第二十五話 後始末

 夜深く。月が己の出番を半分終えた時刻。

 獣のような声が、大田区の海沿いで上がった。


「クソ! クソクソクソッ! ふざけるな!」


 自宅の部屋で、三代目柴崎組組長、飯田直勝は一人叫んでいた。

 下の階には護衛の部下達がいるにも関わらず、荒げた声は止まらない。

 それも当然だ。長年に渡っての計画が、一夜にして水の泡となったのだから。その怒りは丸一日経っても収まらない。


 数十年前、先代が見つけた美女。彼女はミュータントで、しかも他者をミュータント出来る能力の持ち主だった。金の気配を感じた先代は彼女を監禁し、その美貌からエーデルワイスと名付け、ミュータントを作らせた。

 とは言え順調とは程遠く、条件としてクラミツハが必要だと分かっても万全のミュータントはなかなか生まれなかった。ほとんどが自我を失い暴走するか、クラミツハ中毒で使い物にならないかのどちらかだ。

 軌道に乗り始めたのは、娘、二代目エーデルワイスが産まれてからだ。

 美貌故に劣情を催す男は少なくなく、研究としても子供がどうなるかも興味深かった。強姦同然に犯された彼女は――かく言う自分も犯した中の一人で――妊娠し、娘を産んだ。

 ほどなくして初代エーデルワイスは死んだ。非人道的な実験に、欲望の捌け口に近い扱い。あまつさえ望まぬとは言え腹を痛めて産んだ子を、一度も抱くことすらなく取り上げられたのが堪えたのか、以降一度も食事を取ることはなかった。

 直勝が三代目に就任したのはそれから数年後だった。

 急病に倒れた先代の意思を継ぎ、金の卵を生む雌鳥を作り出すべく、研究に心血を注いだ。

 そのせいで犬猿の仲である天心会に遅れを取る時期もあったが、研究は見事に成果を出し、多数のミュータントを生み出すことに成功した。

 これからは柴崎組の時代だと、息巻いていたらこれだ。


「二代目が連れ去られ、取り返したと思えば研究所が襲われた!? しかも爆破されたとはどういうことだ!?」


 一本五十万はするワインを力任せに叩きつける。激しい音が鳴り床を汚しても、苛立ちは微塵も消えることはない。

 研究所は厳重な警備に守られていたはずだ。侵入者が迷いやすい構造にし、武装させた兵隊を配置、AIによる防衛も用意していた。極めつけは研究成果のミュータント達。軍隊でもやって来なければ制圧は不可能だ。


 それなのに結果はどうだ?


 制圧どころか破壊された。エーデルワイスの能力は貴重だからこそ、流出しないようにデータはあそこにしか保存されていない。奪われただけなら奪い返せばいいが、破壊されては二度と手にすることは出来ない。

 せめてエーデルワイス本人がいれば挽回のしようもあるものの、生死不明ときた。

 エーデルワイスの研究は莫大な資産が注ぎ込まれている。回収はこれからの予定だった。


「一体どこの誰だ! 数億もの大金をパアにした馬鹿者は!!」

「そう怒るなって。寿命が縮むぜ」


 不意の声に身が竦む。


「だ、だれだ!」


 何時の間にか開かれた窓から冷たい風が部屋に入る。

 普段なら海を一望出来るその場所に、男が腰掛けていた。

 顔は逆光でよく見えない。しかし派手な姿だということは分かった。赤いコートに胸元を開けたシャツ。本来ならしっかりした印象を持たせるネクタイはかなり緩く、真面目さを感じさせない。そして何より髪色だ。

 真っ白に色が抜けた髪。ミュータント化の証拠だ。

 それを確認したところで、直勝はこの男を味方だと断定した。


「貴様、研究所のミュータントだな? 襲撃された時に研究所にいたか!?」

「まあ、いたな」

「ならさっさと犯人を捕まえてこい! 組の者を何人使っても構わん!」

「そう焦るなって」


 男は部屋の中に入り、直勝に近づく。

 妙な圧迫感だ。実験で生み出されたミュータントは何体も見てきたが、ここまでプレッシャーをかけてくる者はいなかった。

 自身もそれなりの修羅場を潜っているはずなのに、足が勝手に下がっていく。

 この場の雰囲気がそう見せているだけなのか、それとも別の理由があるのか――


 背が壁に着く。それでも男は歩みを止めない。

 なおも詰め、僅か数センチの至近距離でようやく止まった。

 そこで、初めて見えた顔は


「犯人なら目の前にいるだろ?」

「――は?」


 酷く、冷めた目をしていた。


「あの世でマスター達によろしくな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る