第六話 異能VS異能

 どうやら、前の依頼人は死んだらしい。

 犯人が自首もせずにこんな所にいるのは誠に遺憾である。

 ここは犯人逮捕に協力するのが筋だが、現行犯ではないし、むしろ自分が殺人の現行犯なので見逃してやる。運が良かったな。


 鋭く厳つい殺意に満ちた眼孔が康之を見つける。

 初対面では筋肉と知能を等価交換したような印象を持ったが、流石に数十分前に出会った相手を忘れるほど知能は下がっていないようだ。

 驚くと同時、見るからに怒りの感情が湧き出ている。


「イきていたのか!」

「ナイスパンチングだったよ。ホームランボールの気持ちがよく分かった」

「ガキはドコだ!」

「ガキ?」


 男は仲間が荷物を持っていったと言っていた。

 だから康之は荷物の中身は知らない。だが、


「そういうこと……」


 どこかから連れ去られたような子供なら見た。

 そして自称使用人とハルクが仲間と仮定するなら、クッションになった車の運転手は男の仲間だったのだろう。

 知らず知らずのうちに人身売買の手伝いをさせられていたようだ。


 ――不愉快だった。


 依頼内容を詰めなかった自分も悪い。

 それでも子供をエサにするのは気に食わない。どこの誰が犯罪に巻き込まれようと知らないが、子供が被害者になるのは心底気分が悪い。


「てめえらみたいなクズが子供巻き込むからこの国は一向に良くならないんだよ」

「イわないならシね!」


 ハルクは雄叫びを上げながら突貫する。

 恐らく少女には気付いていないのだろう。いや、気付いていたところで止まらないか。

 ここでは少女と近すぎる。迷わず康之も走り出した。

 ハルクはやはり巨大だけあって早い。デカい奴はノロマなんてのは嘘だ。

 一歩の大きさと速度を生む筋力。康之が三割の距離を詰める間に、ハルクは残りの全てを詰めた。

 その勢いのまま分厚い拳のストレートが振り下ろされる。

 このまま行けば直撃コース。今度は下からではなく上からなので飛べはしない。

 左に避ければボディに潰される。右に避ければ左腕が伸びる。

 だから――上に避けた。

 側転。迫る拳に走る速度を殺さず掌を乗せ、腕の上を側転しながら背後へと渡った。

 ハルクの肩に足をかけ、空中回転をかまして着地ポーズ。

 両腕を高らかに上げて叫ぶ。


「十点! 十点! 十点! 十点!」


 見事な着地に自己評価オール満点だ。

 姿のない審査員に深くお辞儀する――真上を拳が振り抜いた。

 振り向きざまに三発放つが、分厚い腹筋に僅かな弾痕が残っただけで効果はまったくない。

 こういう経験は何度かあったのだろう。余裕の笑みを浮かべるハルク。

 そこからは一方的な暴力だった。

 康之を殴り飛ばしたような一撃ではなく、確実に殺そうとする動き。

 腰の入った横殴り、超高速のストレート、両の拳を合わせた叩き潰し。

 どれも殺意に満ち溢れた必殺の一撃だ。まともに喰らえば、硬化能力のミュータントでなければ原型すら留めぬだろう。

 ――無論、当たればの話だが。

 暴虐の嵐はいずれも康之に一歩及ばない。

 紙一重で、全て避けていた。


「どうした? 映画じゃもっと速かったぞ」


 挑発に乗った一撃をバックステップで容易く回避する。

 一度KOされた相手にどうしてここまで立ち回れるのか――それは単純な話だ。

 元からなのか巨大化した影響なのか、ハルクには隙が大きい。

 瞬発力とパワーで誤魔化してはいるものの、所詮速さで誤魔化しているだけ。予備動作や力を入れるタイミングが丸分かりだ。

 康之が飛ばされたのも不意打ちだからというだけ。


「アンタは見てくれだけの劣化ハルクだ。帰ったらカラーリング変えな」


 またしても大振りな一撃。

 イタチごっこの如く回避すると、ふと背中に何か当たった。

壁だった。

 いつの間にか、ビルの壁まで下がっていたようだ。


「……脳筋に見えて実は策士?」


 返答は拳だった。



 桁外れのパワーと硬度を持った圧が、砂糖菓子を割るようにコンクリートの壁を易々と砕く。

 粉塵と化したコンクリートと剥き出した鉄筋が威力を物語る。


 ――だがしかし、手応えがない。


 いかに硬い拳だろうと肉体の一部。柔らかいものと硬いものを殴った違いぐらいは分かる。

 今の感触には肉を殴った感触がない。ただコンクリートを殴っただけの感触だった。

 不審に感じ穴の空いた壁を覗いても、その内にも外にも肉塊はない。人が慌てて逃げるホテルのエントランスが見えるだけだ。


「やだねえ興奮しちゃって」


 後ろからだった。

 振り向くといつの間に回り込んだのか、殺すはずだった男が綽々と立っていた。

