第一話 給料未払い
分かりやすく歴史を振り返るなら、まず一文目はこれだろう。
2100年。世界は滅んだ。
百年遅れのノストラダムスと呼ばれた大災害は、あらゆる文明を破壊した。
台風により、地震により、噴火により、津波により、そして人類が生み出した有害物質により、最先端の建造物も、世界遺産も、第三次大戦の戦勝国も敗戦国も、神の愛が如く分け隔てなくかつ一方的に蹂躙された。
長かったとも短かったとも伝えられる天変地異だが、少なくとも終わる頃には人類が築き上げてきたあらゆる出来事は無に帰した。
その中で極僅かとはいえ人間が生き残ったのは奇跡としか言いようがない。
だが生き残ったところで、劣悪な環境を生き残ることは困難極まりない。その日の食料すら手に入れられない状況では、結局のところ人類が滅びるのは時間の問題だった。
徐々に生を諦める人が増えていく中、奇跡はもう一度訪れた。
大災害後、各地から不可思議な液体が湧き出たのだ。それは、あらゆるエネルギー資源の代替品として利用することが可能な、まさしく神の恵みと言うべき代物だった。
人類史上、ここまで細い奇跡が繋がったことは、少なくとも種で考えれば無いに違いない。
この液体――とある神の名からクラミツハと名付けられ、今日に至るまで人類に多大な恩恵をもたらした。
クラミツハを発見してから人類はようやく再興の一歩を歩み始めたのだった。
2318年。百年遅れのノストラダムスより更に二百年後。
文明レベルで言えば約三百年前とほぼ同レベルまで回復した。あまりにも速すぎる回復は、やはりクラミツハのおかげだ。
その中でも日本の首都、東京は大災害後でも最も栄えた都市だ。
とはいえ当時とは見る影もなく、首が痛くなるほど高いビルはかつての五分の一以下。安全伝説は嘘のように治安はどうしようもなく悪化している。夜に女性が一人で出歩ける時代は終わったのだ。
事はそんな世界の片隅から始まる。
●
住宅街の奥まった一角に建つ築五十年のアパート。
三階建て九部屋の中で明らかに趣が違う部屋がある。
二階の角部屋。その窓には『便利屋』とガムテープで張られ、しかし内側から貼られており外からは左右反対に見えている。しかも剥がれ掛けているせいで余計に元の文字が分かりづらい。
玄関のドアノブには『万屋 八百万』と縦書きで書かれた木製の看板が掛けられていた。
中はといえば1LDKのそこそこ広い部屋だが、リビングを事務所に改造してある。部屋の中央には来客用の机とソファ、奥には事務仕事用の机があるだけで、改造といっても最低限だ。
しかしロクに掃除はされていない。机の上には埃、壁にはシミがこびり付き、部屋の隅には捨て忘れられた雑誌の束とゴミ袋が溜まっている。
晴天とはいえ電気を付けていない部屋は角部屋という好条件にも関わらず薄暗い。立地の問題もあるが、ガラス窓が白く汚れているせいで十分な光が差し込まないからだ。
そんな部屋から目を背けるように、部屋の主はシャワーを浴びている。
泥に汚れた白髪を綺麗にし、心身ともにリフレッシュして風呂場を出ると、リビングから物音が聞こえた。
来客か、とは思いつつも慌てることもなく着替えを済まし、いつものコーディネートでリビングへと戻ると、よく目立つ赤髪がソファに座っているのが目に入った。
「なんだジュリアか」
「ん? ようやく出てきたか、康之」
上村康之を待っていたのは、ジュリアという赤い髪の女性だった。
髪だけではなく服装も派手なパンクで、外した片方のイヤホンを手で遊ばせている。
『万屋 八百万』を始めてからの初めてで唯一の部下だ。
今の時代珍しいハーフで、髪色は母から受け継いだものらしい。
向かいのソファに座ると、神妙な面持ちでジュリアが詰め寄る。
「で、今回は大丈夫なんだよな?」
おおよそ女性らしくない言葉使いを受けながら向かいのソファに腰を下ろした。
「大丈夫って、何が?」
「給料だよ、給料! 何ヶ月分溜まってると思ってるんだ」
「ああ、そういえばそういう話してたな」
「そういえばじゃねえよ。しっかりしろ雇用主」
ジュリアの言い分ももっともだ。
給料を滞納するのはまともじゃない。裁判を起こされても文句一つ言えずに有罪判決だ。
彼女も不安定な仕事と理解しているから多少の我慢はしてくれてはいるが、これ以上は流石に洒落にならないだろう。
「仕事、入ったんだろ?」
「ああ。内容の割には安かったが、最近の中では上等だな」
「ならまとめて支払ってくれるんだろうな」
ちなみに仕事自体はジュリアは手伝っていない。理由は勿論、給料を払えないからだ。
だが康之は続く言葉が出てこず口つぐむ。目も合わせることが出来ず、明後日を見つめてしまう。
「……どうした? こっち見ろよ」
「いやあ……照れる」
「いい年したおっさんが気持ちわりいよ」
ずっと冗談を言っていたかったがジュリアは逃がしてくれそうにない。
胃の変な所が気持ち悪い。しかし言わないわけにもいかなかった。
「……ない」
「……なんだって?」
「だから……」
目を、明々後日に向ける。
「金は、ない」
「……おい、いつにも増しておもしろくない冗談だな」
「冗談じゃないからなあ」
どうにも居心地が悪い手が前髪を弄る。
すると落としきれなかった泥が手の平に零れ落ちた。
何を隠そう、この泥こそが金のなくなった原因なのだ。
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