第十六話 作戦会議
男は家の前にいた。
新宿区北部にある高級住宅街より駅寄り。
誰もが一度は憧れる街並みから少し外れた、しかし負けず劣らずの家の前だ。
やや背の高い二階建ての一軒家。有事の際の蓄えとして屋根は勿論、庭にも小型のソーラーパネルが設置。外からは隠すように壁で土地を区切り、門から玄関まで常緑樹が隙間なく出迎える。
昼間だからか門は開かれており、男は中へ踏み入った。
遠くからでも目立つ赤い服に、特徴的なトレードマークが入った帽子。一人前用のピザ箱を片手に、玄関に着く。
チャイムを鳴らした。
『はーい』
すぐに女性の声がインターホンから返ってきた。
「帽子ピザでーす。宅配に上がりましたー」
『ピザなんか頼んでないわよ』
「えー、でも確かにここの住所ですよー」
『隣と間違えたんじゃないの』
「でもー、伊吹ひなた様の――」
銃声が二度鳴り、扉が同じ数だけ揺れた。
防音性が高い家だ。扉の目の前にいたから聞こえた程度で、周辺住宅には聞こえないだろう。
『チッ、防弾扉だったの忘れてた』
「だとしてもいきなり発砲はどうかと思うぜ」
口調を普段通りに戻すと、向こうも普段こちらに接する口調で返してくる。
『物覚えの悪い鳥頭を治す丁度良い機会よ』
「悪いけど、さっき脳みそ斬られても治らなかったから無駄だな」
『じゃあ精肉所に行ってミンチにしてもらいなさい』
「今から行ってピザに混ぜてやろうか」
『はっ、給料も払えない貧民にピザが買えるわけないでしょ』
「あ? 舐めるなよ。いろんな店の捨てるところを集めて作った0円ピザだぞ」
「早く本題に入れ」
隣の男に怒られた。仕方なく言われた通りにするが、同時に向こう側も騒がしくなった。
『エミリー? なんか銃声聞こえたけど?』
『気にしないでジュリア。ちょっとセールスがしつこかっただけよ』
「セールスに発砲するのはやめとこうぜひなたちゃん」
『あ゛!?』
「んな野太い声出してると愛しのジュリアに嫌われ――分かった分かった。分かったから蹴るなグラサン」
『……康之?』
ジュリアの介入で、いつまでも続きそうな子芝居がようやく終わった。
なんとか家の中に入れてもらった康之は、リビングのソファに遠慮も躊躇もなく座り込んだ。
「うっわ柔らか。これは寝れる。ウチのと交換しない?」
「そんなに気に入ったなら棺桶にしてあげよっか?」
「ひなたちゃん。悪いが遊んでる暇はないんだ」
「アンタが先にやったんでしょうが!? あとひなた言うな!」
金髪がキッキとややヒステリックに叫ぶ。
自然とは程遠い色で染色した短髪は、並ぶとジュリアと同じ髪型だということが分かる。
彼女は伊吹ひなた。本人はエミリーと呼ばれたがっている。ジュリアの同居人、と言うより、ジュリアが同居人と言った方が正しい。
ここは元々エミリーの家で、ジュリアは諸事情でそこに住まわせてもらっている。
「ねえジュリア、やっぱ追い出そうよ。仕事なんかしなくても傍に居てくれればそれでいいし、気になるならアタシの仕事手伝ってくれればいいからさあ」
康之に向けるのとは打って変わり、甘い声でジュリアの腕に抱きつくエミリー。
諸事情。またの名を恋の病と言う。
エミリーは正真正銘のレズビアンだ。
エミリーと外人風に名乗るのも髪を染めたのも、ひとえにジュリアと合わせたいから。
同居も当初はまだ出会って間もなく、ジュリアも拒んでいたものの、通勤の快適さや趣味のバンド活動にとって理想的な環境に折れた。しかも家賃の心配もない。
本人は払うと決めていたのだが、まあ、うん、主に俺のせいで結局払えていない。仮に払えてたとしてもエミリーが受け取るとは思えないが。
ちなみにジュリアはレズではなく、二人が付き合っているというわけでもない。あくまでエミリーが強引にジュリアを引き寄せただけだ。
ただ無防備に抱きつかれたままであり、別にエミリーのアプローチを嫌がっているわけでもなさそうだ。
……家賃を払えない負い目もあるだろうけどな。
「とりあえず話は聞いてやるよ。ホークアイもいるってことは、ワケ有りなんだろ?」
早く追い出したいエミリーとは逆に、ジュリアは腰を据えて話し合う体勢を作っている。
一方ホークアイはソファの傍にはいるが、立ってるだけで座ろうとはしない。話し合いをする気はあるが、長居する気はないのだろう。
「ま、給料を払うってのが前提だけどな」
