第二話 今回の依頼
時は数時間前に遡る。
康之は事務所とは別の場所で、ジュリアとは別の人物と対面していた。
「この度は本当にありがとうございました」
初老の女性が深く頭を下げる。
「こちらも仕事なんでね。気にしないでください」
「いえ、上村さんには本当に感謝しているんです。ヤクザの相手なんて警察もしてくれませんから」
康之は孤児院にいた。
様々な理由で行き場を失った子供達が集まる避難所の応接室で、院長と言葉を交わす。
「今は警察とヤクザが手を繋ぐ時代ですからね」
「ええ、ですから他に依頼しても一蹴されるばかりで……重ね重ねお礼を申し上げます」
「仕事がなくて藁にもすがりたかっただけですよ」
院長からの依頼は孤児院を潰そうとするヤクザ、衣笠組の退治だった。
衣笠組の目的はこの周辺の土地を利用したシノギだ。現に周辺住民も脅しにより何世帯かは引っ越しを強制された。孤児院の引っ越しはそう容易いものではなく、なくなれば子供達の安住の地もなくなってしまう。
ヤクザの相手は危険だが、それでも院長は体を張ってこの孤児院を守ってきた。
怪我をするのは一度や二度でなかったはずだ。現に今でも包帯や絆創膏が体中に貼られ痛々しい。
とはいえそれも時間の問題だった。
院長の体のこともあるが、あのインスマスが現れたのだ。
こんな孤児院に何故そこまでとは思うものの、アレはヤクザ以上に一般人の手に負えるものではない。
そこで康之の店に依頼が来たのだ。
「しかしよくご無事で。衣笠組の人達とは話し合いで解決出来たのでしょうか」
「ん? まあ話し合いだけじゃ解決出来なかったけど……最終的には」
正確にはインスマスの後、衣笠組の事務所で大暴れした後の話し合いだったが……正直に言う必要はない。
「流石ですね。上村さんにお願いして正解でした」
「よしてください。誰に鼻を折られるか分かったもんじゃない」
報告を兼ねた談笑はここまでにし、ビジネスの話に戻る。
「では依頼も完了したので、報酬の方を」
「はい。少々お待ち下さい」
院長は立ち上がるとデスクの鍵を開けた。
中から厚みのある風呂敷を取り出し元の席に戻り、康之に差し出す。
包みを開けると、そこには一万円札の束が二つ重なっている。
「報酬の二百万円です」
二百万は大金と言えば大金だが、ヤクザ退治には安い。
ヤクザは暴力団組織であり、当然血の気の多い連中が多い。一人で挑むこと自体、無謀を通り越してまず不可能だ。言葉で説得しようにも、中に入った時点で生きては帰れない。
よしんば成功しても報復に出られる可能性が高い。そうなれば己自身ではなく、周囲にも危険が及ぶ。
どう転んでもマイナスしかない依頼だ。命を賭けるのに二百万という金は安すぎる。
それでも康之は受諾し、成功させた。
「確かに頂きました」
包み直し、風呂敷ごと懐にしまう。
「ではまた何かありましたらウチに」
「はい。また頼らせていただきます」
軽く会釈をしてから立ち上がり扉へと向かい、
「……!」
「……っ!」
扉の向こうに誰かがいるのに気付いた。
どうやら向こうも気付いたらしく、しかし距離を取るだけで離れる気配はない。
場所が場所だけに誰がいるかは明白だ。院長に不審がられる前に扉を開ける。
「いまだー!」
すると顔に衝撃が来た。
ひんやりとした重い衝撃が二度三度と連続して襲い掛かり、顔面や肩にくっつき離れない。
水気を含んでいるせいで視界どころか息も封じられた康之は、ゆっくりと顔についた物を拭き取った。
回復した視界で手に付いたそれを見る。
泥だった。
前を見れば子供が三人、堂々と立っていた。それぞれ片手に泥団子を構えている。
この泥の犯人は子供達ということは一目瞭然だ。
急いで作ったのだろう。手だけでなく、服も所々泥で汚れている。
「いんちょーせんせーをいじめるな!」
「ヤクザだからって、ちょーしにのんな!」
「二度とくるなー!」
「あ、あなた達!」
気付いた院長が慌ててかけよるが、片手で止める。
困惑する表情を見せるが気にせずに康之は子供達に近づいた。
それを阻止しようと、先頭の子供が泥団子を投げる。
が、今度は顔面に来る前に片手で止めた。
「っ!」
明らかに動揺する子供達。
次のアクションを取られる前に、泥団子を投げた子供の前にしゃがんだ。
先手を取られた三人はまるで蛇に睨まれた蛙のように動かなくなる。
