Ⅲ-7 ジャズクラブにて
ステージの上はまだ暗く、中央の奥にドラムセット、左側にグランドピアノ、右奥には立てかけられたウッドベースが見える。正面のマイクスタンドには箱型のレトロなマイクがセットされていて、そのマイクを見てるだけでオールドタイミーな雰囲気を感じた。
ステージから少し遠めのテーブルにカクテルがふたつ置かれている。遠めといっても小さなジャズクラブなのでステージからはさほど離れていない。
「ワクワクするね、生で聴くなんて久しぶり」
オレンジ色のグラスを持ったあいつがうれしそうに僕に言う。ジャズにはテキーラサンライズよりオレンジブロッサムのほうが合っているのかもしれない。でも、もともとはショートカクテルなのでかなり強い。まあ、あいつには問題なさそうだけど。
「お兄はいつもジントニックだね」
「浮気はしないの」
「考えるのが面倒なだけだよ」
「ふーん」
そう言ってあいつはオレンジブロッサムを一口飲む。あいつを見ていた僕の視線の先をキラキラ光る黒っぽいドレスを着た女性が横切った。
「来てくれたのね」
ビリーはあいつのほうを見てかすかに笑みをうかべた。
「ハスキーヴォイスが聴きたくて」
僕の言葉をかすめるようにビリーがステージのほうに歩いていく。ステージにはすでにミュージシャンがスタンバイしていた。
あいつはステージのほうは見ずに、何か言いたそうな顔で僕を見ている。
ピアノトリオの演奏がはじまる。スタンダード・ナンバーのようだけど、曲名は思い出せない。
「お兄のタイプじゃないね」
ステージのほうを見ながらあいつがポツリと言った。
「歌を聴きに来ただけだよ」
「ハスキーヴォイス」
ピアノトリオの演奏が終わって、ビリーがマイクの前に立つ。ピアノのイントロの後、軽快なリズムに合わせて彼女が歌いはじめた。
この曲は知っている。
「ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」
ヘレン・メリルの歌で有名な曲だ。ビリー・ホリデイの持ち歌ではない、多分。でも、彼女の雰囲気に合っているように思えた。
「お兄いいね、すごく」
曲が終わった後、拍手をしながらあいつが言った。歌い終わった後も彼女は表情を変えずに、少しうつむき気味に立っている。ピアノのゆったりとしたメロディに導かれ、バラードがはじまった。
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