第二十六話 打ち上げ
主人のいない喫茶店で、エミリーはポテトチップスを咥えながらテレビを眺めていた。
『先週、大田区の廃工場であった爆発の続報です。爆発のあった翌日に遺体で見つかった飯田直勝さんが組長を務めてた指定暴力団、柴崎組が廃工場の所有者だということが分かりました。また、廃工場の地下には研究所らしき施設が存在していたことが明らかになっていましたが、今回クラミツハを利用した研究がされていた疑いが浮上しました。クラミツハの扱いには行政の許可が必要であり、柴崎組はその許可を得ていません。クラミツハは高い有毒性と可燃性を持っており、今回の爆発はクラミツハに引火したものと見られています。警察は引き続き事故と事件両方で調査する一方、クラミツハの扱いについても追及していく方針です。続いてのニュースです――』
「最後の一仕事、なんて言うから何をするかと思えば、随分と派手なことをしたものね」
指に付いた塩気を舐め取っていると、隣に座ったホークアイがコーヒーを飲み干して言う。
「だが、これでエーデルワイスを狙う者はいなくなった」
「どうだかね」
テレビを消して、スマホを取り出し机に頬を着ける。液晶を見ながら情報収集する片手間、ホークアイとの会話を続ける。
「大本が柴崎組ってだけで、
「協力者は調べなかったのか?」
「調べたわよ。けど色々遠回しな援助だったりして、足取りが掴めないのよね」
一応、成果がなかったわけではない。全てではないが一部の協力者はすでに発見しており、それについては既に康之に報告している。しかも無料で。アフターサービスというやつだ。
ただしこれ以上は無料では出来ない。かなり危ない橋を渡ることになる。
「少なくとも早急に対処する案件でもないだろう。これだけの騒ぎになったのだ。エーデルワイスが死んだと考える者は多いはずだ」
確かにその通りだ。
爆発したのはユキを調べる為の心臓部。別の研究所があろうと、長年エーデルワイスというミュータントを調べていた資料とスタッフの多くが失われた。そして雌鳥であるユキはその現場にいた。まず助かったとは考えまい。
襲撃者が連れ去ったと考える連中もいるだろうが、その肝心の襲撃者は分からなければ意味がない。記録データはエミリーが削除し、目撃者のほとんどが康之の手か爆発によって命を落とした。しかも康之自身がミュータント化した実験体達と同様の特徴を持っている。実験体が暴走したと捉える生存者も少なくないはずだ。
「つーか、なんでアンタと二人きりでいなきゃならないのよ」
「知るか。奴に聞け」
エミリーは康之に呼ばれて来たはずだった。だが今いるのはエミリーとホークアイの二人だけ。
喫茶カイン。康之の友人が店主をしていた喫茶店だ。
店主はもうこの世にいないことは知っている。エミリーは監視カメラで、ホークアイは能力で現場を目撃していたのだから。
エミリー自身はこの店に大した思い入れはない。数度来たことはあるが潰れたところでどうとも思わない。監視カメラで見ていなければ主の顔を思い出すこともなかっただろう。
この店がこれからどうなるか分からない。恐らく康之がどうにかするだろう。アレで意外と色々気にする質だ。
「一週間遅れの作戦成功パーティとかさあ……まあそれはともかく、主催側が遅れるとかどうなのよ」
それでもジュリアが乗り気だから来たが、もう予定よりも一時間オーバーしている。
趣味が合うわけでも気になっているわけでもない男と二人きりだ。互いが悪く想っていない間であればロマンスの一つでも生まれたのだろうが、エミリーの想い人は一人だけ。彼女以外となど死んでも御免だ。
退屈を通り過ぎて苦痛を感じていると、からんころん、と鐘が来客を告げる。
音につられて見てみれば、待ち侘びた人物がとうとう現れた。
「ジュリア!」
「お待たせ、二人とも」
我が愛しのアモーレ。未だ一方通行の想いなれど、彼女の顔を見ただけで疲れが吹き飛ぶ。
椅子から立ち上がり、出迎えのハグをする。そのまま紅色の唇にも触れたかったが、まだ一線のある関係だから止めた。その分ハグに気持ちを込める。
両手に荷物を持っているジュリアは抱き返すことも拒絶することもなく、ただ言葉だけで受け入れた。
「遅いわ。もう」
「ごめんごめん。店が混んでてさ」
今朝ぶりの温もりを堪能した後は、もう一人の来客にも軽いハグをする。
「ユキちゃん久しぶりー」
「久しぶりエミリー」
作戦終了後、自宅で出会った時以来だ。故郷で弟妹や近所の子供達と遊んでいた時と同じように構ったら、あっという間に懐かれた。男の子であれば生意気と言うところだが、女の子であれば別だ。女の子なら大人でも子供でも大好きだ。勿論子供に劣情を抱いたりはしない。それはない。ありえない。キモイ。そういう気分になるのはジュリアだけだ。
小さな袋しか持っていないユキは、小さな手でハグを返してくれる。
「あれ? 二人だけ」
「ああ。康之は急な仕事が入ってな。先に始めててくれってさ」
