第十五話 奇襲

 壁が壊れた。

 同時に石膏の粉末が部屋中に蔓延する。

 激しい音のわりに軽い衝撃だったが、不意打ちだったために破片が腕に当たり黒銃が床に滑る。

 出血もしていたがどうでもよかった。それより確認すべきことがある。


「ユキ!」


 壊れたのはユキのいた部屋とリビングを遮る壁だ。

 彼女の安全を確認するために、真っ先に粉塵の中に飛び込む。

 すると


「……あ?」


 胸に何かが突き刺さった。

 よくよく見れば目の前には何者かの影があり、康之の胸部へ繋がっていた。


 刀だ。


 今時展示品でしか見ることのない骨董品が丁度心臓の位置を貫いている。

 自分でなければ即死だった。


「こういう時はパンを咥えて来るもんだぜ……!」


 反撃に出るが、そのまま胴を裂かれ銃を持った腕をも落とされる。

 見事な剣筋だ。視界が悪いのはお互い様だというのに、迷いがない。

 だがまだだ。康之のコートの裏には隠しナイフを幾つか仕込んである。

 残った片腕の袖口からナイフを取り出すと、瞬時に、今度は肩から斬られた。

 両腕を失った康之にまともな抵抗手段は残されていない。

 苦し紛れに前蹴りするも、予め分かっていたかのように同じ蹴りを繰り出され、無様にも転がり落ちる。


「タフな男よな。奇襲で殺してしまうのはもったいない」


 空中の塵が晴れる。

 そこにいたのは、室内なのに夕焼けの朱に染まった二人の男だった。

 一人は和装。長い布で両目を隠し、手には康之の血で染まった日本刀が握られている。人を斬るのそんなに楽しいのか、何度も刀を握り直してはニヤニヤと顔を歪ませていた。

 もう一人は上裸の痩躯だ。長い手足は頼りないほど細く、対して背に生えた翼は部屋をほとんど隠すほど大きく立派だ。羽毛はなく、形状もフィクションに出てくる竜に近い。対照的な身体と翼は気持ち悪さに拍車がかかり、不気味な印象を持たせる。


