第二十一話 再会

 ユキは久々に自分の部屋に戻ってきた。

 ヤスの事務所よりやや広く、ベッドと机、それから椅子と角の丸い積み木。

 それだけ。

 他には何もない、無機質な空間。例外は検査と実験だけ。その時だけはこの部屋から出れた。

 だからと言って嬉しかったわけではない。検査は別の部屋で色んな機械を身体に巻き付けられながらじっとしているだけだし、実験は身体を動かすか色んな映像を見せられ、前者はともかく後者は死体や殺し合いなど怖い映像もあって嫌だった。猫の映像が映るときだけは好きだった。その時だけは、絶対に怖くはならないから。

 それがユキの知る世界だった。

 今思えばつまらないと感じる以前は、簡素な服しか持ってなかったが、幸いにも康之から買って貰った物は没収されずにそのままだ。

 ベッドの上で猫のぬいぐるみを、ぎゅっ、と抱きしめる。

 外があんなに彩りに満ちた世界だなんて知らなかった。

 ヤスと出会う前。住む場所を変えると言われた時は嬉しかった。住み慣れたここは退屈だし良い思い出がほとんどない。だから期待した。もっと楽しい場所に行くのではないかと思ったから。

 期待は裏切られた。良い方向に。

 部屋が揺れる感覚――それが車の中だったというのは後から知った。外が全然見えないんだもん――を不思議に思いながらも、初めての体験にドキドキしていた最中だった。

 それからは初めての連続だ。

 最初は怖かった。急に誰とも知れない男の人達に連れ去られたのだから。だけどそれも一瞬。

 初めて見た空は、青く、広かった。

 見知った人を殺されて、力任せに車に押し込められても、空から目を離すことが出来なかった。だから人が降って来た時は神様かと思った。


 神様は世界を教えてくれた。


 大きな建物も、速く動く車も、ワクワクするテレビ番組も、柔らかい猫のぬいぐるみも、優しく抱きしめ添い寝してくれる人も、全て笑って教えてくれた。そして外の世界には痛いことも、辛いことも、怖いこともなかった。唯一変わりないのは、オムライスの味だけ。

 本当の世界を知ってしまえば、こんな世界、どれだけ小さいか。

 一刻も早くこの窮屈な世界から抜け出したい。


「ヤス……会いたいよ……!」


 神様の名前を呼んでも、腕の中のぬいぐるみの感触しか得られない。

 その時だった。

 扉が開いた。

 いたのは自分が望んだ人ではなく、昔から知っている大人だった。

 白衣を靡かせ、大人は優しい声で手招きする。


「おいでエーデルワイス。お出かけしよう」


 外に出るときと同じ言葉だ。

 あの時はドキドキしたけど、今は


「ヤスのところに行きたい」


 一つの場所しか望めなかった。

 大人は顔を横に振る。ヤスはしなかった表情で。


「駄目だ。彼は悪い人間なんだ。彼の傍に行ってはいけない。君は良い子だろう?」

「ヤスが悪い人なら、ここに閉じ込めてる人は良い人なの? なら悪い子でいい!」


 昔なら絶対にしなかった反発。

 きっとこれが反抗期だ。ユキは今、育ての親に反抗している。

 良いことかどうかはわからない。けどヤスと一緒にいたから生まれた気持ちなら、悪いことではないはずだ。大人の言う通りヤスが悪い人間ならそれでいい。ここにいるだけなら感じなかったことを教えてくれたから。


「外のことを教えなかったのは、君を想ってのことなんだ。分かってくれエーデルワイス」

「分からない」


 ここを離れて初めて分かった。


「ロリコンなんでしょ」

「は……?」


 とぼけたって無駄だ。

 ロリコンとは犯罪者予備軍で、人を閉じ込めるのは犯罪だ。ん? じゃあロリコンは予備軍であって犯罪者ではない? 犯罪をする前がロリコンだから、犯罪をしたらロリコンじゃない? まあ悪いことをしてる人だからいっか。


