第九話 喫茶カイン

「いらっしゃい」


 店内にささやかに響く鈴としわがれ声に出迎えられる。

 喫茶カイン。康之の数少ない行き着けの店だ。

 カウンターとテーブルの席を足してかろうじて二桁の人数が入るかという小さな店。窓は小さく明かりは照明に頼っており、だがそれが落ち着いた雰囲気を出している。それでいて重過ぎないのは置物をほとんど用意せず、店内を広く見せるような内装にしているからだ。

 行きつけと言えど昼に来るのは久々だ。夜には酒場としてオープンしており、夜に一人になる康之にとって孤独を紛らわす場所になっている。

 故にある意味新鮮な空気を味わいながら康之はマスターの前のカウンター席に座る。


「珍しいな」


 店の中に他の客はいない。

 シワだらけの手でグラスを磨いていたマスターが康之の隣を見て疑問を口に出した。


「いつの間に子連れ狼になった?」

「最近ね。部下に逃げられちまってつい手を出した」


 視線の先にはユキがいる。

 初めてだという喫茶店に、少し緊張気味に周囲を観察している。

 だが、動きが硬い理由は緊張だけじゃない。


「ならここに来る金を握らせてやったらどうだ」

「そんなん一時凌ぎだよ。最近は依頼がなさ過ぎて暇だ」


 マスターはそれを鼻で笑った。


「なら転職すればいい」

「今更会社勤めなんてごめんだ」

「生涯を尽くす楽しみを覚えられないのもお前の悪癖……いや、体質か」


 マスターは康之の能力を知っている。でなければ常連になどなれやしない。

 何せ初めて出会ったのは彼がまだ好青年だった頃だ。その頃は康之もまだ見た目と年齢がそんなには離れていなかった。

 それからかれこれ半世紀以上の付き合いだ。尻が青かった青年がナイスシルバーになるのに対し、康之は一切歳を取らない。残酷な程に歳月というものを感じる。

 マスターはユキの方を改めて見た。


「……ユキ、です」

「――ユキ?」


  何故か一瞬の間が生まれ、口を噤んだ。だがすぐに開いてシワ塗れの笑みを作る。


「良い名前だね。なに、そんなに緊張しなくてもいい」


 マスターは足元の冷蔵庫を開けると、瓶に入ったオレンジジュースを取り出す。

 コップに氷と一緒に注ぐとユキに差し出した。


「何か作るから、それを飲んで待ってなさい」

「は、はい」

「やっさしいー」

「代金は頂くぞ」


 言うなり材料を取り出し調理を始める。

 その間に康之はユキへと体を向けた。

 コップを両手で持ち、オレンジジュースに舌鼓を打っている。


「機嫌は治ったみたいだな」

「え?」


 言うと、一瞬呆ける。

 次の瞬間には不機嫌の理由を思い出したのかそっぽを向いた。


「振り出しに戻る、か」


 ユキの姿を――正確には服を見る。

 女の子らしくフリルの付いた洋服。短めのスカートとリボンがアクセントのブラウスの組み合わせは、可愛らしさを出しながら落ち着いた色彩で清楚さも感じさせる。おまけに猫の髪留めでツインテールにし、これがまた幼さが増すが良く似合っていた。

 これらの衣服は当然康之が持っていた物ではない。幾ら長く生きているからとは言えそこまで倒錯してはいない。

 この店に来る前にアパレルショップで買い揃えた物だ。

 ずっと患者服というわけにもいかないので、急遽隠し財産ヘソクリを出して一通り買ったのだ。

 今来ている服だけでなく、数日分も一緒にだ。どうして女の服ってあんなに高いんだろうな。春も終わる季節だってのに財布は冬になった。

 だが必要で、かつそれら全てユキに似合うから買ったのだ。

 そしてどうやらそれがユキの不服を買ったらしい。


 ……服だけにな!