「いや! 放して!」

「ユキ……!」


 翼の男にユキが捕まっていた。

 暴れもがき抜け出そうにも、細腕とはいえ子供の力では大人から抜け出すのは無理だ。

 寝返りをうち立ち上がろうとするが、瓦礫が邪魔で難しい。

 落ち着いて事態を把握し始めると、新たに情報を見つけることが出来た。二人の男の共通点だ。

 髪が、ユキや康之と同じく、白かった。

 ホークアイから説明がなければただの流行かと思えたが、今は違う。

 二人とも、ユキの能力でミュータント化した存在だ。


「むう? ……これは驚いた。まだ生きておる」


 和装の男は嬉しそうにカカッ、と笑う。


「どれ、どの程度生きていられるかちょいと試して……」

「待て冗暗じょうあん


 ホークアイが、何時の間にか頭上に来て止める。


「これはこれは鷹の目殿。奇遇ですな」


 冗暗と呼ばれた男は今気付いたような口振りだが、明らかに最初から分かっていた素振りだ。


「これは何の真似だ」

「はて、何の、と問われても……我々はただ仕事をしに来ただけだが。鈴川殿がここに花の乙女がいると言うので長坂殿と共に駆け参じた次第。で、そちらは?」

「この男は何かと面倒な男でな。エーデルワイスを渡すよう交渉していた」

「それはそれは。横取りしたようで申し訳ない」


 一礼し、謝罪する。

 しかし刀を両手で握り直し、頭を上げたその顔は、口元を三日月に歪ませていた。


「某はてっきり――敵と内通していたように聞こえていたのだが」


 一線。

 下段、不意打ちの首狙い。

 下段で行ったのは回避を難しくするため、首を狙ったのは確実に殺すためだ。

 ホークアイの戦闘能力は遠距離向けで、近距離では多少腕が立つぐらいでしかない。

 剣の達人の間合いからまともに動けるわけもなく


「――無視するなよ。寂しいだろ」


 だから康之が動いた。

 立ち上がることは諦め、首の力と脚力で倒立を行った。

 支える腕がないために一瞬だが、十分だった。

 上がった脚が妨害し、両断されるもホークアイは下がり刃から逃れる。


「くどい」


 追撃が康之に向けられ、脳天を刺される。

 康之は不死身のミュータントだ。

 死にはしない。が、脳が回復するまで意識は途切れてしまう。




「やれやれ。痛覚というものがないのかこの男」

「ヤス! 起きてよヤス!」

エーデルワイス――康之がユキと呼んだ少女を尻目に、冗暗は刃を覆う血を払う。

ユキは康之の元へ向かうように暴れ、叫ぶ。

「やめて離して! ヤス! 約束でしょ、ヤスは死なないんでしょ!? 不死身のミュー――」

「冗暗!」


 言葉を遮る。

 冗暗達に康之がミュータント、それも不死身の能力だと知られるのを避けるためだ。

 少なくとも、知られて得はしない。


「何の真似だ」

「何の、と問われても……」


 繰り返しの言葉に、冗暗は喉を鳴らす。


「裏切り者を始末しようとしただけだが?」


 悪びれる様子もなく、むしろ楽しそうに答えた。


「俺のことか?」

「ふむ、言われてみれば裏切り者ではないな。――元より間者として潜り込んだ故、な」


 舌を強めに打つ。

 康之の事務所が襲われるのは知っていたが、まさかこの男がいるとは気付かなかった。いると分かっていたら接触ももう少し慎重にしたというのに。

 これは自分のミスだ。


「地獄耳め」

「そういう能力を得たのだから仕方あるまい」


 冗暗と長坂、そしてここにはいない鈴川はユキの能力によって開花したミュータントだ。

 長坂は見ての通り翼を得て空を飛び、冗暗は異常なまでの聴覚により分厚い壁の向こうの心音でさえ聞き分ける。

 この場所を特定した鈴川も厄介だが、最も厄介なのは冗暗だ。

 生来の盲目でありながら剣の腕は超が付くほどの一流。かつては室内だけとはいえヤクザの組長の護衛まで勤めたこともある。

 又聞きだが奴が持つ刀も後天性ミュータントによって作られたらしい。その切れ味は一目瞭然。長坂の翼で見づらいが、石膏ボードの壁だけでなく、コンクリートで作られた外壁すらも両断されている。

