第二十四話 弔い
ホークアイは、透視と遠視の能力でその状況を見ていた。
対面し、触手の対応に追われていた康之には分からなかっただろう。
間合いが伸びたのは、単純にホークアイの雇い主、戒が踏み出したからだ。二人は友人故に、康之は戒を直接攻撃するのを躊躇った。だから意識的に本体の方には目を行かないようにしていた。でなければあの男がこんなミスをするはずがない。
そして視界外からの攻撃。これはその前の刃状の触手の影に隠れ、同時に来ていたものだ。恐らく偶発的なものだろう。時間が経つにつれ触手の動きは活発になっていたが、自我を失っている以上高度な動きは出来ない。
もしも康之が戒を撃つのに躊躇いがなければ、二つの原因は生まれすらしなかった。
自業自得だ。普段なら見捨てて仕事に戻る。
「だが、今はこれが仕事だ」
狙いを戒に向けた。
戒は雇い主だが、報酬はすでに受け取った。それに依頼内容は『エーデルワイスを康之の元に連れて行くこと』。雇い主が依頼の妨げ、ましてや暴走しているなら躊躇うことはない。ホークアイと戒の間には、ビジネス以外の関係はないのだから。
ジュリアとユキはエレベーターを使ったおかげか、既に施設から脱出した。二人の援護はもう必要ない。
重力、風。弾道に影響を与える全てのものを計算し、戒よりもやや上方へ標準を定める。
一発で最奥まで届かないのは分かっている。だから一発目は道を作るのと、注意を逸らす為。二発目を同じ軌道で撃つのはホークアイにとっては朝飯前だ。だからそうしようとした。
『あ』
無線から間抜けた声が聞こえるまでは。
その声が何を意味するか、ホークアイはこの目でしっかりと見えてしまった。
「……何をした田舎娘」
『いや、その、アレよアレ。アタシなりにアイツを手助けしてやろうかな、と……』
「それであのデカブツを解放したのか」
『い、いやー。何が入ってるのかなーって気になったから手がね、勝手に……』
「どうなっても知らんぞ」
『な、なんとかなるでしょ。……多分』
「そうだといいがな……」
肉が裂ける。そう思った瞬間だった。
マスターの背後。小さな机があった壁が突如破壊された。
最初はホークアイかと思ったが違った。奴なら上が壊れるはずだ。
姿を現したのは巨体。色白の肌を露出させた、天井に頭が着くほどの大男だった。
康之は、その大男に見覚えがあった。
「……はっ、なんだその姿。今度はレアル・マドリードって呼んでほしいのか?」
初めて会った時よりも一回り大きく、肌の色も変わっていたが、ユキと出会った時に倒したはずのハルクモドキだった。肌と同じく白くなった髪を見るに、こいつもユキの細胞を埋め込まれたのだろう。
ユキの能力はミュータント化だが、ハルクは既にミュータントだ。ミュータント化の次はミュータントの強化のつもりか。随分と研究熱心なことだ。
だが事実としてハルクの肉体は大幅に強化されている。今度殴られれば、間違いなくホームランでは済まされない。
「ガアアアアァァァアアアァァァァ!!」
雄叫びを上げる乱入者に、マスターは捕まえた康之を簡単に離し、触手を巨体に向かわせる。
康之よりもずっと大きな身体は捕まえるのは簡単だっただろう。しかし拘束するだけの力はなく、動きを止めるどころか障害にすらなっていない。
自らの動きを妨害した邪魔者に、ハルクは我武者羅に突撃した。
「……オイ、邪魔をするなよ」
マスターと衝突してハルクの突撃は止まない。ダンプカーなど目ではない巨人の突進は、直線上にいた康之すらも巻き込もうとする。
――康之は逃げなかった。逃げる気もなかった。
むしろ立ち向かうように、ハルクの顔面目掛け跳んだ。
マスターの肩に足が掛かり、血を吐く程の威力を受けながらも、なんとか顔を覆うようにして乗ることが出来た。短い白髪を左手で掴み、決して離さない。
衝撃が骨を折り、内臓を潰す。背後の壁にぶつかり、破壊した影響で背骨にもヒビが入った。気にすらならなかった。
康之の頭の中には、一つのことで頭が一杯だった。
「こいつを、殺すんじゃねえ……!」
再び背中に浴びる衝撃に耐え、右手でキーホルダーと入れ替わりで用意した物を手にした。
フラググレネード。
安全ピンをベルトループに紐付けされたグレネードを二つ、引き抜いてハルクの口に腕ごと入れる。
不意に入ってきた異物をハルクは噛み砕き、腕が食われたがもう遅い。既に深くまで進んだ奥で手放していた。近いからこそ、飲み込んだ音がはっきりと聞こえる。
体内で爆発した衝撃が、外にまで伝わってきた。
内側からの爆発は銃弾よりも効くだろう。ハルクは血の涙を流し、速度を消せぬまま転倒して最後に壁をぶち破る。
動力が失われた康之は一瞬宙に浮かび、床に叩きつけれらた。
触手から受けた傷に、ハルクの突進による致命傷からの叩きつけだ。あまりの激痛に気絶しそうになる頭を、意地でなんとか堪えた。