言ったところで冷たい反応が返って来るのは目に見えているから心の中に留めておく。


「服を着せて貰っただけじゃないか。別に何もなかっただろ?」


 それでも無視される。

 要はむくれているのだ。

 アパレルショップに行ったはいいものの、康之は女物のファッションには明るくない。

 昔は自身のセンスを磨いていたが、長く生きていると流行を追うのもしんどくなる。今では面倒になって年中この格好だ。

 そこで店員にコーディネートを一任したのだが、これがいけなかった。

 ユキは人見知りの気があるらしく、初めて会う店員に連れ回されたり個室で二人きりにされたのが嫌だったようだ。

 加えてユキは顔が良い。子供や白髪であることを差し引いても、店員の興が乗って色んな服を着せられた。ファッションに興味がない人間が着せ替え人形になる疲労は推して知るべしだ。

 とはいえ康之も近くには居たし、褒めたりもした。現にユキの格好は良く似合っている。

 それでもユキの気は収まらない。

 そこで美味いものでも食べさせて機嫌を取ろうとカインに連れて来たのだ。


「ここのサンドウィッチは美味いぞ。ソースに拘ってるんだ」

「オムライスでも作ろうと思っていたのだがな」

「オムライスも絶品さ」

「取ってつけたような世辞はいらん」


 せめて炒める音がもっと早く聞こえていればそっちを勧めたのに。


「オムライス……!」


 作られているメニューを知ると、ユキは見るからにテンションが上がった。


「好きか?」

「うん! 一番好き!」

「……そうか。それは良かった」


 一瞬、マスターの声が柔らかくなった気がした。


「孫でも出来た気分か?」

「たわけ。お前も似たようなものだろ」

「見た目じゃ親子だから問題ない」

「似ているのは髪の色だけだがな」


 鼻で笑われると当時にといた卵をフライパンの上に流れる。

 チキンライスを炒めるのとはまた違った音が食欲をそそる。ユキではないが、出来上がるのが楽しみだ。

 卵に火を通しつつ楕円形に整え、ある程度固まったところで皿に盛ったチキンライスの上にオムレツを乗せる。最後にケチャップをかければ完成。

 出来立てのご馳走に年相応に目を輝かせ、スプーンを手に取り声を上げる。


「いただきます!」


 オムレツを崩してライスと一緒に一口。

 するとすぐさま笑みに顔を崩した。

 次々とオムライスが小さな口の中へ収まっていく。

 美味そうに食べている姿に自然と笑み出て、ふと気付く。


「固めなんだな」

「ん?」


 オムレツだ。

 半熟ではあるが、少し固めで形が崩れたり流れ出ることがない。

 この店でオムライスを食べることがほとんどないが、サンドウィッチに並ぶ昼の看板メニューだ。他の客が食べているところは何度も見かけたことはある。


「前はもっとトロトロじゃなかったか?」

「ああ……いやなに、私も衰えたということだよ」


 わざとらしく目頭を押さえて首を横に振る。


「最近歳を実感してきてな。前ほどうまくはいかん」

「店は畳むなよ? やることなくなると一気にボケるぞ」

「心配せずとも死ぬまで続けるわ」


 悪態をついてからマスターはユキの方へ声をかける。


「うまく作れなくてすまないね。作り直そう」

「ううん」


 既に半分を平らげたユキが笑顔で答える。


「私このぐらいの方が好きだよ」


 気遣っての嘘ではないことは、表情を見れば分かる。


「それに懐かしい味がする」

「懐かしい?」

「うん。最近は出なかったから」


 ユキと出会ったのは昨日。

 つまりはそれ以前、監禁疑惑の時期だ。


「他には何を食べてたんだ?」

「んー……ずっと前はパンとかスープとかが多かった。でもね、その後からはご飯も美味しくなったの。オムライスとかナポリタンとか、サンドウィッチも美味しかった!」

「そりゃ良かった。ここなら全部揃ってるぞ」

「ほんと!?」

「ああ、いつでも来なさい」


 笑顔で食事を再開するユキ。

 ふと、その手が止まる。


「そういえば……」


 小さな声だが、BGMすら用意していない店内は静かで、二人の耳に届くには十分だった。

 だが続く言葉は中々出ない。


「どうした?」

「え? う、うん……」


