第八話 新生活・後

「で、終われば綺麗な一日として締めくくられたんだけどな」


康之は一人ベッドから抜け出し、部屋の掃除をしていた。

窓を開け積もりに積もった埃を吐き出す。病人の前では出来ない作業だ。

今後どれだけユキと共にいるかは分からないが、こんな汚い部屋にいて病院送りになるのは絶対に避けたい。


「家事の類は苦手、というか好きじゃないんだよ」


出来なくはない。やりたくないだけだ。男の出来なくはないは信用出来ないが。

濡れた雑巾でテーブルを拭くとあら不思議。真っ白だった表面が元のグレーに戻ったではありませんか。どんだけ掃除してねえんだ。

ユキが寝てから三時間は経過している。時刻はとっくに深夜の最中だ。

何故こんな時間に掃除を始めたのか。それは勿論テスト前という学生特有の理由ではない。

一つは部屋の汚さにある。もう何年も掃除をしていない部屋は物を動かすだけで埃が舞う。マスクが期待出来ないレベルの汚さ故に、ユキがリビングにいると掃除が出来ないのだ。そもそもの入院理由が分からない以上、健康に気を使い過ぎて困ることはない。

おかげで部屋はだいぶ綺麗になった。

壁のシミなどの中々消せないような汚れ以外もあらかた落とせた。

後は溜まったゴミを後日捨てに行くだけだ。

「……あー! 風呂も掃除しなくちゃだ……」

他にもトイレ、廊下、キッチンもまだ掃除していない。

リビングを終わらせたことで一回満足してしまった分、余計に面倒臭くなる。今までのやる気が一瞬で霧散した。あー、不貞寝したい。

掃除道具を一旦放置し、ソファに深く座り込む。

ため息の代わりにタバコに火を点け、煙を吐く。


「……禁煙するか」

「……ヤス?」


禁煙理由が寝室からやってきた。

眠り眼を擦りながら近くまでやってくる。子供が起きるには早すぎる時間だ。

火を消そうとし、灰皿がないのに気付く。どこに置いたか。仕方ないので握って消した。


「怖い夢でも見たか?」

「ん……」


曖昧な返事だ。未だ夢現といったところか。


「ヤスも寝ないの……?」

「も?」

「うん」


ユキはぼそぼそとした細い声色で続ける。


「寝ようとしても、みんな寝ようとしなかったから……」


寝ようとしなかった、か。


「みんなって?」

「大人のひとたち……」


会話を続けながらユキを抱き上げ、ソファへ座らせた。

頭を撫でると、小さな手が康之の服をぎゅっと掴む。

「大人の人達は何してた?」

「わかんない……聞いてもおしえてくれなかった」

「そうか。寝てる時は何かされなかった?」

「ううん。たまに誰かくるけど、すぐもどった」


なら、虐待の線は薄いか。

先程から何度かスキンシップを試しているが、どれも拒否されていない。

虐待を受け続けた人間は人との接触に敏感になり、特によく傷つけられた場所を触ろうとすると大げさに避ける傾向がある。ユキにはそれがない。

寝てる時に誰か来ても目が覚めるだけならよくあることだ。今の言葉には恐怖や怯えはない。

とはいえその場所に帰りたくないと言っているのも事実だ。

子守唄の代わりに、自分が起きている理由を語る。


「俺はな、眠れないんだよ」

「眠れない……?」

「ああ。多分ユキの近くにいた大人達は眠らなかったんだろうけど、俺は眠れないんだ」


夜の時間。康之はただ掃除するために起きていたわけではない。

不死の肉体は睡眠を要求しないのだ。


「昼にいっぱい撃たれても平気だったろ? あれは俺が死なないからだ。そのせいかね、腹も減らないしムラムラもしない。リア充のなりそこないさ」


いわゆる三大欲求を含めた、生理的欲求のほとんどが限りなく薄い。

食べれば満たされるし、若い美人は好きだし、横になればリラックス出来る。だがそれだけ。それ以上をしようとする気すら起きない。

恐らく不死故に直接生存に関わる欲求が薄くなっているのだろう、と自己解釈している。

だから康之にとって夜は暇な時間だ。静まり返り、テレビも付かない。ラジオさえ時間が来れば止まってしまう。レトロカルチャー集めはそんな暇から生まれた趣味だ。独り言も。


「寂しくないの?」

「――寂しいな、やっぱり」


もう慣れた、とは言えない。

康之は見た目以上に年寄りだ。

他人の一生を看取るのを何回繰り返したか。一時期は楽しさすら失った。喜怒哀楽の全てを失い、ただ生きるだけの肉人形だった時期もある。


「けどな、寂しさがあるってことは、楽しみがあるってことなんだ」

「どういうこと?」

「レトロカルチャーは見てると楽しいだろ? でも見れなくなると悲しい。この悲しさと消すにはそもそもレトロカルチャーを見なきゃいい。でもそれじゃあ楽しくない。辛い感情だけ消して、楽しい感情だけ残すってのは案外難しいんだ」


そのことを教えてくれた人は、どれだけ昔の人だったか、もう覚えていない。


「喜怒哀楽――基本的に感情ってのはワンセットなんだ。悲しみなしに楽しみは語れない……と言うと名言っぽいが悲しみが前提みたいだな。悲しみを感じるということは楽しみも感じられる、って言った方が分かりやすいか?」


悲しみしかない。楽しみしかない。という人間は、恐らく逆側を見ていないだけだ。人生の中で感情の比率が偏って、それしかないと自ら思い込むことで、それ以外を強制的に排除している。康之もかつてはそうだった。どちらもないと決めていたから感情というものをなくしていたに過ぎない。

それを解消するのは難しい。きっと一人では無理だろう。

だが康之にはそれを気付かせてくれる人がいた。


「……じゃあ、私も?」


そしてユキには、康之がいる。


「当たり前だ。これからも辛いことはあるだろうけど、ユキが幸せになりたいな幸せになれるよ」


頭を撫でてやり、抱きしめて立ち上がった。そのまま寝室に向かう。


「だからもうおやすみ。明日になったらいっぱい我侭を聞いてあるよ」

「ヤだ」


……っとお?良い流れだったはずだが?


「私が起きてたらもっと楽しいでしょ?」


なるほどそう来たか。愛いやつめ。


「だーめ」

「えー」


問答無用でベッドの中に一緒に潜った。


「一人で起きてると寂しいけど、ユキが寝不足でお肌が荒れちゃったら俺は悲しい」

「むぅ」

「また明日。明日になったらもっと我侭言っていいから」

「本当?」

「本当。夜更かし以外は」

「意地悪」

「こんな紳士を前に失礼な」


そう言って抱きしめてやると、今度こそ眠りについた。

今度は眠れずとも、握られた手を離さなかった。

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