「何を言っているのか……。やはり君には外の世界は早すぎたようだ」


 困ったように目頭を押さえ、大人は一歩、部屋に入る。


「今度は正しい知識を教えよう。新しい家に着いたらお勉強を追加だ」

「反面教師だけじゃダメだぜ。都合の良いことばっか教えてたらお勉強にならないからな」


知らない声が入り込んだ。


「誰……?」




 小さい声だ。

 不安さを醸し出す声を受け止めるように、自分は堂々と名乗る。


「アタシはジュリア。康之の仲間さ」

「ヤスの!?」


 一瞬で声と表情が喜びに変わる。

 銃を突きつけた男の横から室内を覗き見ると、何もない質素な部屋に場違いな美少女がいた。

 名の如く真っ白な髪と肌を持つ彼女は、活発な表情を見せるも写真と同じ少女だった。

 彼女がユキだと確信し、銃で男を横に退ける。


「何者だ……! まさか上で暴れてる奴の仲間か!」

「分かってるなら聞くなよ」


 男は両腕を上げ、苦虫を噛み潰したような顔をする。

 さぞかし不服だろうが、無視してユキに空いた手で手招く。

 すると待っていたと言わんばかりにユキはベッドから出て、小走りで向かってきた。


「行くなエーデルワイス! 駄目だ!」


 怒鳴り声に近い叫びを上げる男。

 懇願するかのようにも聞こえるが、ユキは舌を出すだけだった。

 それが気に食わなかったのか、男は更に続けて叫んだ。


「ふざけるな! 何の為に閉じ込めてたと思ってるんだ! どうせそいつらもお前の能力目当てで連れて行くんだぞ! 分かったら黙って言うことを聞け!」


 ――一瞬、ユキの足が止まる。


 禁句でも言ったか、と思う間もなく、ユキは動き出す。

 今度は、男の下へ向かって。

 その姿に男は途端に笑みを浮かべる。汚い笑顔だ。己の欲望しか考えていない。

 強引にでも連れて行こうとも思ったが、先にユキが男の元に辿り着く。


「ふははっ、良い子だエーデルワイス。後でご褒美を――」


 伸ばした手に触れたのは、ぬいぐるみの尻尾だった。


「――――ッ!!」


 どこからか音が鳴り、瞬間、男は全身を震わせ、腕を逆の手で押さえながら倒れ伏した。そこからはうめき声を上げるだけでピクリとも動かない。

 顔の全ての穴をかっ開き、出てくる液体を垂れ流す。どこか既視感があったが、アレだ、常暗の最期の姿によく似ている。

 気絶はしていないようだが、これでは当分動き出すのは無理そうだ。

 恐らく触れたぬいぐるみが原因だろうが、ユキ自身もこの光景に驚いているようだった。

 予想外の展開に、口笛を吹きながら銃を降ろす。


「やるね」


 脅かしたつもりはないがユキがビクリと驚き振り返る。

 ここまでするつもりはなかった、と表情で語る彼女は苦笑いし


「ヤスが言ってたから。言うことを聞け、なんて言ってくる大人はこれでお仕置きしろ、って」


 持っていたぬいぐるみを見せる。

 手に取ろうとすると、ユキはすぐに引っ込めた。


「別に盗りはしないって」


 大方、護身用にスタンガンを仕込んでおいたのだろう。

 そう考えると眠そうな猫の顔が途端に凶悪に見えた。


「さ、行くぞ。康之がユキの顔を見たがってる」


 手を差し出す。

 見知らぬ人の手だ。躊躇うのも当然で、しかし頷き手を取る。

 こんな子供の手を握ったのは何年ぶりだろうか。もしかしたらないかもしれない。


 ジュリアは子供が嫌いだった。理由は単純明快。子供の時に苛められてたからだ。

 赤い髪は親譲り。染めていない自然な色だが、そう思う人は少なかった。外国人が滅多にいない今の日本で、赤髪は異質だ。大人になれば染める人もいるからそこまで目立たないが、子供で髪を染める子はいない。必然的に目立ち、苛めの対象となる。それでも母と同じこの髪を嫌いになれなかった。そして好きでい続ける為に音楽に走った。音楽の世界なら赤髪よりも派手なのがごまんといる。


