第七話 新生活・前
現場から逃げてまず最初に向かったのは病院だった。
正規の病院じゃない。裏家業専門の闇医者だ。
帰りたくないとの御依頼なので身分を求められる病院に行くわけにはいかない。
体質から怪我とも病気とも無縁だが、コネというものは多い方がいい。時として彼らは並の情報屋を上回る。
口止めを含めたたっぷりの診察代を要求されつつ、少女の治療をしてもらう。
結果として怪我の具合は軽傷のみだった。内臓の損傷も骨折もなく、健康上も問題ない。ただし事故は後から症状が出てくる場合もあるので、その時はまた来るようには言われた。
その結果に一抹の違和感を覚えた。
少女が着ているのは患者服。途中で着替えたわけではないのは道中の会話で明らかにした。少女の話では別の場所に移動する最中に襲われたとのことだ。であればつまり、直前まで病院、或いはそれに準ずる施設にいたことになる。
であれば一切問題ないのはおかしい。何かしらの疾患や障害があるはずだ。
とはいえいくら腕の良い医者とはいえ所詮闇医者だ。精密検査が出来るほど整った設備はない。いささか不安が残るが、うまくやっていくしかなさそうだ。
包帯と薬を受け取り、家に帰る頃には夜中になっていた。
患者服のままでは目立つので、治療された上にボロボロのコートを巻きつけている。それはそれで目立ちそうだが、幸い誰にもつけられずに帰ってこられた。
来客用のソファに座らせ、康之はキッチンへと向かった。
「汚い部屋だが我慢してくれ。明日辺り掃除する」
冷蔵庫を開けるが、中は缶ビールと生卵だけしか入ってない。
「腐ってやがる……」
食うのが遅すぎたんだ。
食べなくても死なないから食品管理に関してはどうも甘くなる。
探せばカップ麺があったので、とりあえず湯を沸かす。
「ラーメンとうどん、どっちがいい?」
「え? えっと……どっちでも……」
病人に食わせるものではないが食わないよりマシだろう。まともな食事は明日からだ。
沸くまでの時間、少女の方を向く。
少女は局促不安と落ち着かず、室内をキョロキョロと見渡していた。
一匹の止まった羽虫に気付くと、今度は穴が空くほど見つめる。手を伸ばすが、恐る恐ると出すので到底捕まえることは出来ない。虫は羽ばたいて、おちょくるようにまた近くに止まった。それを数度と繰り返す。
「まるで子猫だな」
独りごちた声は少女に届かない。
「おーい」
今度は聞こえるように言う。
すると虫を捕まえるのを止めて応える。
「なに?」
「名前、なんて言うんだ?」
帰ってくるまで少女の名前を聞くことはなかった。
出会いが出会いだし、闇医者に行って帰るまで極力人の目を避けねばならなかった。ただでさえ状況が状況だ。人攫いと間違えられかねん。
道中の会話も状況を整理する為の最低限だった。
だが今は最低限の安全は確保した。これからはコミュニケーションの為の会話だ。
「俺は上村康之。ヤスでもユキでも好きに呼んでくれ」
「名前……」
悩み、
「エーデルワイスって呼ばれてた」
そう、他人事のように答えた。
「呼ばれてたって……それにエーデルワイス? 花の名前だろ」
「そうなの?」
「そうなの。まあ今時分エーデルワイスなんてマイナーもいいところだけどな」
「お花……見てみたいな」
「そりゃ無理な相談だな」
エーデルワイスはそもそも元々日本にいない植物だ。加えて大災害以降、外来種も在来種も、多くの生物が絶滅した。残っているのは極一部。康之も図鑑でしか見た事がない。
そのことを伝えるとよく分からないという顔をされたが、とにかく見れないと説明したら肩を落としてガッカリする。
にしてもエーデルワイスという名前だ。白い髪に子供ながらに美人と言える美貌。まさしく名は体を表すといったところか。彼女にとって相応しい名に違いない。だが日本人らしくない名前だ。見たところハーフでもなんでもない顔付きには、少々違和感がある。
「呼ばれてる、ってことは実は気に入ってない?」
「うーん……よくわからない」
「分からないことだらけだな」
受け答えがしっかりしている割には、内容は疑問系やあやふやなものばかりだ。
高嶺の花というより箱入り娘という方がしっくりくる。
「エーデルワイス……ならここにいる間はユキだな」
「ユキ?」
