第十三話 来客

 久々の来客だ。

 リビング兼応接室へと通し、ソファへと座らせる。


「すみませんね、茶葉を切らしてて」

「あー、いえいえ、お気使いなく」


 ぱっと見はただの中年サラリーマンだ。

 くたびれたスーツに使い古したビジネスバッグ。白髪交じりの短髪は歳のせいかストレスのせいか。どこか緊張した面持ちで眼鏡越しに目が合う。


「では改めて。便利屋八百万の上村です。今日はご依頼で?」

「え、ええ」


男はやや言い辛そうに続ける。


「実は……妻と娘が出て行ってしまいまして……」

「あー、はいはい。なるほど」


よくある類の依頼だ。


「人捜しなら警察に行った方がいいんでは?」

「……その、実はですね、最近会社の業績が悪化して赤字続きで……その、あまり褒められたものではないのですが……ストレスを、あの、家に持ち込んだこともありまして……」

「……なるほど」


 要はDVをしてしまったから警察は介入してほしくないと。

 道理で先程から声に覇気がないわけだ。

 まあ中には後ろめたさがある客も多い。これもよくあることだ。

 康之の仕事は犯罪者を捕らえることではない。ただ――子供にまで、というのは癪に障る。


「奥さんの実家には連絡は?」

「しました。ですが帰って来てないの一点張りで……その辺りを含めて探してほしいのですが」

「分かりました」


 しかし人捜しはかなり時間がかかる仕事だ。

 収入があるのは有り難いが、ユキのことを考えると長期の仕事は避けたい。

 もっとも、余裕があったところで正直に仕事はしないが。

 こういう時は見つかったら相手と相談して、場合によっては合わせないパターンが多い。


「実は別件を抱えてましてね、調査は短期間だけになります。もちろん金額の方も相応な額にしますよ」

「ええ、それは、はい」


 少々不服そうではあるが仕方ない。


「ではこれに名前と連絡先、こっちには奥さんとお子さんの情報をなるべく細かく書いて下さい」


 机の下から二枚の紙とボールペンを取り出して男に差し出す。

 一枚目は客の個人情報、二枚目は人捜し用に印刷した紙だ。

 前者は必須、後者はよくある依頼だから常設して置いてある。


「それと写真とか顔が分かるものはありますか?」

「ええ、用意してあります」


 男はビジネスバックから一枚の写真を取り出す。

 それを受け取る。


「ではこれは預かっても……」


 衝撃を受けた。

 何故なら写真に写った少女には見覚えがあったからだ。

 否。見覚えなんてものじゃない。

 なんならつい先程まで、同じ顔を見ていたのだ。

 一瞬理解出来なかった。故に遅れた。


「アンタな――」


 衝撃を受けた。

 今度は、物理的な。




 上村という男が死んだ。

 手元から放たれた凶弾は、一寸の狂いもなく男の頭部に命中した。

 支える力をなくした身体はソファに倒れ、そのソファも鮮血に染まる。

 助かる見込みは、ない。確実に死んだのを確認し、男は首元に仕込んだ小型マイクに話しかけた。


「害虫は退治した。花の確保に移る」


 立ち上がり、周囲を見渡す。

 この場から見る限り怪しい箇所はない。事務所に改造されただけのリビングだ。

ならば、と振り向く。

 扉がある。上村個人の部屋だろう。

 リビングに入った時に一番気になった箇所だ。“花”があるとしたらそこか。

 護衛がいないとも限らない。いるとしたら先程の銃声で警戒されているだろう。サイレンサーを付けているとはいえ完全に音が消えるわけではない。

 銃を片手にソファを迂回し、扉へ近づく。

 そして手をかけ


「そこは関係者以外立ち入り禁止だ」


 振り向きざまに撃った――遅かった。

 先鋭な何かが、最後に映る。




 背後の窓のガラスが散る。

 入り込んだ風が、男を崩した。


「不意打ちは得意のようだが、不意打ちされるのは苦手みたいだな」


 康之は立ち上がり、コートの裾で額を拭う。血の汚れは落ちにくいが、幸い目立たない色だ。

 この男が何者かは気になるが、少なくとも康之の敵だということは確定している。

 優先すべきはユキの安全だ。

 額に隠しナイフが刺さった死体を跨ぎ、自室の扉を開ける。

 外開きだった。


「邪魔!」


 死体を退かすと、扉が開く音がした。

 自室ではない。玄関からだ。