要求は至極真っ当だ。
元より給料不払いで康之の元を離れたのだ。こうして出向いた以上、何もないというわけにはいかない。
ピザを除け、一緒に持ってきたアタッシュケースをテーブルに置く。
蓋を開け、反転させて赤と金に向けた。
二人は中身を見て、お、や、え、という声を上げる。
「これで問題ないだろ」
中身は二人の期待通り金だ。ただ、金額は予想通りとはいかなかったらしい。
一万円の束が縦向きに四つ並びで二列。比較的小型のケースではあるが厚さはそれなり。これから差し引くにしても、未払い分を大きく越す額だ。
「この金どうしたんだよ?」
「昔の金だ。万が一の為に貯めてたんだよ」
この金は全て隠れ家に隠していたものだ。
今よりも便利屋の仕事があった時、もしくは便利屋を始める前に稼いだ金だ。不死身故に出費が少ないからこそ貯められた額であり、これが全てではない。それでもこれまでの給与分には十分過ぎる。
「こんだけあるならさっさと払えよ」
流石にこれを前にすればジュリアの一方的な態度も色を変えるが、とは言え今までの不服が消えたわけでもなく憎まれ口を叩く。
「簡単に出してたら何のために貯めてたか分からないだろ。多めに用意してから大目に見ろよ」
「うわっ……」
「言っとくが今のはわざとじゃないぞ!?」
不本意なギャグを撤回して話を続ける。
「ったく……。半分はエミリー。お前への前金だ」
「アタシの? ……まあ、ジュリアにお金渡したからいいけど」
座り直し、本題に入る。
「ある子供が柴崎組に攫われた。その子を取り返す」
「また子供か……」
「ロリコンめ」
「お前ら、わりとマジな話だぞ」
ま、とエミリーがからかいながらも補足する。
「柴崎組といえば最近噂が絶えないわね。今流行の白髪のミュータント、十中八九柴崎組の仕業よ」
「流石プロの
東京に優秀な情報屋は数多く存在するが、エミリーはまさしく五本指に入る実力者だ。どんなセキュリティーもものにせず、短時間であれば都内を掌握することも不可能ではない。
その腕は高く買われ、結果豪邸を作ってもなお余る財産を保有する。
この娘が数年前まで電子機器に触ったことのない田舎の出とは到底思えまい。まさしく天才だ。本人はそう言われるのも、過去を穿り返されるのも嫌がるが。
「アンタみたいな頭の連中が増えたらそりゃ調べるわよ。鬱陶しいし。ただ、元はミュータントじゃない奴までいるのが気になるのよね。それに数年前まで金欠なのに最近はミュータント使って荒稼ぎしてるし。まさか、アンタの言うガキが元凶じゃないわよね」
当てずっぽうだろうが、見事に言い当てたエミリーに思わず口笛を吹く。
「勘がいいな」
「……え、嘘マジで?」
ここらかはお前の出番だと、ホークアイに視線で促す。
グラサンを中指で押し、
「発端は二十年近くまで遡る」
「長い。もっと最近のことから話せ」
「アタシは何をするか聞きゃそれでいい」
「アタシも。つかアンタさあ、毎回思うんだけど話そうするたびにグラサン直すの止めない? 格好つけてるつもり?」
「分かる。さっきも悠長にコーヒー飲んで待ち構えててさ、全身真っ黒で小物も黒。そういや黒タバコも吸ってたよな。絶対カッコ付けで黒選んでる間違いない」
三回撃たれた。
「ちょっと! ソファに穴空いちゃったじゃない! そういうのは外でやりなさいよ!」
「まずは人の心配をしろ田舎娘。だから寝室に鍵掛けられるんだよ」
四回撃たれた。
「外でやらなくていいのか?」
「どうせもう捨てるからいいのよ」
「……どうでもいいけど話進めようぜ」
ジュリアの言葉に渋々と銃を収める二人。
まだ傷が塞がってないのを尻目に、改めて今回の説明が始まる。
「最初に俺に依頼を持ちかけたのはとある男だった。『ある女の子が柴崎組に研究材料にされている。上手く外に出すから攫って、ある男に届けて欲しい』という内容だ。これは俺だけでなく、バッカーズという人攫いを専門にする集団との仕事だった。実働はバッカーズ、俺はサポートとして少女の拉致に成功した。……だがある男の到来があった」
「さっきっからある男ばっかだな」
「黙れ」
黙った。
実を言うとホークアイが受けた依頼についてはこの場で初めて聞いた。来る途中で説明を要求したが、どうせジュリア達にも話すのだと断られた。
だからこの先の説明に多少の驚きを覚えた。
