第二十二話 別れ

「ク……ソッ! たか、ら……ワたシは、……ハん対、したのら……!」


 痺れが少しづつ抜け、男の手足は僅かだが動くようになっていた。

 同時に口の自由も徐々に取り返し、グールのような声で怨み言を綴る。


「あノじシイ、め……管理シャ、らか、シらん……ガ、口ダシしな、ければ……イマ、ころはあ……!」

「……無様な姿だな」

「!」


 エーデルワイスの部屋で倒れている男の前に現れたのは、ウェイター姿の老人だった。

 見下すような視線だ。男は倒れているから当然なのだが、無性に腹が立ち、立ち上がろうとするも痺れが未だ全身を支配している。

 結果として、もがく以下の動きを見せてしまい、それが余計に悔しく感じる。


「タマれ……! キしゃまが、エー、でるワイス、を、イ動すると、言い出さなケれバ……!」

「必要なことだったのだ」


 老人は表情を変えず、毅然として言った。


「彼女をここから逃がすには」

「ナ、に……!?」


 不審には思っていたのだ。

 唐突なエーデルワイスの移送に、手際が良すぎる拉致。移送もこの老人が言い出したにも関わらず、回収した後にここへ戻した。

 移送先が割れている可能性があるなどと言ったが、本音はこうだ。


……最初からエーデルワイスを連れ去るつもりだったのか!


「シハじゃキ組の、人間、だ、ロ! どう、シて……」

「どうして裏切ったのか、かね? 別に私は柴崎組になったつもりはないよ。ただ若い頃に脅されて、恭順のフリを続けていたらここの管理を任されただけだ」

「…………」


 つまり、最初から組に忠誠など誓ってなどいなかった。

 老人を管理者に置いたのは本家の人間だ。本家の目が節穴だったか、あるいは老人の演技が相当だったか。

 どちらにせよ一杯食わされたことには変わりない。

 頭に血が上り、ろれつが回らないまま叫ぶ。


「なゼ……いまサラに、なって!」

「……ずっと考えていたことだ」


 男とは対照的に静かに老人は言う。


「ただチャンスが巡ってきた。それだけだ」


 憤慨に全身が強張る。もし身体が自由であれば、間違いなく老人に掴みかかっていた。

 自分だって柴崎組に絶対の忠誠を誓っているわけではない。金と、世界規模で見てもレアな研究を行っているから柴崎組に属したのだ。特に後者は生き甲斐にすらなっている。

 それを簡単に台無しにされた怒りは、最早殺意の域に達していた。

 時間が経つにつれ少しづつ自由を取り戻す身体に、速く、速くと命令する。

 しかし蝸牛の如き回復速度では到底足りず、老人のゆったりとした動きの方が何倍も早い。

 その動きで、老人は懐から拳銃を取り出した。


「…………!」

「主任。君はいては再び彼女が裏社会のエサにされる。恨むなら存分に恨みたまえ。互いに多くの人を不幸にしたのだ。今更一つ二つ増えたところで変わりあるまい」


 不慣れな動きで撃鉄を起こす。

 警備兵や傭兵であれば、この間に逆転も可能だっただろう。だが男は一介の研究者に過ぎず、しかも身動き一つ取れない。


「ヤめ、てくれえ……!」

「……そう言われて、止めた研究が一つでもあったかね」


音が、爆ぜた。




「それをするのはお前じゃない」


 老人は引き金を引かなかった。

 だが主任の真横にはくっきりと弾痕が残っている。

 先に誰かが撃ったのだ。

 その誰かを、振り向いて見る。


「康之……」

「よお。こんなところで奇遇だな」




「出前のサービスでも始めたのか?」


 銃を収め、入り口の壁に寄りかかる。

 得意の軽口でなるべく場の雰囲気をいつも通りにしたかったが、そう上手くはいかないようだ。

 マスターは神妙な顔のまま、康之を見返す。


「分かっているくせにとぼけるのは悪い癖だぞ」

「……そうだな。お前は許されないことをした」


 マスターがこの研究所の責任者だということは、ユキの資料の中で見つけた。

 それまで主だったストレス下での能力の差の研究を大幅に減らし、食事やストレス緩和などの環境改善を行った結果、研究効率が上がりミュータント化の成功率を上げたと、資料にはあった。

 資料を見ればマスターは柴崎組に所属し、康之が嫌悪する行いをしてきた人間だ。しかも結果を見れば研究をより良く――康之に言わせれば悪化――した張本人。


 けど


「けど、お前なりにユキを助けようとしたんだろ」

「…………」


 ユキを苦しめない為にストレス実験を減らし、こんな環境下でも楽しめるように美味しい食事や多少の娯楽を用意した。

 初めて外に出て、本当だったら何をしたいかも分からないはずだ。それでも何かしらを要求したのは、マスターが手を加えたからだ。


「ホークアイを雇ったのだってお前だろ」

「彼がそう言ったのか」

「いや? ただ奴はユキを俺のところに連れてこようとしてたみたいだからな。わざわざ傭兵を雇って子供を押し付けるんだ。俺のことを知ってないと出来ないだろ、そんなこと」

「…………」


 否定をしないということは肯定に等しい。

 最初にこの事実を知った時は裏切られたという感想を抱いたが、真実は逆だった。

 マスターはヤクザと共に罪を犯したが、その中でも最善を尽くしたことを嬉しく思う。

 身を任せた壁から離れ、後ろを親指で差す。


「行こうぜ。――またユキにオムライスを作ってくれ」


 誘いに、マスターは諦めたようにため息を吐いた。


「私は偽善者だな」

「やらない善よりやる偽善ってな。昔から言われてる」

「かもな。だが」


 視線を戻す。


「この男は――」


 倒れていた男が、急に動き出しマスターの腕を抱くように掴んだ。


 ……銃を奪う気か!


