第十話 招き猫
その店を出る頃には、ユキの不機嫌は頂点に達していた。
新調した洋服は破けてはいないものの所々装飾が取れ、糸が切られたせいで衣服としてのバランスを失っている。更には猫の抜け毛がそこら中に付いてとても新品とは言えない有様だ。
顔には赤くなった爪あとを残して。
「…………」
「元気だしなって。今日はたまたま猫達の機嫌が悪かっただけだよ」
少なくともネットでは好評の猫カフェだった。
一番手軽で楽しめる場所としても最適だったのだが
「ほんと悪かったって。まさか猫カフェで猫に襲われるなんて露にも思ってなかったからさ」
「……………………」
「……頼むから何か言ってくれ」
待っていたのは手荒い歓迎だった。
受付を済ませ、期待に満ちたユキだったが、撫でようと手を伸ばすと猫パンチ――なんて生温いものではなく思いっきり爪を立てて襲ってきたのだ。
一匹が襲い掛かるとそれに続けと他の猫にも襲われ、店内は騒然。なんとかユキから猫を引き離して逃げるように店から出たのが先程。
可愛らしい猫に襲われたショックでユキの不機嫌は止まらない。
頬を膨らませる――なんて可愛らしいものではなく眉をひそめ口を尖らせた、割と洒落にならない落ち込みようだ。
「ミュータントでもあるまいし、あんな有様になるなんて予想も付かなかったんだよ」
「……ミュータントって?」
食い付いてくれたことに少し安堵した。
ミュータントについては掻い摘んで説明する。
「そんで普通の人間と違うせいか動物に嫌われるんだよ」
だから康之は見張りも兼ねて入り口付近にいたのだが、まったく無駄になってしまった。
嫌われる原因はクラミツハが原因かとも言われているが、はっきりとは分かっていない。
生物がそのまま摂取すれば毒にしかならないから当然と言えば当然なんだが、原液のままでは単純に避けるだけ。それが人間の身体に入っているからと攻撃対象となるのはどうなのか、という見解も多い。
ではユキがミュータントなのか、と問われれば違う。
その辺りは闇医者の検査で確認済みだ。
ユキは色素が薄いだけのただの女の子。そこに動物に嫌われやすいと付いただけ。
どのみちユキの要望は叶えられなかったわけで。
「じゃあヤスがいたから?」
「んな怨めしく言わないでくれ……。つーかそれだったら俺の方に来るから」
どうにか機嫌を良く出来ないだろうか。
周りを見渡すも、そうそう都合良く用意されているわけもない。
「……わけでもない、か」
ガラスケースの向こう。ぬいぐるみが飾られていた。
レトロカルチャーでは子供のプレゼントだが現代ではそうとは限らない。
チワワやマルチーズといった自力での生存能力が低い愛玩犬、マンボウやパンダ等の繁殖力の弱い生物は大災害により絶滅しており、生で見ることは出来ない。特に変温生物は過酷な環境の変化にほぼ全ての種が絶滅している。しかしレトロカルチャーを初めとした資料は残っているために、ぬいぐるみやフィギュアで再現することは可能だ。
そういったぬいぐるみは人気で単価も高く、一部はむしろ大人のプレゼントとして好評だ。
現にこの店もそういったぬいぐるみをガラスケースに多く飾っている。だからといってセンターにカエルはどうなんだ。しかもかなりリアル。店主の趣味を疑う。
「おいユキ」
声をかけても無視される。
仕方ないので強引に抱き上げ店の中へ入っていった。
「ちょっと!」
「まあまあ。エスコートはまだ終わってませんよっと」
店に入ると少し甘い匂いがした。
香水の匂いだ。暖色の照明が大人な雰囲気を出す。
リアル系やデフォルメ系などの様々なぬいぐるみに囲まれた店内は、ユキの落ち込んだテンションを上げるには十分だった。ただ素直に喜ぶのは悔しいのか、上がる口角を必死に我慢して引きつらせている。
平日の昼間、そして予想以上に値段が高いせいか客は他にいなかった。
店員が愛想笑いを浮かべてやってくる。
「いらっしゃいませ。お子様へのプレゼントでしょうか」
「ああ。猫が好きなんだけど嫌われちゃってね」
「それはお気の毒様です。ご安心下さい。当店の猫は爪を立てることも噛み付くこともありません」
「そいつはありがたい」
さほど大きくはない店内を案内される。
やはり犬猫というのは人気が高いらしく、隣接して大きくスペースが取られている。
