第十一話 拷問

「クッソ! どこに行きやがったあの野郎……!」


 蹴り飛ばした空き缶が壁に当たり、裏路地に音が響く。

 時刻は深夜。善良な人々は眠りにつき、性根の腐った連中が表に出てくる時間帯。

 数時間前までは退勤後の社会人や食事に行く親子や恋人で溢れかえっていた道も閑散とし、少し外れれば刺青や生傷の絶えない男達が跋扈していた。身なりの良い格好をしていれば、カモか夜の支配者のどちらかだ。

 男二人は後者だった。歩みを進めるだけで、不機嫌そうな男も道を譲る。

 一人は苛立ちを隠そうとせずに物に当り散らしていた。

 もう一人はタバコを吸って、暴れる男を眺めていた。


「……今日はもう無理だな。そろそろ帰ろうぜ」

「ふざけんな! のし上がれるチャンスなんだぞ。簡単に諦められるか!」


 言い分は理解出来る。

 そして同時に、だが、とも思う。

 胸に掲げられた“衣”のバッチ。それは都内暴力団最大勢力の内の一つ、千陣会の三次団体、衣笠組の構成員である証だ。


「このガキを親父に差し出せば間違いなく直系に上がれる。そうすりゃ俺だって組持てんだ」


 取り出したのは一枚の写真。

 白髪が特徴の少女が精気のない目で写っている。真正面から撮られたそれは、まるで犯罪者の逮捕写真だ。

 男達の仕事はこの少女を捕まえることだった。

 上からの命令で、シノギで使っている少女が逃げ出したらしい。少女の風貌はよく目立つ。ましてや後ろ盾のない子供など見つけるのは容易いと高を括っていた。しかも捕まえた組には多額の報酬が約束されている。

