティーニがかなり効いてきた。僕はグラスに残っていたオリーブを口の中にいれる。かじると油が染み出てくる。

「オリーブオイルは体にいいの。体の中からきれいにしないと」

 最近の僕たちの部屋はコーヒーとオリーブオイルの香りが充満している。パブロは喫茶店からレストランに変わりつつあるようだ。ランチだけでなく夜に食事に来る客も増えているらしい。ワインやビールも出している。

 ステージではビリーがリズム&ブルースを歌っている。そもそもジャズとリズム&ブルースとの境界はあいまいだ。ブルースとジャズとなると境界はないも同然になる。僕らは暗黙にジャズはフォービートと理解しているけれど、海外では必ずしもそうではないようだ。ビリーはシャッフルやビートの利いた曲は歌いたくなかったのかな。最後にビリーが歌ったバラードは聞き覚えのあるメロディだった。

 アイク・ケベックのサックスでよく聴いた「春の如く」という曲。ヴォーカルでこの曲を聴くのははじめてだった。

 本人はどう思っているかわからないけれど、今日のビリーは全然悪くない。

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