これからどうなるのか。
そんな緊張を見せる子供達に康之は問いかけた。
「夢はなんだ?」
「え?」
「夢だよ。将来なりたいもの。一つや二つあるだろ」
困惑に顔色を変えた子供達はそれぞれ目を合わせる。
言い辛そうにしながらも、一人ひとり順に答えていった。
「……野球選手」
「……ボクはバスケット選手」
「警察に、なる」
「は、通りで良い肩してるはずだ」
じっ、と子供達の目を見る。
「その夢が叶うのが、院長先生の夢なんだ」
「ぼくらの夢が、いんちょーせんせーの夢?」
「ああ、そうさ。だから怖い思いをしててもヤクザと戦うんだ」
手で防いだ泥団子を見せ付ける。
「これでヤクザを倒せると思うか?」
「…………」
「だよな。ヤクザがどれだけ怖いかは、院長先生を守ろうとした君達なら分かるはずだ。院長先生を守ろうとする心意気は立派だけど、勝てない相手と戦うのは勇気があるとは言わない」
康之は子供の片腕を掴み逃げられないようにし、泥を顔に塗りたくった。
「ぶっ……や、やめろよ!」
小さな腕での抵抗など可愛いものだ。
お椀のような顔に泥をふんだんに塗りたくってから、ようやく手を放す。
「なにすんだよ!」
「こうやって簡単に反撃されちまうからな。だけど奴らは泥じゃなくて拳を使う。顔に残るのは泥じゃなくて傷跡だ。立てないぐらいボコボコにされる」
泥を塗られた子供も、康之の声に押し黙る。
「そうすれば君達の夢は叶わなくなる。ホームランバッターにもポイントガードにも警部殿にもなれなくなる」
「オレ、バッターじゃなくてピッチャーになりたいんだけど」
「ピッチャーにもなれなくなる。それだと院長先生の夢も叶えられなくなるんだ。皆は院長先生の夢を叶えたくないのか?」
「……やだ」
「オレもやだ」
「ぼくも」
「だろ? なら勝てない相手と戦っちゃいけない」
「でも……!」
「院長先生を助けたい、だろ?」
全員が頷く。
「そういう時は簡単だ」
自らを指差し、笑顔を作る。
「もっと強いやつに頼めばいい」
「……ヤクザじゃないの?」
「こう見えておっちゃん、正義のヒーロー……の、まあ、味方みたいなもんなんだぜ」
立ち上がり子供達に見せるのは、腰に付けたキーオルダーだ。
「カメンレンジャー?」
「ゴニンジャーもいる!」
「そうだ。俺の服も赤いだろ?」
赤いコートも見せ付けるように広げる。キーホルダーも全員レッド枠のヒーローだ。
すると子供達は再び顔を合わせ、申し訳なさそうに言った。
「ごめんなさい」
「そう。ちゃんと謝れて偉いぞ。さあ、顔を洗っておやつでも食ってこい」
背中を軽く叩いて押してやると、様子を見ながらだが、徐々に離れていった。
微笑ましく思いながら見送り、院長へと振り向く。
「いい子ですね」
「申し訳ありません! あの子達にはよく言ってきかせますので!」
「嫌味じゃないですよ。大好きな院長先生の為に動いたんだ。立派な大人になりますよ」
「あの、すぐにタオルを……」
「ああ、いや結構。わりと事務所近いんで。それより院長先生」
「はい?」
懐の二百万を院長に投げ渡した。
とっさに受け取った院長だが、意味が分からないといった表情で康之と二百万を見る。
「えっ、上村さん?」
「募金ですよ。借金してるなら利息が付かない内に返した方がいい」
この金が孤児院の貯金から出されたものではないのはすぐに分かった。
古くなり荒い面が目立つ木製の壁。剥がれつつある遊具やおもちゃの塗装。所々軋む床。サイズが合ってない子供達の服。
恐らく経営自体が綱渡り状態なのだろう。周辺住民の協力でなんとか、と言ったところか。
院長の怪我だって、病院に行く金も時間もないから自分で手当てしたのだと包帯の巻き方で分かる。
そんな孤児院に二百万も用意出来るとは到底思えない。
となれば必然、この金は借金して作ったものだと予測出来る。
「しかし、これは……」
「貴女から貰った俺の金だ。俺の金を俺が自由に使ってもいいでしょう? ま、どうしてもと言うならあの子達の夢を叶える資金にでもしてやってください」
「ですがそれでは」
「泥が乾いちまうんで、俺はこれで」
言葉を遮り出口に向かって歩き出す。
その後言葉を交わすことはなく、颯爽と孤児院を去っていった。
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