Ⅲ-1 ビリー

 夕方といっても、まだ明るかった。僕は駅からつづく整備された歩道橋の上で、駅から出てくる人たちをながめている。僕のいる場所は歩道橋というよりちょっとした広場になっていて、歩道橋全体が鉄製の柵ではなくコンクリートの壁に囲まれている。僕はそのコンクリートの壁に背を向けて立っていた。

 僕の向かい側には音楽を演奏している人たちがいる。ギターを抱えて歌っている

ストリートミュージシャンではなく、ブルーグラスを演奏しているグループのようで、よく見るとギターだけではなくフィドルやマンドリンを弾いている人もいる。

しかもよく聴いてみると、プロ並みのかなり本格的な演奏。

 それなのに道行く人は、誰一人立ち止まろうとせず通り過ぎていく。彼らの演奏をちゃんと聞いているのは僕だけなのかもしれないけれど、僕にしても音楽だけに集中しているわけではない。

 まだ少し時間が早いのだろうか。でも見かけたらしいんだ。

「あの奥にいる女の子、知ってる」

「ああ、ビリーのこと」

「ビリーって、女の子だよ」

「ビリー・ホリデイが好きなんだって。なかなかのハスキーヴォイスだよ」

「あの若さでビリー・ホリデイなんて珍しいね」

「おじいちゃんの影響だって言ってたけど」

「気になるのか」

「いや、ちょっと。似てる女の子知ってたから」

「でも、今日はダメだなあ。社長さんが来てるから。絶対離さない」

「そうなんだ」

「路上アイドルからスナックの女に目標変更」

「そんなんじゃないよ。ちょっと気になっただけ」

「やめといたほうがいいよ。ゆずちゃんにバレたら大変だぞ」

「本当にそんなんじゃないよ。それにあいつにバレたって別に問題ないし」

「そうかなあ」

「そうだよ」

 ビリー・ホリデイか。麻薬とかアルコールとか、暗いイメージがあって敬遠してたけど、激安の輸入盤を一枚だけ持っていた。今夜あたり聴いてみようか。僕にとってジャズ・ヴォーカルと言えばエラ・フィッツジェラルドなんだけれど。

 仕事だってはかどっている。お金にはならないけれど。それに、路上アイドルっていつの話だよ。

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