 これを成功させれば千陣会での格は大きく上がる。もしもそれが自分の手柄だとしたら、想像しただけで頬が緩む。

 問題は、他の組にも同様の命令が下されたことだ。

 上からして見ればどれかの組が見つけてくれれば良いのだろうがそうはいかない。

 無視出来ない報酬なだけに、どの組も血眼になって探している。

 男達は運良く初日に見つけられはしたが


「ああクッソ! あん時逃げられなけりゃ……!」


 少女は一人ではなかった。

 男が共にいた。あの男が今も逃亡の手助けをしているのだ。

 でなければ、あんな子供すぐに捕まえられたはずなのに。

 追いかけたもののすぐに見失ってしまった。今は影すら掴めていない。


「そろそろ兄貴達に連絡した方が……」

「そしたら手柄を取られちまうだろうが!」


 それはあってはならない。

 自分はこの極道社会で成り上がりたいのだ。

 自分より下が取った手柄なら横取り出来るが、上はそうはいかない。

 極道の世界は絶対的な縦社会なのだ。親が黒と言えば黒、とはよく言うが、まさしくその通り。万が一にも自分の手柄を兄貴分に取られるわけにはいかない。

 だが実際二人だけでは手詰まりなのも事実。

 再び暴れたくなるような熱をグッ、と我慢し息を吐く。

 すると少しは頭の血も下がったのか、多少冷静な判断が出来るようになった。

 何せまだ探し出して数日だ。それで見つけたというのだけでも大きな成果だろう。

 そして見つからなかったということは、この辺りにはいないということ。

 兄弟分の言う通り、今日は撤退し英気を養うのが吉だろう。


「悪い。頭に血が上ってたみたいだ。いつもの店で一杯やってから帰るか」


 返事はなかった。

 不審に思い振り返ると


「――――!」


 口を塞がれ、その勢いのまま頭を壁に叩きつけられた。

 急な衝撃に頭の中が真っ白になる。不意打ちとしてはまさしく文句のない一撃だった。

 痛みに耐え、訳も分からないままとにかく反撃の為に手を出すが、掴まれ捻り上げられ、肘を壁にぶつけられる。

 じんじんとした激痛に怯んだ瞬間、今度はパンツを掴まれ、気付けば地面に衝突していた。

 混乱と痛みで身体がまったく動けずにいると――否、例えそれがなくとも避けられはしなかっただろう。体重の乗った膝が鳩尾に降りかかった。

 この一撃が致命打になった。肺から空気が抜けたことで呼吸困難となり完全に動けなくなってしまった。

 強い。不意打ちなど関係なく、一撃一撃の重さで格差が分かる。自分では逆立ちしても勝てない。

 一切の反撃を許さない一方的襲撃(ワンサイドゲーム)。

 幾つもの衝撃でぼんやりとした視界の中で、最後に見たのは黒い塊が近づくさまだった。




 薄暗闇。

 唯一の光源である机上のデスクライトは、極僅かを照らすだけで心もとない。

 バケツ一杯に入った水を、椅子に縛り上げた半裸の男にぶちまけた。

 男は咳き込みながら覚醒し、康之を見上げる。


「手短に済まそうか。うちの眠り姫が目覚めちまう」

「……俺が何をしたっていうんだ」

「とぼけるのはよして欲しいなあ」


 男の目の前に一枚の写真を突き出す。

 表情こそ康之に見せるものと大分違うが、写真に写っているのは見間違えようもなくユキだった。


「ああ、もう一人の方からはもう話は聞いたよ。この世界に足突っ込んでからの兄弟分らしいね。俺はそういう相手はことごとく先立たれるから羨ましいよ」


 嫌味とでも取られたのか、男は苦虫をかみ締めたような顔を見せる。


「兄弟はどこにいる」

「別の部屋で眠ってるよ。会えるかどうかは、アンタの態度次第かな」


 男の隣にある台。

 そこに目を向けると、男はぎょっとした。

 どこにでもある一般的な木製の台。その上にはどのホームセンターでも売られているような工具が複数置かれている。

 ハンマーにノコギリといった物からドリルやカットソー等の電動工具まで種類は様々だ。

 加えて手袋を着用しているとなれば、DIYでもするのだろうと想像出来る。

だがこの現状。

 捕らわれた男と捕らえた男。そして人気のない倉庫。更に付け加えるなら追っ手と逃走者。

 逃走者が追っ手を捕まえたとなれば、行うのは二つに一つ。

 ――殺害か、拷問。


「無駄に人生長いとさ、余計なことまで覚えちまうのよ」


 工具の中から適当に取る。

 ドリルだ。男の目の前で、スイッチを不定期に切り替える。

 ぎゅいんぎゅいん、と音を鳴らすたび、男は顔を引きつらせる。


「それこそ痛い目に何度もあって来たし、あわせて来た。例えばドリル(こいつ)なんかな、肉をずたずたにするから治りが遅い遅い」

「――やめろ」


 やめない。


「ああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ――――――――!!」


 左手の甲に体重を乗せてドリルを突き刺した。

 骨ごと抉り、肉片と血を撒き散らしながら肉の地面を掘り進める。

 穴が開通したところで回転を止め、一気に抜いた。

 抜く瞬間に一際醜い悲鳴を上げるが、その後荒い呼吸の中で小さな悲鳴を続けている。


「本当はこんなことしたくないけど、アンタら痛い目合わないと無駄にイキがるだろ。ただ、これで伊達や酔狂でこんなことしてる訳じゃないって分かってくれただろうから……」


 ユキの写真をもう一度見せ、問う。


「これ、どこから手に入れた? アンタらの親? それとも外部?」

「…………」


 脂汗を浮かべながらも沈黙を選ぶので、膝をドリルの先端で軽く叩く。


「ひぃっ!」

「膝――穴空くと、二度と歩けなくなるぜ」


 それから徐々に徐々に、太ももへ先端を動かしていく。

 この男は怯えて腰が引ける様子が大変分かりやすい。典型的な痛みに慣れていない加虐者だ。

 こういうタイプは容易く口を割る。


「太ももは太い血管が集まっててな、手首と同じですぐに止血しないと簡単に失血死するんだ。試してみるか?」

「う、上からだ!」


 ほら。


「上からの命令があったんだ! そのガキ見つけろって、うちの組だけじゃない! 他の組の連中にも同じ命令が来てた!」

「上と言うと?」

「……ち、直系の柴崎組だ。言っておくが俺らはただ親父の命令に従っただけだ!」

「へえ」

「本当だ! あんただって裏の人間なら親父には逆らえないのは知ってるだろ!」

「ああ勿論。だけどそれはそっちの都合だろ?」


 今度は膝の下を狙った。


「だああああああああ、あああ、ああああああああぁぁぁぁぁ――――!!」


 膝に直接当てると皿が邪魔して案外進まない。だが座ると出来る窪み辺りを狙うと隙間に入り込むように抉るので、関節を砕くにはやりやすい。


「嘘、じゃ、なあああいいいいいいいいいいい! かん、幹部達がああああああああああ! そう、伝、達! して、たんだあああああああああああ!」


 回転を止めて引き抜く。

 終わった後も血反吐を吐くように息をする姿は、ある意味競技後のスポーツ選手に似ている。

 自分も過去に経験したことのある拷問だが、確かにこれはキツイ。しかも再生速度が速いせいで何度もやられたのは今でも若干トラウマだ。思い出せば同情するが、そんな優しさかけてやる義理はない。