 一瞬にして頭に血が上る。

 まともに己と戦えるミュータントでもないのに鬱陶しい。もはやガキの情報などどうでもいい。早く死ね。

 今度こそ逃げられないように全速力で走り、全力で腕に力を込める。

 獲物は目前。もう微動だすらしない――否、己がさせない。


「シねええええええぇぇぇぇ――!」


 殺せる。そう確信し


「アソコが爆発しそうなくらいカチカチだ」


 ――爆発した。


 比喩でもなんでもなく、己の股間が爆発した。

 いくら肉体が強化したところで無視出来ない痛みもある。

 それが、これだ。

 股間へのダメージは男なら誰でも理解出来るだろう。9mmが効かない身体になっても、ソコだけは限度がある。

 ましてや爆発だ。巨人化していなければ死んでいただろうが、今まさに死ぬほど痛い。

 何故ソコが爆発したのか、疑問すら吹き飛ぶ耐え難い痛みに思わず膝を着く。

 我慢するのに自然と身が丸くなるが、その途中、髪を掴まれた。

 その程度は痛くともなんともないが、抵抗出来るほどの余裕もない。

 今、殺そうとした男と目が合った。

 男は冷笑を浮かべ、何の躊躇いもなく“何か”を口の中に突っ込んだ。

 近すぎて見えない“何か”はそこそこ硬そうではあるが、あくまで己の基準だが力さえ入れば容易く噛み砕けそうだった。

 男は言う。


「ミュータントってのは一見無敵に見える能力を持っててもな? 意外と弱点が多かったりするんだ」


 何を偉そうに。

 まあいい。せいぜい油断して長話を続けていればいい。

 痛みが治まり次第、握り潰して殺してやる。


「分かりやすいところだと……皮膚が硬くて鉛玉も通らなくても、内側からの攻撃には弱い奴が多い」

「…………!」


 理解するのに少しの間があった。

 そして意味を理解した瞬間、口の中の“何か”を噛み砕こうとし――


「イかせてやるよ」


 フルバーストが口内に叩き込まれる。

 意識は、半分と持たなかった。



 完全に撃ちきった。

 本日三度目のフルバースト。

 消費弾数六十発と手榴弾。戦果と比較すると少々もったいない。

 だがハルクは完全沈黙し、立ち上がる様子もない。

 再び敵が来ないとも限らない。リロードをしながら周囲を警戒するが、今度こそ誰も来る気配はなかった。

 銃をホルスターに収め、少女へと駆け寄る。


「お待たせしましたお姫様。お怪我は?」


 跪き、わざと大げさに手を伸ばす。

 少女はそれを座って見るも、すぐに視線を動かした。


「……死んだの?」


 ハルクだ。

 康之も一緒に視線を向ければ、緑の巨体がうつ伏せに倒れている。


「そうだね。俺以外アレで生きてる奴はいないだろうね」


 9mmとはいえ口内に二十発もの弾丸を打ち込まれたのだ。原型を保っているのはタフなミュータントだからに過ぎない。

 もしこれで生きていたら以後の宿敵になるに違いない。しかも最終話まで出てくるタイプの。

 生憎と康之にはそういう相手は間に合っている。


「怖い?」

「え?」


 なんで、というような顔を浮かべる少女。


「ううん。……ああいう人は、殺してばかりで、死なないと思ったから」

「……随分と大人な意見をお持ちで」


 子供のものとは思えない言葉に、眉を潜める。

 一体どんな境遇で育ったのか気になるところだが、それを打ち切るようにサイレンと音が聞こえて来る。

 救急車とパトカーのものだ。


「ゆっくりなご到着に一言申したいが、顔は合わせたくないな」


 一瞬、少女を引き渡そうと考えたが、止めた。

 自分はこの少女から依頼を受けたのだ。

 ……少なくとも、事と次第を把握しないと返せないしな。

 少女を脇から持ち上げて抱きかかえる。お姫様抱っこだ。

 バス停に運んだ時も思ったが、軽い。小柄ということも差し引いても健康状態が不安になる。あれだけの事故に巻き込まれて傷が軽いのが信じられない。だが事故に加え銃撃戦もあれば興奮で痛みを忘れることもある。しっかりとした検査をしなければならない。

 驚きで出た小さな悲鳴を無視して歩き出す。


「自分で歩ける」

「ダメダメ。怪我人歩かせるわけにはいかないから」

「そっちの方がすごかった」

「俺はもう治ったの。ヒーリングファクターだから」

「ひーり……?」

「それにまだ全部痛いんだろ。いいから楽してな」

「むぅ……」


 反論出来ずに口を結んだ。

 サイレンの音が近づいてくる。

 時間はあまり残されていない。


「急ぐぞ。掴まれ!」

「うん」

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