「それ自体は問題なかった。
「……どっかで聞いたことのある話だが、お前は依頼にあった男に女の子を届けなくていいのか?」
「問題ないと言っただろう。降ってきた男こそが少女を渡す男だったからな。――上村康之。貴様だ」
だろうな、と内心頷く。
今の話は康之には身に覚えがあり過ぎた。だが
「つい最近空を飛んで車を下敷きにした覚えはあるな。だけど俺は女の子を保護してくれなんて依頼は受けていない」
「依頼せずともそうすると分かっていたということだ。実際そうなっただろう」
「誰かは知らないけど、コイツのことよく知ってる」
まったくだ。依頼という形であれば金を取れたというのに。
ジュリアが出て行こうと行かずとも、ユキが康之の元へ来ることは確実だったらしい。
自分自身の行動が事態をややこしくしたという事実が、ここに来て初めて認識してしまった。
これが身から出た錆ってやつか。
「で、依頼人ってのは誰なんだ? やっぱり俺の知ってるヤツか?」
「それは言えん」
「でしょうね。アンタもアタシも依頼人のことを易々と言えないでしょ」
エミリーにジュリアが繋ぐ。
「でもそれならアンタの仕事は終わってるはずだろ?」
「ああ。だから追加の依頼だ」
どうやらここからが本題らしい。
「察しはついているだろうが依頼人は柴崎組内部の人間だ。情報によると衣笠組を壊滅状態に追い込んだ男とエーデルワイスらしき少女が共に歩いているのを確認したらしい。そこで衣笠組が報復を兼ねてそいつの事務所に攻撃を仕掛けると耳にした依頼人は俺に再び依頼した。貴様には言った、エーデルワイスの情報を含めてな」
「エーデルワイス?」
ジュリア達にとっては初めて聞く名前だ。
「ユキ……件の子供の名前だ。そんで白髪のミュータントを作る能力を持ってる。柴崎組にとって金の卵を産む雌鶏さ」
「そんなミュータントがいたのね……。そりゃ独占したいし、取り返したくなるわ」
「成程な。通りでいつも以上に乗り気なわけだよ。じゃなきゃ、こんな大金用意しないだろ?」
「ああ。コツコツ稼いで渡すつもりだったよ」
「そりゃ何年後になるか分からないな」
「でも無様に取り返されたんでしょ?」
一言多いがその通りだ。
「だからこうして仕事として持ってきたんじゃないか」
「……やるのジュリア?」
気の進まなそうな声だ。
ヤクザと一戦やりあおうというのだ。乗り気な人間などこの場にはいない。康之は信条で、ホークアイは仕事として戦う。
この中で拒否権があるのはジュリアとエミリーだけ。
ヤクザと戦うなど百害あって一利なし。以前似たような依頼を受けたのは、やはり信条だから。ましてや柴崎組は大組織。やっぱりやらないと言われれば諦めるしかない。
問われたジュリアは覚悟を決めたのか、さほど間を置かず答えた。
「やるよ。アタシはコイツの部下で、アタシの仕事を決めるのもコイツだ」
有り難い返答だ。流石自分が見極めたパートナーだけある。
エミリーは不服そうな唸り声を上げ、やがて決心した様子でジュリアの膝に頭を乗せる。
「……分かった。やる。アンタ達に任せてたらジュリアの命が幾つあっても足りないもん」
「ありがとう。ひなたちゃん」
「殺すわよ」
しかし今回は撃たれなかった。
話がまとまったことで、ホークアイが続きを語り出す。
「研究施設は大田区にある廃工場の地下だ。依頼人もそこにいる」
「警備は?」
「いない。表向きはな」
機能していない工場に人がいると怪しまれるから、警備は地下に集中しているのか。
「侵入してからが大変そうだな」
「依頼人から侵入方法とか聞いてないの?」
エミリーが聞いているのは物理的な侵入だけではない。
クラッカーとしてネットワークに侵入出来るかどうか聞いているのだ。
「俺に依頼をしてからは一切連絡しないと言われた。金も前金で受け取っている」
「外に監視カメラとかは?」
「詳しくは聞いていないがあるだろう」
「んじゃ、そっから何とか出来るわね」
一切出来ないとは思っていない堂々とした発言が頼もしい。
「ユキを手に入れた奴らが拠点を移すことはあるか?」
「依頼人が可能な限り遅延させると言っていた。とはいえ明日の昼にはもぬけの殻だろう」
「なら明け方に作戦開始だな」
地下かつ潜入もしないとなれば時間は関係ない。ならば警備が最も油断する時間が最上だ。
「なら基本は潜入か?」
