Ⅴ-2 帽子の女
「ねえ、今から店に来れる」
あいつから電話がかかってくる。店が忙しいときには僕が店を手伝うことになってしまっていた。それにしても午後のこんな時間に呼び出しなんて。
ランチの客は一段落しただろうし、そんなに混む時間じゃないはず。
「そんなに忙しいの」
「いいから来て」
あいつの声がやけにはずんでいるように思えた。
「あなたの夢に出てきた人って、あたしのお姉ちゃんじゃなかった」
あいつがトイレに行っているとき、ビリーが僕に近づいてきて僕の耳元で囁くように言った。
「お姉さんいたの」
ビリーがにっこりと笑ってうなずく。
「でもお姉さんとは会ったことないし、わからないよ」
「知ってるはずよ」
ビリーは意味ありげな視線を僕に投げかけ、ステージのほうに歩いていく。急いで支度をしてパブロに行ってみたけれど、思っていたとおり店の中はさほど客もなく落ち着いている。
ランチは忙しかったようでマスターはまだ洗い物をしていた。
「マスター、あいつはどこ」
マスターに声をかけてみたけれど、洗い物に集中しているようで返事がない。しかたなく店内を見ていると、一番奥テーブルで客の帽子がかすかに揺れている。
どこかで一度見たような光景。そうかあの時の女の人だ。あいつと話をしている。
「ねえ、マスターあの人って常連さんなの」
マスターが僕に気づいてこっちを見ていた。
「そうなんだ。びっくりだよね」
「びっくりって」
「知り合いなんでしょう」
マスターの言ったことに僕のほうがびっくりする。
「お兄、ビリーさんがライブのチケット持ってきてくれたの」
あいつが僕にこう言った。
「ビリーが来てたの」
「まだいるよ、ここに」
一番奥の客が僕を見て手を振っている。ということはやっぱり夢で見た女性ってビリーなのかなあ。僕はちょっと混乱している。
「ゆずちゃんがまた来たいって言ってたから。ちょうど休みの日らしいの」
「マスターがもともと定休日なんだし、ずっと忙しかったから休もうかって言ってくれたの」
そういえばこのところパブロは定休日もなく営業していた。
「この店によく来てたの」
「開店したころから。多分あなたたちがここに来るずっと前」
「彼女のお父さんとは古い知り合いでね」
マスターが言った。
「社長さん、かなりがっかりしてたみたい」
コーヘイが水割りのグラスを揺らしながらぼくに言う。
「一度だけ見かけたことがあるんだ、パブロで」
ビリーはもうこの店を辞めてしまったようだった。
「もしかしてその記憶が夢に現れた」
「そうかなあ。でも印象が違うんだよね」
「どっかでつながってて、どっかで切れている」
「でもいいじゃない。夢のおかげでビリーに会えたんだから」
たしかにコーヘイの言うとおりだけれど、そんな単純ではないような気がしていた。いろいろ絡み合っているようで。
「あたし覚えてるよ。ビリーさんとはすぐに結びつかなかったけれど、お兄の目が帽子の女の人をずっと追っていた」
「でも、違うんだろう」
あいつはビリーにすすめられたのか、オレンジブロッサムのショートカクテルを飲んでいる。
「そう、お兄のタイプじゃない」
「じゃ、どんなタイプならいいんだ」
「それはわからないけど、お兄はわかるんじゃない」
わからないよ。あいつは僕の前に置かれたドライマティーニを自分のほうに引き寄せた。
「これも違うね。後であたしが飲む」
そう言うとあいつはドリンクカウンターに行って、ジントニックを持って帰ってきた。
「やっぱりお兄はこれでしょう。これならわかるよ」
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