 そして同時に複数の足音が近づいてくる。重く、大きな足音だ。隠す気を微塵も感じない。

 やがて現れる武装した男達に、不機嫌を隠さぬまま拳大のモノを投げた。


「本日の営業は終了しましたよ、っと」

「! グレネード!」


 先頭の一人が叫び、覆いかぶさった。

 果敢で正確な判断だ。

 手榴弾の本質は爆発ではない。爆発により飛び散る破片の方だ。高速の金属片が周囲に飛び散ることで高い殺傷能力を得る。


 対処は主に三つ。

 投げ返すか、穴に入れるか、覆いかぶさるかだ。

 投げ返すのは現状不可能に近い。安全ピンを抜いてから爆発するまでは短く、しかも抜いてから投げるまでに間を置くことでより時間はなくなる。現に康之もそうした。

 穴も難しい。戦場のように事前に用意できるならともかく、現場でいきなり穴を掘るのは非現実的だ。間違いなく己の墓穴に様変わりする。ましてやコンクリートジャングルなら穴を掘るのもままならない。

 故に現実的な方法では最後が一番速く、確実だ。ただし間違いなく被害が出る方法でもある。

 だからこそ覆い被さった男は賞賛されるべきだ。例え訓練された動きでも、己の命を顧みず仲間の命を救うことは美談以外なにものでのないのだから。


 無論、結果が別になれば笑い話にも転ずるが。


「……スモークだと!?」


 男の真下から灰色の煙が溢れ、あっという間にリビングと廊下を覆う。

 その隙に自室へと入り込んだ。


「ユキ、無事か!」

「ヤス!」


 ユキが飛び込んでくる。

 コートを強く握る手がどれだけ不安だったかを伝えてくる。


「何があったの!?」

「ただのクレーマーさ」


 優しく抱き返し、そして抱き上げ、窓に向かって走る。


「しっかりつかまってろ!」


 蹴り破って宙へと飛び出す。

 事務所は二階。大した事はない高さだ。

 ガラス片と共に着地し、衝撃をユキに伝えないように脚で全て受け止める。

 嫌な音がした。決して無視できない痛みが襲ったが、不死の肉体で無視した。声を出さなかったのは褒めて欲しい。

 立ち上がる時にやはり嫌な音がしたが我慢し、周りを見回す。


「団体客の予約は入っていなかったはずだが?」


 武装した男達がマンションの周囲を囲んでいた。

 到底住宅街には似つかわしくない光景だ。思わずしかめっ面になる。

 一目見てユキが狙いだと分かった。己自身に恨む理由はあってもここまでされる謂れはない。

 数が圧倒的なのだ。十や二十では済まない。

 数えるのもうんざりするほどの凶悪なツラ達が、それぞれ凶悪な得物を手に待ち構えていた。

 意外にも銃火器が少ないのは、やはりユキを確保する為か。

ユキもそれらの姿を確認してしまい、震えた声と共に腕に力が入った。


「ヤス……」

「大丈夫だ。怖いなら目をつぶりな。すぐに終わる」


 言うと、その通りにユキは目をつぶり胸に顔を埋めた。


「良い子だ」


 頭を一撫でし、歩を進める。

 近づき、しかし人の波は避けることはない。退路を塞ぐかのように囲まれた。

 すぐに集団の目の前まで辿り着き、男達の共通点に気付く。

 バッチだ。それぞれが漢字一文字が書かれたバッチを胸につけている。見たところ衣と乾の字が多い。

 先頭にいた男が手にした警棒の先端を向ける。


「そのガキをこっち寄こせ。命だけは助けてやるよ」

「セリフがありきたりだぜ三枚目。もっと洒落た言い回しじゃないとウケないぞ」

「そうかい。じゃあその二枚目引き剥がして参考にさせてくれよ!」


 警棒が振り上がった瞬間、腹に蹴りを喰らわせて突き飛ばす。


「悪いがとっくに一枚目だ。やれるもんはないね」


 後ろにいた男達が巻き込まれ、同時に場が動く。

 背後や横にいた連中が一斉に動き出し、康之を捕まえようと手を伸ばし、得物を向けた。

 それらが間に合う前に空いた前方へ走り出す。

 倒れた男達を踏み潰し、立ち向かってくる奴らには九ミリを浴びせる。

 これだけいると外す方が難しい。適当に撃つだけで次々と男達が倒れていく。それでも掻い潜ってきた者は殴る。もしくは蹴る。

 腕を避けボディブローのように殴って撃つ。スライディンで足の間を抜けて立ち上がったら無防備な背中を蹴り飛ばす。それを加速に使い再び走る。合間の隙は射撃で埋めた。中には上手く近づけた奴もいたが隠しナイフの餌食となり、致命傷とは行かずとも仲間の妨げとなった。