「エーデルワイスの和名がセイヨウウスユキソウって言ってな。ただでさえ目立つ見た目してんのに名前まで目立ってちゃ見つけて下さいって言ってるようなもんだ」
「同じ名前なの?」
「あ? ああ……」
言われて気付いた。さっき言った自分の名前と同じだ。
「まあ、とっさに思い付いた名前だしな。気に入らなきゃ自分で考えな。ヨウでもセイでも」
夏が胸を刺激しそうなリズムだが。
「ユキ……ユキかあ……」
反復していると、ヤカンが康之を呼んだので戻る。
「うん。ユキでいい」
「そうか」
「名前っぽいから」
そりゃエーデルワイスより人の名前としては相応しいだろう。
「お揃いだけどいいのか」
「ヤスって呼ぶからいい」
「いいね。ヤスって呼ぶ奴は少ないんだ」
カップラーメンに湯を入れる。箸も長らく放置していたので洗ってからユキへ持って行った。
同じくソファに座り、カップラーメンを目の前に置くと興味深そうにジロジロ見る。
「不思議なニオイ」
「賞味期限は切れてないから平気だ」
それでも腹は減っているのか、早々に箸に手を出そうとする。
「三分待てよ。後、机拭いてないから箸は置かないように」
ピタっと止まり、しばらく待ち
「……まだ?」
「まだ」
「…………まだ?」
「まだだ」
今度は待てされた子犬か。
「よし」
飼い主になった気分で許可を出す。
待ってましたと言わんばかりに蓋の上の箸を取り、止まった。
それから左右から覗いてみたり箸先で蓋を突いてみたりして、また止った。
「……?」
「いや蓋取れよ」
まさかカップ麺食ったことないのかと驚愕したが、病院にいたなら確かに食べる機会はなかっただろう。
取ってやると、ユキは立ち込める匂いに目を輝かした。
「よく混ぜてから食べろよ」
言われた通りに混ぜ始めた。
けれど垂直に刺して同じ方向に回していたせいで、箸を持ち上げるとパスタみたいに絡まっていた。むしろ固まっていた。
「わわ、」
「下手だな。ラーメン自体食べるの初めてか」
「う、うん」
ならさっきのどっちでもは、どっちも知らないから任せたということか。
丸まった麺を口へ運び、啜らずに口に入った分だけ歯で切って食べる。熱さもありその量は本当に少ない。
初めてなだけあって大分特殊な食べ方だが、気に入ったらしく箸は止まらない。
いたいけな少女の食事シーンに妙な興奮を覚える諸兄もいるだろうが、自分はそんなこともなくただ暇だ。だから邪魔だろうが気になっていたことを尋ねる。
「今までどんなところにいたんだ?」
箸が止まった。
だがそれも一瞬で、すぐに食べるのを再開する。
「おいおい無視か」
「…………」
本格的に無視のようだ。余程話したくないらしい。
仕方なくテレビを点けた。
時間も時間だからニュースしかやってない。その中には数時間前の銃撃戦もあったが、ギャングやヤクザの日常茶飯事なので大きなニュースにはなっていなかった。精々が裏路地等ではなく国道だったから珍しい程度だ。死傷者も筋者しかいなかったのも影響している。
ただ、ミュータントの死だけは報道されなかった。
映画や長期作品ならラスボスかライバルになっているパターンだ。嬉しくない。
これ以上ニュースを見ても面白くないので、仕方なく寝室の隠し棚からDVDを持ってきてプレーヤーに差し込もうとして、やめた。
ユキが見ていたからだ。カップ麺を食べる手まで止めている。
「テレビ見るのも初めて?」
「ううん」
可愛らしく首を振る。
「けどこういうのは見たことない」
こういうの、とは言うものの所詮ニュースだ。テレビを見てニュースを知らないはずはない。
「どんなの見てた?」
「いろいろ。動物とか海とか……死体とか」
「……そいつは穏やかじゃないな」
あまり広げても面白くなさそうな話題だ。
ディスクの表面に書かれたタイトルを見て、寝室に戻る。別のタイトルを持ってきて今度こそ差し込んだ。
座り直す頃には自動的に入力が切り替わり、本編が流れ出る。
無駄に可愛い系で飾った女児向けのアニメのOPだった。
ユキの目の色が驚きに変わる。
「レトロカルチャーっつってな、大昔のアニメだ。しかも激レア物だぞ」
大災害以前の物は高値で売買される。特にアニメやコミックはレトロカルチャーと称され人気がある。康之も愛好家の一人で、自慢ではないが持っている数はそれなりだ。流石に当時のものではないが、コピー品でもそれなりの価値がある。ジュリアに知られたら給料代わりにせびられるので絶対に言えない。