 一旦銃を収めたことが裏目に出た。再び銃を抜き、即座に撃とうとするが


「っち!」


 男はマスターの影に隠れてしまい撃てなかった。

 その隙に男はやることを成したのか、崩れるようにしてマスターから離れる。

 マスターが撃たれる。そう判断した康之は間に入り壁となり、反射的に引き金を引いた。

 銃声が二発。男の右肩と胸に当たる。

 だが


「持ってない……?」


 男は銃を持っていなかった。

 無手のまま、しかし満足そうに倒れ伏す。


「何がしたかったんだ?」


 不審に思っていると、後ろから音がする。

 マスターだ。掴まれた腕を押さえ、苦しそうに蹲っている。


「どうした!?」

「してやられたな……」


 マスターは腕を放し、手にしたものを見せた。


「注射器?」


 献血に使うような、少し太い物だ。

 これを服の上から刺したのだろうか。


「通常、エーデルワイスを使ったミュータント化は手術を行う。どこに細胞を移植すれば最も効率良く変化するか、どの程度クラミツハを注入すれば死なないか、個人によって大きく変わるからな。場合によっては、移植した人間をクラミツハ入りの培養液に入れておくこともある」


 マスターはこれが何なのか分かっているらしい。説明している途中から、息が乱れる。


「これはそういった手順を踏まず、即座にミュータント化出来る新薬だ」

「そんなことが可能なのか」

「可能かどうかで言えば、な」


 マスターが大きく咳き込む。顔色は見る見る内に青白くなり、元々白くなりつつある髪も、黒が抜け落ちて完全な白髪に変わっていく。

 他のミュータント達と同じだ。しかし様子がおかしい。見た目こそ同じだが、常暗やインスマス達は具合が悪そうには見えなかった。これはミュータント化の初期症状なのか、それとも


「まだ研究不足の代物だ。時間、人件費、薬品。あらゆるコストの削減には成功しているが、まだ安定した結果は残せていない。本当に、ただミュータント化するだけの薬だ」

「……どうなる?」

「暴走した後に死亡する」


 淡々と語るが、康之にとっては強すぎる衝撃だった。

 数度無意味に口を動かし、ようやく言葉を発する。


「どうにかならないのか?」

「ならん」


 断言だ。

 死に際故か、言い訳すら許さない迫力に、諦めるなとすら言えない。

 完全に黙ってしまった。

 こういう時に限って得意の軽口が出てこない。何も言わなければ、認めてしまうだけだというのにも関わらず。

 そんな苦悩を見抜いたのだろう。代わりにマスターが口を開く。


「康之」

「なんだ」

「私を殺せ」


 絶句し、しかし拒絶を叫んだ。


「ふざけるな! そこのゲスと同じように殺せってのか!?」

「奴がゲスなら私もゲスだ。逆らえぬとはいえ、あまりにも多くの命を粗末にした」

「お前がいなければこれから先も被害は出ていた。お前は救ったんだ!」

「だとしても失わせたことには変わりない。一を救ったところで十の犠牲がなかったことにはならん」

「けど!」

「お前だってそうだろう」


 マスターはあらゆる言い訳を許さない。


「ユキを救った過程で、もし他の子供が死んでしまったら無視出来るのか?」

「……っ!」


 それは、出来ない。

 恐らく一生悔やみ続けるだろう。ユキの笑顔を見る度に、失った子供を脳裏に過ぎらせる。

 想像が容易なだけに、続く言葉が出てこない。


「友人に看取られるだけでも、私が犯した所業にしては過ぎた褒美だ」


 そう望むのであれば、それが最良なのかもしれない。

 康之はエーデルワイスの研究はおろか、医療についての知識もない。深く知っているマスターが無理だと言うのなら、せめて自分が幕を引くべきか。

 銃口を向ける。額を狙い、外しようもない至近距離で。グリップが、康之の代わりに悲鳴を上げる。

 マスターは優しく微笑み、目蓋を閉じた。


 ………………

 …………

 ……


「どうした。今更人殺しに躊躇するほど善人でもないだろ」

「……ふざけんな。誰でも殺せるほど悪人でもないんだよ」


 フロントサイトが床に当たり、ほっとした音を出す。

 結局、康之には撃てなかった。

 悪党を殺すためならいくらでも動く指先も、初めて人を殺した時のように動かなくなった。

 マスターは友人だ。部下でも仕事仲間でもなく、ましてやヒロインでもない。他の誰かなら撃てたという話じゃない。失いたくない内の一つだ。


「気張れよ。慣れればミュータントの身体も悪くないぜ」

「……そう、言いたいところだがな」


 マスターの額には滝のように汗が流れ出ている。もう声にも覇気がない。


「一度安心したせいか、そろそろ耐えられん……」

「頼むよ。まだユキにサンドウィッチ食べさせてないだろ」

「ここにいる時に食べさせたよ……」

「じゃあ、アレだ、カレーはまだだろ。後アレもあったな。あのー……ナポリタンだ! ユキは濃い味付けが好きだからな。きっと好きになる」

「……康之」

「二十歳になったら酒の味も覚えさせないとな。ノンアルのカクテルを飲ませてやれば慣れるんじゃないか? 今度作ってくれよ」

「康之」


 弱い声。けれど注目せざるを得なかった。


「あの子を頼んだ」

「――――」


 息を飲む。


「――任せろ、戒」


久々に呼んだ名に、彼は笑って逝った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る