 ある意味人質をとっているとはいえ、銃で攻撃されないというのは楽なものだ。近づく奴を蹴散らしていくだけで片付いていく。

 やがて壁が薄くなったのが分かった。

 後一歩。銃を連射に切り替え横一線に撃ち尽くす。

 弾はなくなったが瞬く間に壁は崩れ落ち――残るは一人。


「そいつを止めろ!」


 後ろから懇願にも似た命令が飛ぶ。

 しかし唯一残った壁は怯えて足が竦んでいた。それでも手にしたバットを振りかぶるが


「ジャストミ――――――――――――――――ト!」


 ドロップキック。

 子供一人分の体重をプラスしたドロップはさぞかし重かろう。男は顔面にモロに受けて盛大に吹き飛んだ。

 着地時に康之にも負担がきたが、体重を前へ傾けてバネにする。

 結果、目の前に壁はいなくなり、妨害する者はいなくなった。

 走り、走り、走る。

 近所など庭も同然だ。どこをどう行けばどの道に着くのかは地図を見なくても分かる。

 対して後ろの男達は慣れぬ道に加え、時折グレネードを投げてやれば追うのが精一杯。

 なかなか引き剥がせはしないが――住宅街の出口まで来れば十分。

 ブレーキをかけ、勢いをターンに変えて必死の形相に一礼。


「お勤めご苦労様。――ここからは選手交代だ」


 唐突に現れた車が出口を塞ぐ。

 先頭にいた男達は一瞬期待を表に出すが、すぐさま一変する。

 窓が開き、黒い筒が顔を出した。

 それらが一斉に火を吹き、連続した凶弾が男達を襲う。

 まさか康之の援軍だとは思ってもいなかったのだろう。

 逃げようとするも後ろの方はまだその事実に気付いておらず、ブレーキを踏んだ先頭の背中を押して逃げ場をなくす。


「戻れ! 向こうの応援だ!」


 発砲の音と前方の悲鳴でようやく全体が事態に気付き、来た道を慌てて戻っていく。

 それをただ眺めるだけはしなかった。

 車から男達が出て襲撃者を襲いに行く。

 その中の一人が康之の隣に立った。

 頭を上げて向き合う。彼の胸には期待通りに“天”と書かれた銀バッチを掲げていた。


「飽きて帰ってなかったか心配したぜ」

「ウチの親父は貸し借りにうるさいからな」


 男は渋谷を主なシマにしている天心会の一員だ。

 康之の事務所を襲撃してきた絹組や乾一家の親である柴崎組とは犬猿の仲と言っていい。

 先々代の組長からシマを巡って争っており、当時事務所を構えようとして巻き込まれたのはよく覚えている。

 どちらとも深い付き合いはしていないが、今回天心会に貸しがあったのを思い出していざという時の護衛を頼んだのだ。


「どっちかっつたったら利害の一致だけどな。アンタらだって柴崎の子分どもが近くでウロチョロするのは面白くないだろ?」

「ああ。だが、お前の事務所まで守ってやる義理はない」

「冷たいな」


 車が出口を塞いでいるのでボンネットの上を尻で滑って道路側へ移動する。


「それじゃ、後は任せたぜ」

「おい」


 立ち去ろうとする背中に男が問う。


「良かったのか? 今回の件で完全に柴崎組を敵に回したぞ」

「別に元からお友達じゃなかったしな」

「……そのガキにそれだけの価値があるのか? 奴らの狙いはどう考えてもガキだろ?」

「はっ」


 何を今更。


「俺にとっては子供ってだけで特別だ」

「……俺も昔、似た言葉を聞いたな」

「良い子に育ってくれなくて残念だよ」


 歩みを進めると、今度は何も言われなかった。

 男は走って衣笠組と乾一家の掃討に向かい、康之は歩いてこの場を離れる。


 ……昔はもっと可愛げがあったのにな。


 子供とは得てして望み通りには育ってくれないものだ。

 だとしても康之は己の生き方を変えない。

 少なくともこの腕の中の命を救うまでは。

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