猫のぬいぐるみといっても様々なものがあった。
座って正面を見つめる猫。伏せて目を細めている猫。丸まって寝ている猫。立ち上がって歩いていきそうな猫。大きなあくびをしている猫。抱き合っている二匹の猫。
どれもこれもが生きてはいないぬいぐるみだが、なるほど良く出来ている。
一つを手に取り触ってみると、本物と同じ、あるいはそれ以上の触り心地だ。
ユキを降ろしてやると、早速手を伸ばした。
近くのぬいぐるみに触れると「わぁ……」と感嘆の声を漏らす。
抱きしめてみたり顔を埋めてみたりする内に、すっかり機嫌は元通りだ。
その光景を見て、康之は選択が正しかったことに安堵した。
猫に嫌われるのは予想外だったが、ぬいぐるみであれば襲われる心配もない。ペット禁止のアパートでも『か』える。
終わり良ければ全てよし。闇夜に灯火を得た気分だ。
やがてお気に入りを見つけたのか、両手で持ち上げ見せてくる。
「この子が一番かわいい!」
力なく手足を伸ばした猫だった。癒しを重視したデザインなのか、リラックスした表情でまるで昼寝をしているようだ。
「そうだな。すごく可愛い」
褒めると更に機嫌が良くなったのか、ぬいぐるみと鼻を擦り合わせる。
「いくら?」
「五万円になります」
「……へぇ」
「毛の一本一本まで拘った人気の商品です。在庫も少ないのでいつ無くなるか分かりません」
「商売上手いね」
「恐縮です」
まあ、自分の分の食費はほぼ無いし。後の買い物もユキの食料ぐらいだ。
会計を済まして改めて渡してやると、大事そうに抱える。
「なくすなよ」
「うん!」
もう猫に襲われた不機嫌はどこかへ行ってしまったようだ。
手を繋ぎ、外に出ようとして
「あー……」
「どうしたの?」
道路の反対側。スマホを持った男と目が合った。
男は自然に視線を逸らしたが、康之は気付いた。
目が合う瞬間がおかしかった。そこに気付けば次々と違和が視界に収まる。
「もう少しぬいぐるみを見てこうか」
扉に伸ばした手を引っ込めて、ユキを抱き上げ引き返した。
客の姿が見えなくなったと思ったら、入れ替わるように男が飛び込んで来た。
「いらっしゃ――」
「今この店にいた客はどこに行った?」
店内に食い入った男は、商品など目もくれずに詰め寄った。
「……裏口から出て行かれましたが」
「どっちだ」
「そちらです」
指差すと、男はすぐに駆け出した。
ほぼ同時に、もう一人男が入って来る。
「こっちだ。早くしろ!」
「分かった」
そうして男二人は裏口から出て行った。
扉を開けたまま。振り返りもせず。
扉を閉めるついでにしばらく待ってみたが戻ってくる様子はなかったので、店の奥に置いてある熊のぬいぐるみに話しかけた。この店で一番大きなぬいぐるみだ。
「出て行きましたよ」
「ありがとクマー」
熊が喋った。
否。
熊の群れの中から人間が出てくる。
男達が探していた、子連れの客だ。
熊をかき分け、客は短く息を吐いた。
「助かったよお姉さん」
「今後は入店の際は尾行されないようにお願い致します」
「はーい」
間延びした返事をしながら、客は折り畳んだ札を数枚手渡した。勿論子供に見えないように。
少しはまともな相手かと思いながら、尊重して子供に気付かれないように受け取った。
「慣れてるね」
「こう見えて人生経験豊富なもので」
「なるほど。人は見た目によらないわけだ」
「ここに勤めてからは静かに過ごしていたのですが」
「まあ何事にも想定外はあるものだ。ところで今の人達知ってる?」
「いいえ」
「本当に?」
客はもう一度財布を見せるが、首を振る。
「申し訳ありません。本当に知らないのです」
先程受け取ったのは見逃したことに対する礼で、これ以上の関係を断ち切るものだ。続けて受け取って関係を深めることはしたくはない。
「ただ……」
「ただ?」
飛び込んで来た男達をよくよく思い出してみる。
「確か“衣”と書かれたバッチを付けていました。なのでその筋の方だと」
「衣か……無駄に縁があるな」
心当たりがあるのか、妙に納得した顔で一人頷く。
「また来るよ」
黙って笑顔のまま、二度と来ないことを祈りながら見送った。
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