 ホークアイでさえ康之達と同じ道で来たというのに、強引な入室だ。

 一瞬、己のギターケースに目を向け、すぐに諦めた。

 ホークアイの相棒がそこに入っているが、この場で役立つものではない。何よりも開ける隙すら冗暗は与えてくれないだろう。それどころか逃げることすらまず不可能。

 情けなく思う。

 無様な死に様を晒すこともあるこの業界だが、よもや自分がこのような目に合うとは。

 だが命乞いなど真っ平御免だ。せめて仕事に忠実な男として、手傷程度は負わせたい。

 無駄に終わるだろうと予期しつつもサイドアームに手を伸ばすが


「……時間だ」


 阻止するかのように、今の今まで沈黙を保っていた長坂が口を開いた。


「左様か。この男に命を救われたな鷹の目殿」


 あっけなく、冗暗も刀を鞘に納めた。


「某としても強者が抵抗出来ぬまま殺すのは不服。もっとも、鷹の目殿とは土俵が違い過ぎる故、ここで殺すが最良だが……よそう。代わりにその目・・・で追わぬように」

「見逃すのか?」

「死にたければ首を刎ねるが?」


 不服だが、そう言われては下がらざるを得ない。

 押し黙るホークアイの心中さえ聞こえているかのように、冗暗は長坂の元へ戻る。

 すると長坂はユキを捕まえた逆の腕で冗暗の胴を掴んだ。


「花の乙女よ、しばし空中からの景色を楽しまれよ。某は見れぬ故、存分にな」

「っぺ!」


 ユキが唾を冗暗へ吐き捨てる。

 子供ながら命中率が高く、見事布の左目部分にかかった。


 ……奴はどんな教育をしていたんだ。


 率先して悪影響を及ぼすようなものを見せてはいないだろうが、いかんせん口が良く滑る男だ。スラングの一つや二つ覚えていても仕方ない。

 一拍の間が空いた後、冗暗は顔面に垂れた唾を袖で拭い、静かに


「そこの男と同じになりたいか小娘……!」


 凶相を浮かべ、ユキを言葉で刺す。

 殺意に満ちたその言葉に、ユキは呼吸に似た悲鳴を上げ、固まった。

 以降、ユキはまともに声を上げられず、ただ怯えて俯くしか出来なかった。

 無理もない。冗暗は本物の人斬りだ。

 ただ得物を手にしただけの三下と、多くの血を浴びてきた殺し屋では、同じ言葉でも重みがまったく違う。

 出来ないと分かっている脅しでも、相手を竦ませる気迫がある。

 特殊な能力を持っているとはいえ、中身はただの子供がまともに受けられるはずもない。

 大人気ない。康之ではないがそう思わざるを得ない。

 だからと言ってホークアイに出来ることはない。大人しく事の成り行きを見守るだけだ。

 静寂が生まれ、羽音が破る。

 長坂が後方へ跳躍し、翼を羽ばたかせ距離を増やす。

 壊れた南壁を出ると反転し、本来の動きで空を飛ぶ。

 速さは自動車並みだ。すぐに三人の姿は小さくなる。


 ……まだ狙える。


 だがしない。ユキが落ちて死んでしまえば本末転倒だ。

 代わりに冗暗の耳から逃れた辺りで、声をかける。


「そろそろ意識を取り戻したか?」

「……最悪の目覚めだ」


 独り言のように、低い声が瓦礫から漏れ出した。




 康之の脳は回復し、周囲の状況から結果を察した。

 ユキが攫われた。

 受け入れ難い結果に耐え切れず、自然と歯軋りをする。


「邪魔が入ったが、俺の本来の依頼を話そう」


 仕事人間だな、と自身の感情を隠しきれないまま思う。


「端的に言えばこうだ。研究名称エーデルワイスを連れ去り、安全な場所まで送れ。……連れ去られてしまったが、また攫えばいい。目的は一緒だ。手を貸せ」

「ならなんで隠れ家でユキを渡せって言った? お前俺の性格知ってるだろ」


 決して渡すことがないことぐらいこの男なら分かりそうなものだ。


「ああ言えば貴様もやる気が出るだろ」

「発破かけたってわけか? 試されるのは嫌いだ」


 やはりこの男は気に入らない。

 わざと大きく、聞こえるように舌打ちをする。


「ふざけるな」


 辛うじて動く首だけでホークアイを見る。

 変わらず表情の無い顔で、恐らく本当にユキが攫われたことは些末事なのだろう。結果として依頼が果たせれば。


「お前が手を貸せ」

「断る」

「いいや駄目だ。なぜなら――」


 自分の身体を見るように視線で促す。


「俺には今手がない」

「意外と余裕だな」


 せめて口だけでも軽くしないと、この重い空気には耐えられない。

 しぶしぶと手足を拾うホークアイの背中に話しかける。


「第一お前、ぼっちでビジネスパートナーすらロクにいないだろ。前みたいに潜入が出来ないなら人手が必要いる。アテはあるのか?」

「…………」


 拾い物をしているなかで、小さなため息がこぼれるのを聞いた。


「決まりだな。なら早くしてくれ。あの時代錯誤な野郎に一発ぶち込まないと気が済まない」

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