 そこから紆余曲折あり、康之と出会い、気付けば子供の手を握っている。

 子供を好きになった覚えはない。けど振り解く程嫌いではなくなった。不思議なものだが、これも康之のせいかと思うと、なんとなく納得してしまった。

 ほのかな体温と弱くもしっかりとした握力を感じながら、来た道を戻る。


「ユキを確保したよ。今出口に向かってる」

『そうか。なら止まれ』

「え?」


 ホークアイの冷静な声に咄嗟に聞き返す。

 次の瞬間、廊下が響いた。


「な、なに?」


 ユキが戸惑いに声を上げる。

 上からだ。上から何か強い衝撃が来て、ジュリア達のいる廊下に音を伝える。

 立ち止まり、見上げる。

 一見、他と変わりない天井だ。上に誰かいたとしても、下のジュリア達には窺い知ることは出来ない。

 が、よくよく見ると気付く。

 真上ではなく、前方の天井。そこに亀裂のような黒い線が走っている。

 何だ、と注視した瞬間、もう一度強い衝撃が今度はより強く感じた。

 原因は見えている。前方の亀裂だ。亀裂が崩れ、騒がしい音を立てて上下を繋いだのだ。


 同時に、瓦礫と共に大きな影が落ちてくる。崩れた一部が細かく舞い、薄い煙を作る中でもその影ははっきり見えた。

 例の如く白髪で、鳥の爪のようなものが背中から逆立って生えている上裸の男だ。

 若干の息苦しさに耐えつつ、銃口を向けるが、既に事切れているのか動く気配はない。

 ユキをその場に待たせ、近づいても変わりない。胸の位置に致命傷であろう傷に気付くだけだ。

 銃創だ。この場で白髪のミュータントと敵対しているとなれば犯人は限られてくる。

 見上げると、予想通りの人物がそこにいる。


「随分派手な登場じゃないか」

「この方が分かりやすいだろ?」


 落ちてきた男と同様の白髪に赤いコート。からかうような笑みを浮かべたその顔は間違いようもない。

 ジュリアの上司にして今回の依頼人。

 上村康之がそこにいた。

 彼はコートをはためかせ、死体の真横に降り立った。


「無事みたいだな」

「ヤス!」


 その姿を見るや否や、ユキは勢いよく駆け出した。

 勢いを止めることなく抱きついたユキに、康之も両手で受け止める。

 髪の色も相まって、二人は親子のようにも見えた。


……昔のアタシもそうだったのかね。


 遠い昔を思い出していると、康之は抱き合うのを止め、こちらを見る。


「この先にエレベーターがある。そいつで先に戻れ」


 どうやら一緒には行かないらしい。どうしてか疑問に思うが、この状況でだ。何か放っておけない理由があるのだろう。二つ返事で了承する。


「ヤスは? 一緒に行かないの?」


だがユキはそう簡単に割り切れない。寂しそうな声に、康之も眉尻を下げる。


「悪いな。大丈夫だ。すぐ会える」

「本当?」

「本当さ」


 康之がユキに小指を差し出す。

 指切りだとすぐに分かったが、ユキは知らないのか首を傾げる。


「小指出して」


 言われて出された細い小指が、太い小指と絡み合う。


「指切りって言ってな。これで交わした約束は絶対に守らないといけないんだ」

「依頼よりも?」

「依頼よりもだ」


じゃあ、とユキの小さな口が言う。


「依頼で、約束で、指切りだね」

「その通りだ」


 笑って、指を切る。

 微笑ましく思う。戦場に等しいこの場所には相応しくないかもしれないが、だからこそ美しい光景だ。


「さあ行け。敵は粗方片づけたが残りが集まってくる」

「分かってる。行くよユキ」

「うん。ヤス、また後でね!」


 ジュリアは振り返らず、ユキは手を振って康之と別れる。

 再び繋いだ手は、さっきよりもずっと温かかった。

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