「ま、当然よね。研究所とはいえ本拠地に真正面から突っ込む馬鹿はいないでしょ」
「無理だ。出来て中に入る程度だな」
「なんでだ?」
ジュリアは疑問するが、康之は分かっていた。
「座頭市が出張ってる。かなり遠くの音でも聞き分けるから侵入してもすぐバレる」
「厄介なミュータントもいたものね」
「厄介じゃないミュータントなんていないだろ」
自分とジュリアとホークアイ。どいつも能力を知れば簡単には手を出せまい。
簡単に片づけたインスマスとて、康之が歴戦の猛者だからだ。あの舌で不意打ちを狙うだけで多くのミュータントを屠れる。
少なくとも一般人にとってミュータント程恐ろしい存在もあるまい。銃と違って意思があり、武器を取り上げることも出来ない。そういう意味では厄介程度の扱いが出来る分、康之達はマシな方だ。
「じゃあどうすんのよ? まさか正面からぶつかる気じゃないでしょうね?」
「他に選択肢があると思うか?」
「嘘でしょ……呆れた」
エミリーの言いたいことも分かる。
攻め入るは白髪のミュータントの生産工場だ。康之が会った二人――会話からもう一人いたようだが――以外にも、大勢のミュータントが待ち構えているに違いない。
先程康之達にとっては厄介程度と評したが、数で攻められれば話は別。相手の能力にもよるが十中八九負ける。
だがあの盲目の男――冗暗がいる限り潜入は不可能だ。そして冗暗を排除するなら中に入るしかない。矛盾だ。解決策は――
「ソイツは耳が良いだけなんでしょ? ならジュリアなら潜入出来るじゃない」
ないことはない。だが康之は否定する。
「ジュリア一人行かせる気か? こいつだって姿を消せるわけじゃない。見つかったら簡単に助けに行けないんだぞ」
「そ……れは、分かってるわよ……」
ジュリアを信頼しているからの提案であり、愛しているからこそすぐに引き下がる。
康之も上手くいけばそれが一番楽なのは分かっているが、どんなミュータントが潜んでいるのか分からないのだ。ホークアイだって全てのミュータントを知っているわけではない。単独での潜入はリスクが大き過ぎる。
「アタシは構わないよ」
「駄目だ」
「駄目よ!」
二人の声が重なり、後者が立ち上がり前者を指差した。
「コイツと違ってジュリアは一回死んだら終わりじゃない! コイツなら何回でも死んでもいいけど、お願い、アナタは自分の命を大切にして」
「その通りだが俺が言った方が説得力あったな」
舌を出してきたので無視する。
「分かったよ。やめとく」
「ならどうする? 先程の案で行くのか」
ホークアイに頷く。それしか選択肢はない。
「だが成功率は可能な限り上げるぞ」
「具体的には?」
「簡単だ」
ジュリアを潜入させる案だ。
「
「……それは作戦というのか?」
「しゃーねーだろ。チマチマやってたら日が暮れちまう。とにかく俺がゴリ押して二人が援護。ジュリアがユキを救出し次第撤退。他に案あるやついるか?」
全員が視線を合わし、肩をすくめる。
「無謀甚だしいわね」
「うまく康之が敵を引き付けられなきゃ終わりだな」
「大丈夫だ。大立ち回りは得意だからな」
一枚の写真を手渡す。事務所に来た男から受け取ったものだ。
「この子だ。多分、猫のぬいぐるみを持ってるから目印にしてくれ」
「恐らく最奥にいる。エーデルワイスの研究資料は当人を含め重要に保管されているからな」
分かった、とジュリアが受け取り懐にしまう。
作戦として上等と言えないが、この人数ではこんなところか。
「やはりもっと頭数が欲しいな」
「同感だな。けど信用できない相手ならいない方がいい」
ユキの、エーデルワイスの能力は貴重だ。
他者に影響を及ぼすだけならまだしも、ミュータント化となれば横取りしようとする輩が増えるかもしれない。ユキの平穏を望む康之にとってそれは避けたい選択だ。
だが、とも思う。
この施設は康之の逆鱗に触れる。それに残っていれば再びユキが危険に晒される可能性が高い。本音を言えば完膚なきまでに潰したい。その為にはこの人数ではまったく足りない。
矛盾だ。
人手が欲しいのに、人を増やしたくない。
この人数でも地下施設を破壊出来る道具があれば話は別だが……
「……手がないわけではない、か」
しかもその手は康之一人で事足りる。
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