 髪を掴んで血と肉片で汚れたドリルを見せつけると、まさしくホラー映画の被害者役にぴったりな表情が顔面に張り付いていた。声など生まれたての小鹿以上に震えている。

 ここまでの表情を見せるなら、大本は柴崎組で間違いなさそうだ。


「他に探してる組はどこだ?」

「確、か……くら、ま組、と、乾一家。後は……北、島組と、久野組、だ……」

「確かに、どこも柴崎組系だな」


 千陣会の直系で、主に大田をシマにしている組織だ。この男が所属している絹笠組も柴崎組の系列だ。

 康之の事務所は渋谷寄りだが、油断は出来ない。

 絹笠組と乾一家のシマは他の組に比べて事務所に近いからだ。

 だからこの男に見つかったのだと納得出来る。


「いつ頃から探し始めた」

「組に、話が来たの、は、朝、だった……。全員に、話が、行き届いたのは……昼頃だったと思、う……」

「俺らを見つけるのに何かアテはあったか」

「何も……他のやつらが、街の方に……行ったから、逆に、向かった」

「じゃあ本当にラッキーマンだったわけだ」


 笑いながらジョークをかますと男もつられて笑ったので、ドリルのバッテリー部分で左手を殴った。


「づっあ!」

「親父なり兄貴なりに連絡はしたか」

「っ……まだ……して、ない」

「数時間前のことなのにか?」

「手柄を、奪われたく……なかったから」

「そうか。まあ理解は出来るがホウレンソウはしっかりしないとな」


 一先ず区切りとし、ドリルを台に戻した。

 すると拷問が終わったとでも思ったのか、男は数度の呼吸の後、言い出した。


「なあ……アンタ、ちょっと……いいか?」

「なんだ」

「取引……しない、か?」

「…………」


 男の背後に回りつつ、気付かれないよう道具を一つ取る。


「あのガキにどれだけ、はあ、はあ……入れ込んでるか知らん、が、ガキを……渡せば、かなりの、額が手に入る。……ほとんどは親父が、持って行くが……俺がガキを、差し出せば、俺にも、手柄として……それなりに、貰えるはずだ……」

「だから?」

「言い値をやる。だから、あのガキを……」


 言い終える前に腕の皮を削いだ。


「でぇえええええあああああぁぁぁぁぁ――――――!!」


 使ったのは鉋だ。

 腕の皮が削られ、真っ赤な血肉が滴る。

 もはや男は息も絶え絶え。唾液を抑さえることも出来ず、口を大きくし呼吸を乱している。


「や……やめて……」

「交渉が下手だな。金が目的ならとっくに絹笠の親分さんのとこ連れてってるよ」


 コンビニで買った塩を一掴みし、削った腕を掴む。

 傷口に塩、ということわざの通り一際甲高い悲鳴を上げて男は苦しむ。


「これ以上俺を不機嫌にさせないでくれ。アンタは質問に答えてればいい」

「わかっ、た! 分かったから止めてくれ!」

「止めるかどうかはアンタ次第だ。千陣会系以外で子供を追ってるのはいるのか」

「知らな、い……! 外の組織のことはまったく知らないんだ!」

「じゃあ、最初に子供を連れ去った男達は知ってるか」

「知らない! お前が! 連れ去ったんじゃ、ないのか!」

「ああ。ホームランボールの先に彼女がいてね」


 手を放す。

 だからといって完全に塩が取れるわけでもなく、男の苦痛は続く。

 手袋の赤く染まった塩を用意したタオルで拭き取り、改めて男と向き直る。


「まあ案の定下っ端だな。あれもこれも知らない」


 綺麗になった手で――それでも不快感は拭えないが――タバコを取り出す。

 火を点けて、紫煙をゆっくり、たっぷり吸い込む。

 吐き出した煙が、血の臭いと苛立ちを少しだけ誤魔化す。


「助けてくれ……頼む……」

「――ああ、そうだな」


 震えて泣き言になっている男に銃口を向ける。


「やめてくれ! 知ってることは全部話した! 助けてくれぇ!」

「約束だ」


 撃鉄を起こす。


「兄弟に合わせてやる」


 乾いた銃声と共に、男の幕は引かれた。

 塩とタオルをビニール袋に戻して回収し、男の死体に背を向ける。

 扉を開ける瞬間、男の声がリフレインする。

 ――金をやる。だから、あのガキを……


「知らんだろうがね、俺は道理も矜持もない連中が嫌いなんだよ」

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