咳と共に血を吐き出し、首だけの動きで周囲を見渡す。
ハルクは倒れ伏せ、動かない。個人が持てるサイズとはいえ、グレネードが体内で爆発したにも関わらず五体が無事なのは流石だ。ここの研究員が目を付けたのが理解出来る。
……マスターはどこだ。
反対側を見ても見当たらない。触手の一つすらだ。
激痛が走る身体に鞭を打ち、頭と左腕を支えにしてなんとか立ち上がる。
足が覚束ないのは痛覚だけのせいではない。胸の傷は治りかけているが、壁を破壊した際の背骨のヒビがまだ治っていないのだ。不死の肉体だからこそ出来る強引な足取りで、ハルクに近づく。
今度こそ死んだだろうか。似たような状況で生き残った前例があるから信用出来ない。
少なくとも今は動く気配はない。巨体に触れて支えとし、一息つく。
見つけた。
マスターの姿だ。ようやく見つけた姿に、先程どうして見つからなかったか理解する。
「……最悪のオチだな」
マスターは、ハルクの下敷きになっていた。あらわになっているのは肩から上で、そこだけ見ると普通の老人にしか見えない。
身体が潰れたのか、背後には血が広がり、湖、いや、三途の川に浮いているようだ。
「どうせリスペクトするなら、触手だけにするなよ」
焦点が合っていない目は空虚なものに成り果てた。が、なぜだか康之を見ているように感じる。
意思のない瞳に見つめられた康之は、無性に悔しくなり、白い身体を殴った。
「……ぁ……」
まさかそれが心臓マッサージの代わりになったわけではないだろう。
だが彼は確かに声を上げた。
「……なんだ……地獄とは、随分、寂しいところなのだな……」
帰ってきた。
自我を失った哀れな怪物ではなく、間違いなく己の友の声だった。
「閻魔の顔ぐらい、拝んでみたかったものだ……」
「ユキのいるところを地獄にする気か?」
「その声……康之か……?」
瞳が左右に泳ぐ。どうやら目は見えていないらしい。
それでもこれは奇跡的だ。マスターが帰ってきたことに、深く安堵する。
――それが、例え刹那の再会だとしても。
「身動きがとれん……息も苦しい……。あれからどうなった……?」
「安心しな。今は白衣の天使に囲まれて手厚い看護の最中だ」
「……嘘が下手だな」
「確かめられないくせに決め付けるなよ」
懐かしい会話だ。たった数分前に話したばかりだというのに。
この会話が嬉しくて――少し寂しい。
「……まあいい。丁度、言い忘れていたことがあった……」
後に続いた言葉に、やっぱりこの男らしい、と自然に笑みが浮かぶ。
それを知ってか知らずか、マスターの顔にもシワが増える。
「知らなかっただろ?」
「いいや。悪いが来る途中で調べちまった。帰ったらどうしようか考えてたところだ」
「なんだつまらん……」
それでもシワは作られたままだった。
だが次第に空気が抜けるように生気も抜けていく。
ふう、と長く息を吐く。
「……これで、思い残すことはない」
「待てよ」
これで終わりだと言わんばかりの態度に待ったをかける。
「また話は終わってない」
「これ以上老体に鞭を打たんでくれ……」
「言うだけ言って勝手に満足するなよ」
また大切な話をしていない。
終わりにするにはまだ早い。
もう少しだけ話すことがある。
だから……まだ逝かないでくれ。
「俺の仕事忘れたか?」
「……?」
「何でも屋だ。依頼するならちゃんと報酬を貰わないとな」
「……遺言ぐらい、快く引き受けんか……」
「そうは問屋が卸さんよ」
マスターのすぐ傍に腰を下ろす。
顔が白い。本当に、残り僅かな時間しか残されていないのだと、嫌が応でも見せ付けられる。
「店を好きにしろ。最初からそうするつもりだった」
「店なら既に持ってる。まだ二号店を出すほど社員はいないし、金ももうない」
だから。
マスターの首元に手を伸ばす。
「こいつを貰っていくぜ。前から欲しかったんだ」
「……ネクタイか?」
目は見えなくても動きで分かったらしい。
「ああ。これがあれば多少はマシに見えるだろ?」
「ふっ、性根が変わらんことにはな……」
「言っとけ」
彼の笑い声は、耳を澄まさなければ聞こえない。
枯れてなお優しい瞳が閉じていく。
続く声も
「……康之」
その先も。
「――……」
「おう」
返事は一つ。依頼は既に承った。
ネクタイを自分の首に巻きつける。
真似をして首元まで絞めるが、しっくりこないし息苦しい。胸元まで緩めてようやく落ち着くが、やはり慣れないせいか存在が気になる。
「重いな。お前のネクタイは」
歩き出す。
もう振り返ることはない。
そして二度と会うことも、もうない。
「派手に弔ってやるよ」
最後の仕事を始める。
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