 一口。短く噛んで飲み込んだ。

 一瞬、マスターを気にするかのように見て、言った。


「そういえば、いじめられなくなったのって、ごはんが美味しくなってからだなって」


 今度は逆にこちらが言葉に詰まることになった。


「……いじめ、ってのは大人達から?」

「うん……前は嫌って言ったら殴られたし、足が遅いって背中を蹴られた。……最近はそんなことなかったけど」

「康之」


 マスターが顔を近づけ小声で話す。


「どこから拾ってきた」

「ホームランボールで気絶したのを放っておけなくてな。おまけに銃で脅してくる使用人もいるとなれば親御さんの元に返すわけにもいかんだろ」

「どこに居たのか聞かなかったのか」

「聞く必要がないと思ってな」

「お前の悪い癖だぞ、それは」

「……おやごさん、って、パパとママのこと?」

「え? ああ、そうだ」


 不意にユキが聞いてきたので反射で答えた。


「パパとママってどんな人?」

「どんな人って言われてもな。ユキの方がよく知ってるんじゃないか」


 あんな連中雇っているぐらいだから褒められた職業ではないことは確かだが。


「知らない。会ったことないから」

「会ったことがない?」

「うん。一度も」


 空気が重くなった気がした。

 どうやってフォローするか悩んでいると、先にマスターが口を開いた。


「ユキちゃん」

「……なに?」

「君にとって康之はどう思う?」

「ヤス?」


 なぜそんなことを聞くのかは分からない。

 だがユキはこちらを見て、真面目に考える。


「……嫌いじゃないよ?」

「ユキちゃんの知ってる大人より好きかい?」

「それは……うん」

「なら康之をパパだと思うといい」

「おい。いきなり一児の父か」

「なら見捨てるのか」


 いきなり極論だ。けど無視出来ない言葉だ。だから沈黙を否定とし、会話を見守る。


「パパとして合格点とは言いづらいが、見下げた男ではない。嫌いではないのだろう? なら本当のパパが見つかるまでの代わりにすればいい」


 会話だけ見れば子供思いの老人に見える姿に、康之は僅かに違和を感じていた。

 冷たい人間ではないことは知っているが、初対面の相手に踏み込む男でもない。康之のように古い付き合いか常連でもない限り、客と店主と言う関係は崩さない。関係が深くなったところで事情には関わらない男のはずだ。

 だがユキには、本当の孫と同じようにアドバイスを始める。

 勿論悪いことではない。自分の子供好きに影響されたのだろうと、好意的に留めておくことにした。


「パパの、代わり……」


 一方でユキは呟いて上目遣いでこちらを見る。期待と不安と、微かな困惑が混ざった瞳だ。


「パパになれるかどうかは分からないけど、自分で言ったことぐらい守るさ。それとも眠くて聞いてなかったか?」

「約束で、依頼だもんね」

「ああ。今ならデートプランも考えてやる。行きたいところはあるか?」

「……服はもういいかな」

「言うじゃないか」


 二人で笑う。

 そこにはもう先程までの重い空気はなかった。


「あのね、ネコ見たい」

「見るだけでいいのか。触りたくはない?」

「そんな店このあたりにはないだろう」

「少しは店を出たほうがいいんじゃないか。最近出来たんだよ、猫カフェ」

「ねこかふぇ?」

「お茶飲みながら猫と遊べる場所」

「行きたい!」


 聞いた途端、オムライスの時と同じように目を輝かせる。

 それだけ猫が好きなのだろう。思わず頬が緩む。


「食い終わったら行くか」

「うん!」


 食べるスピードが戻る。いや、むしろ速くなっている気がする。

 楽しみに心を躍らせる、子供らしい姿だ。微笑ましい気持ちになる。


「ところでマスター」

「どうした」

「俺の分はまだ?」


 康之の前にはオムライスはおろか飲み物すら用意されていない。

 あるのはせいぜい、ご自由にと用意されたシュガーとガムシロップ、そして各種調味料だけ。

 マスターはそれを音もなく目の前まで移動させ


「金がないと言っていたからな。いくらでも飲むがいい」

「……身に染みるぜ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る