ちなみに今流れているアニメは、別世界から魔法の妖精が現れ主人公達が魔法少女に変身して悪者を倒すというストーリー。子供向けというだけあり分かりやすいが何故か近接戦がメインでかっこいいとの評判だ。
骨董品の為画質は悪いが、ユキは箸を止め食い入るように見る。
「伸びるぞ」
最初は意味が分からなかったようだが、カップ麺を指すと再び口を付ける。だがすぐアニメに夢中になった。
そうして約二十分。アニメの一話が終わった。
手元のカップ麺は途中からまったく減っておらず、ほとんど汁を吸っている。麺だけ異様なボリュームになったのを見かねて康之は次回予告が終わったタイミングでテレビを消す。
ユキは真っ黒になった画面をそれでも見ていたが、やがて伸びたカップ麺を食べ始めた。
黙々と食べ続けるユキ。
先程からほとんど喋っていないが、今の方が、どこか思いつめたように見える。
「ねえ」
食べ終わると、虚空を見据えたまま問うた。
「外の世界はこういうのが普通なの?」
普通。
部下に逃げられハルクに殴り飛ばされ車に落ち子供を拾って撃たれて撃ってカップ麺食わせてアニメ見せるのが普通かと言われれば、間違いなく否だ。
だが世の中には裏と表がある。
「……まあ、大枠で見れば?」
自分が死なないという点を除けば、裏社会では珍しくないことばかりだ。犯罪を生業とするなら子供を売る為に拉致したり、撃ったり撃たれたりするのは日常茶飯事。
ましてや今の時代、警察とヤクザが仲良く手を繋ぐのは当たり前。地位と金を手に入れるなら犯罪が一番手っ取り早い。人とは往々にして楽をしたがる生き物だ。
そう考えれば普通という枠からは中々外れることはない。少なくとも康之個人では普通の範囲だ。長く生きてると色々あるんだよ。
「そうなんだ」
彼女が何を考えているのかは分からない。
病院暮らしだったから外の暮らしに興味があるのだとは思うが、それにしては影がある。
「外に出るまでは退屈だったか」
「退屈、じゃなかった」
「じゃあ辛かった?」
「……最近は、そうでもなかった」
その割りには泣きそうな声だ。
帰りたくないと言うほどだ。その辛さがどの程度かは察することすら出来ないが、大方ロクでもないことをされていたのだろう。
最悪だと性玩具(おもちゃ)か実験台(モルモット)、最良でも命に関わらない程度の医療実験、或いは虐待辺りか。しかもユキ奪還にあれだけ堂々と襲ってくるとなると、それなりに大きい組織でないともみ消せない。
どれだけの規模の組織か、どういったことをしているのか聞き出したいところだが、わざわざ被害者に懇切丁寧に教える徒労をするとは思えない。それに一度無視された以上、過去を穿(ほじく)るのは互いの精神衛生上良くない。
我ながら子供には甘い。タダ働き同然、むしろ出費が重なる分マイナスになるにも関わらず保護するぐらい、甘い。
優しく肩を抱きしめる。
「俺は約束や依頼は守るタイプだ。今まで破ったことなんて数えるぐらいしかない」
「破ったことあるじゃん」
「ああ、そうさ。俺も人間だからな。でも、失敗したからこそ次は失敗しないように心に決めるんだ。だから絶対守ってやる。これは約束で、ユキからの依頼だ。二倍だからより確実だ」
「うん……」
柔らかな暖かさが寄りかかる。
やがて疲れが限界を迎えたのか、ユキは微かな寝息を立てた。
「子供は寝る時間だもんな」
起こさないように抱きかかえ、寝室に向かった。
こちらもこちらで掃除らしい掃除はしていない為、清潔とは言い難いがリビングよりはマシだ。ゴミはなく埃も積もっていない。
というのも寝室とは名ばかりの趣味部屋だからだ。
DVDだけでなくコミックも含めたレトロカルチャー、今流行のアニメグッズ、他に仕事道具である銃や整備道具があり、それらを楽しむだけの部屋だ。
自分の趣味だからこそ整理出来るのだ。仕事は別。だから儲からないんだろうなあ。
ほとんど使っていないベッドにユキを寝かせようとして、気付いた。
小さな手が、縋るようにスーツのシャツを掴んでいることに。
「まったくこいつは」
言葉とは裏腹に嫌な気はせず、一緒に毛布に潜った。
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