7-7 世界の姿

 暗闇を抜けると、そこは空の上だった。


「うわー」


「はあー」


 大窓の向こうに広がる景色を前に、ヒタクとアヌエナの口から声にならない声が漏れる。


 眼下では一面に開けた青空にいくつかの白い雲が沈んでいる。そのはるか彼方では茶色に霞む島が点として浮かび、さらに視線を上げれば色のないそらに輝く太陽が。そして改めて正面を見ると、漆黒の闇と青藍の光がせめぎ合って一本の線を引いている。


 その弓なりに伸びた天と空の境目は、大地から離れて暮らす者には見慣れたものだった。


「あれって、空平線だよね? 上側が真っ暗だけど」


「そうね。雪の上を歩いてた時、空の色が深く感じたけど、もっと濃くなるとあんな色になるのね」


 などと、初めて目にする眺望を堪能できたのは初めだけ。


 籠が上昇を続けるにつれて空平線は大きく湾曲していき、ついには一つの円となった。


 どこまで行っても果てのなかった、果てがある可能性など考えたことがなかった空は、今や青い球体として闇の中に浮かんでいる。


「そ、空が丸い……」


 眼前に広がる光景が現実のものと思えず、ヒタクは呆然とつぶやいた。


「寝る前はまだ、向こうまで続いてたのに」


 空の旅に慣れているはずの少女も、同じように目を丸くしている。


 そんな二人の様子を見て、朝食の片付けに来ていたロボットが声を掛けてきた。


「ドウカ、ナサイマシタカ?」


「あれ、なんで丸いの?」


「ドレ、ノことデショウ?」


「だから、あの空。あたしたち上に昇ってるだけなのに、何で丸くなってんの。空って、どこまでも広がってるもんじゃないの?」


「アナタがたノくラスそらノせかいハ、きょだいがすわくせいノひょうそうデス。ソノすけーるガおおキすギルため、にちじょうせいかつノなかデハ、すいへいニひろガッテイルようニかんジルノデス」


「巨大……なんですって?」


「がすわくせい、デス。わくせいノなかデモ、オモニきたいデけいせいサレタものヲさシマス」


「……分かる?」


「ううん」


 案内人の説明が説明になっていない。


 知らない単語の羅列にヒタクは眉根を寄せた。だがアヌエナのほうは現実的だった。頭を切り替えるように伸びをする。


「ま、いいわ。今はカグヤさんを追いかけることだけを考えましょう」


「そうだね」


 自分たちの暮らす世界が何なのか、そんなことは後で考えればいい。


 彼女の言う通り、今は姉と兄のことだとヒタクが気を引き締めていると、再びロボットが尋ねてきた。


「ほかニなにカ、しつもんハゴザイマスカ?」


「ええと、なにかあるかな?」


「やめておきましょう。説明されても分からないと思うし」


「それもそうだね」


「ソウ、デスカ……」


 二人の返答に、鈍色にびいろの頭がうつむいた。心なしか気落ちしているように見える。だが彼は食器を運搬用のカートに仕舞い終えると、これまで通りの無機質な声で告げてきた。


「マモナク、きどうステーションニとうちゃくシマス。げんざい、すてーしょんないノじんこうじゅうりょくハ、ていしシテオリマス。むじゅうりょうじょうたいニ、ごちゅういクダサイ」


「うん。分かった」


「いよいよね」


 言葉の後半は理解できなかったが、目的地に着くことは分かったので返事をしておく。アヌエナも聞き返すようなことはせず、決意を新たにしていた――が。


「きゃ!」


「わわっ」


 突如、体がゆっくりと浮かび上がり二人は驚いた。ヒタクは反射的に手足をばたつかせるが、身体が回転を始めるだけで思うように動けない。何もしなくても体が浮かぶという状態は、絡羽からばねで空を飛ぶ時と全く異なる。このままでは天井にぶつかる、と危機感を覚えたところで、床にとどまったままのロボットが引き戻してくれた。


「だいじょうぶ、デスカ?」


「な、なにこれ! どうなってるの!?」


 礼を言うのも忘れて疑問を叫ぶ。すると鋼鉄の案内人は、恐慌状態に陥った少年を落ち着かせるように、淡々とした声で説明した。


「むじゅうりょうじょうたいニはいリマシタ。けーじニかカルかんせいりょくト、ほしカラノじゅうりょくガ、うチけシあッテイマス」


「ナニとナニが打ち消しあってるって!?」


「これが、空の上の世界ってことね」


 経験の差だろうか。一つ所での生活が長い少年とは異なり、旅慣れた少女は未知の環境に早くも適応していた。宙に身を横たえたまま、彼女はいつもと変わらない口調で問うてくる。


「それで、これからどうするの?」


「と、とりあえず姉さんがいそうな所を探してみようと思う。なんていうのかな。管理者専用の……」


「ああ、管理室ね」


「そう、それ」


 言葉を交わすうちに、ヒタクにも余裕が戻ってくる。驚くのは後にしてまず行動。部屋に漂う絡羽からばねをつかもう――としたところで、ロボットが告げてきた。


「もうシわけアリマセンガ、こんとろーるるーむハ、かんけいしゃいがいたちいりきんしトナッテイマス」


「え!?」


「まあ、そうよね」


 ここまで親身に世話を焼いてくれた彼だが、さすがに管理者の詰所のような重要区域までは連れて行ってくれないようだ。宙に浮かぶ二人の間で、失望と納得が交錯する。


 だが残りの一羽が、ヒトならざる案内人に抗弁した。


「クァ」


「ヤタ?」


「クァークァークァ」


「ワカリマシタ」


 何が分かったのか、ヒタクが問いかけようとしたその時、静かな音とともに軽い振動が襲ってきた。床に接していた身体が再び浮かび上がる。


「今度はなに!?」


「きどうステーションニ、とうちゃくシマシタ。ドウゾ、コチラヘ」


 扉が開き、密閉されていた空気が広がる。その流れに沿うようにして、鋼鉄の案内人はホームの奥へと歩き出した。アヌエナが壁を蹴ってその後に続く。


「こちらへ、だって。とりあえずついて行ってみましょう」


「う、うん」


 反対する理由がなく、ヒタクも急ぎ絡羽からばねを背負い手足を振り回すようにして扉をくぐった。

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