「なにそれ。こんな日に仕事?」
パーティの日ぐらい休みにすればいいのに。それだけジュリアの退職願が響いているのか。
ともあれ遅れて来るなら仕方ない。先に始めるだけだ。
……どうせならホークアイを帰らせて女子会でもしたいわね。
楽しそうではあるが、それは次の機会に持ち越そう。
ジュリアの荷物を片方持ち、共にカウンターの裏に持っていく。
「野菜スティックとか、簡単なものは用意したわ。冷蔵庫の中に入ってる」
「ありがとう。助かる」
「私も手伝う!」
「ありがとうユキちゃん」
袋の中身はお菓子やオードブル、大容量のジュースといった、パーティー用のご馳走ばかりだ。袋詰めされているものは開封し、キッチンペーパーを乗せた皿に分ける。オードブルやピザ等のパッケージされているものは蓋を開けるだけだから簡単だ。出来たものからユキに運ばせる。
ジュリアが飲み物を用意していると、ホークアイが彼女を見て何かを見つけた。
「ジュリア。なんだそれは」
「ん? ああ、これ?」
気になりエミリーも見る。
ジュリアが持つショルダーバックから赤い包装が飛び出していた。
てっきりジュリア個人の買い物かと思いスルーしたが、
「ユキの誕生日プレゼント」
思いがけぬ言葉に、封を開けたお菓子を零してしまう。
「ユキちゃんの誕生日!? いつ!?」
「今日」
「はあ!?」
「あれ、康之から聞いてないか?」
「聞いてないわよ!」
そんなこと初耳だ。
メインは康之達が用意するからと、エミリーはせいぜいお菓子とデザートぐらいしか用意していない。プレゼントなんて以ての外だ。
「大体いつ誕生日なんて知ったのよ」
少なくともハッキングした時には見つからなかった。
そもそもエーデルワイスの資料自体がデータ上にほとんどなく、あっても健康状態や投与した薬品など、個人情報や研究資料とは言い難いものばかりだった。
「囮になってる時に見つけたらしい。研究資料はほとんど紙で保管されてたんだとよ」
「そりゃ見つからないわけよ……」
誕生日パーティーを兼ねているとしたら、一週間遅れなのも理解出来る。問題はそのことが伝わっていなかったことだ。
「ごめんねユキちゃん、知らなくって。今度プレゼント用意するから」
新たな皿を取りに来たユキに謝罪するも、首を横に振る。
「いいの。私、誕生日っていうの知らなかったし、こういうのも初めてだから。だから楽しいの!」
……健気!
屈託のない笑顔を前に、言葉を額面通りに受け取れるか。
嘘で気持ちを誤魔化しているのではないのは、皿を持っていくだけで楽しそうしている様子からも明らかだ。
だからといって何もしないわけにはいかない。プレゼントはないが、エミリーには全力を出す義務がある。
ユキを抱きしめ宣言する。
「こんな有り合わせを詰めたものじゃなくて、私が飛び切り美味しい料理を作ってあげる。だからちょっとだけ待っててね」
「うん!」
良い笑顔だ。これは期待に応えなければいけない。
エミリーは料理の腕には自信があった。東京に来る前から家事全般はこなしてきたし、ジュリアと同居してからは彼女を満足させる為に腕を磨いてきた。三ツ星レストラン並とは言えないが、店を出せるレベルだと自負している。
食材を買いに行く暇はないが、幸いここも飲食店だ。主がいなくて補充はされていないだろうが、日持ちする食材ぐらいあるだろう。
カウンター裏の冷蔵庫の中身はほとんど何もないのは確認済みだ。まっすぐバックヤードに向かう。
「ふむ。楽しみだな」
「なに他人事みたいに言っちゃってるのよ。アンタなんて手ぶらじゃない」
「俺は仕事をしただけだ。呼ばれたから来ただけで、そういったことをする気はない」
「ハーッ! セコイ男ね! 格好付けてるんじゃないわよ。だから根暗って言われるのよ」
指を刺しながら罵倒し、バックヤードに入る扉を開ける。
「いったあ!」
数歩進んだところで、何かに当たった。
前を確認しなかったエミリーもいけないが、こんなすぐ近くに何かがあるとは思ってもいなかった。
よろめき、後ろに下がる。
転ぶ時の独特の浮遊感がエミリーの身体を包んだ瞬間、何者かに手を引かれた。不意に出てきた支えに従うと、一歩下がっただけで転ぶことはなかった。
一安心。そこで、当たったのが人だと気付いた。
礼を言おうとし、言葉に詰まる。
……この手、誰?
今この喫茶店にいるのはエミリー達四人だけ。店主はもういない。
なら、この手を引いたのは誰か?
エミリーはジュリアやホークアイのように戦闘技術は取得していない。クラッキングに特化した非戦闘員だ。
もし強盗であれば成す術もない。このまま人質に取られる。そうなればユキもジュリアも危険に晒される。
そんな恐怖に駆られ、咄嗟に手を振り払った。
何者かと顔を見れば、
「酷いな。助けてやったのにその態度はないだろ」
よく知った白と赤を纏った男がそこにいた。
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