6-3 再会、そして決別
「まったく、無茶してくれるんだから」
「ごめん」
炉に火を入れている少女のぼやきを受け、帆綱の調整をしていたヒタクの口は反射的に動いた。二人がやりとりにもならない言葉を交わす間にも、朱色に
「カラスの姿が見えないって気付いたときは、ほんと生きた心地がしなかったわ」
「うん」
空の色が赤から青へと移り、風向きも西から東に変わる。大気の変化に合わせるように、アヌエナが帆柱の下に来た。正面から吹き付ける風を
「はい、交代」
「うん、え? あ、うん」
「……よし。問題なさそうね」
逆三角形に広がる帆を確かめながら、少女は横目で少年を
「あんな無茶な操船でもしっかり役目を果たすんだから。さすが我が相棒、いえ、半身と言ったところかしら」
「うん」
「……ちょっと」
「う――」
「ああ、もう! しっかりしなさいっ! そんなざまじゃ、カグヤさんに何かあっっても何もできないわよ!」
「え!? あ、うん……じゃない。えっと、んっと、分かった!」
「分かったって……。ま、いいけど」
最後は諦めたように言って、舟の主は帆綱を握り締める。
「心配するのはいいけど、気は抜いちゃダメよ。じゃないと、いざって時に何にもできなくなるんだから」
「うん。気を付ける」
「……不安だわ」
ため息代わりの言葉を吐いて操船に入るアヌエナ。風を受け流すべく帆を操る彼女の姿に、ヒタクの意識は現実へと引き戻された。
(そうだ。しっかりしなきゃ。姉さんの身に何かあったら、助けるのは僕なんだ)
気合いを入れ直し、視線を空の彼方に向ける。すると見覚えのある緑の影が雲間に浮かんでいた。ほぼ同時に、舟を先導していたヤタが戻り、ヒタクの頭上を旋回しながら注意を促すように鳴く。
「クヮ!」
「え? なに……あ!」
森が煙を吹き出している。
空の樹を囲むように広がる緑の海から、何本もの黒い筋が立ち昇っている。風に
「どうして……?」
「六ツ星の連中、飛行船を停泊させる場所がないからって森を焼き払ったのね。なんて安直な」
よく目を凝らすと、樹海のあちらこちらに赤い光が
「そんな……」
「完全に出遅れたわね――あ、ちょっと!」
「っ!」
「姉さん……!」
背負いながらゼンマイ仕掛けの翼を展開、息もつかずに空中へ飛び出す。
「こら! 一人で――」
背後から声が追いかけてくる。
だが聞こえない。
無我夢中で風を切り裂き進む。森に近づくにつれ、抜けるような空の青を煙の黒が覆い隠していく。眼下に広がる火の赤と相まって、視界は病的な色彩を帯びてきた。それでも目をこらしながら飛んでいく――と、木々の合間にいくつかの人影が。
「あれは……」
慌ただしく動き回る彼らは、
「一体なにが……あの人達は――あ!」
緑の開けた場所に探していた姿を見つけ、ヒタクは反射的に頭を下げた。身体の重心が傾き、反動でゼンマイ仕掛けの翼が上側に跳ねる。空に大地を浮かべる神秘の力が背中を押し、少年を森へと突き飛ばす。
「姉さん!」
「ヒタク!?」
急降下しながら呼びかけると、カグヤはすぐに気付いてくれた。驚きの表情を浮かべて空を見上げる彼女の元へ、ヒタクは足が樹面に着かないままに駆け寄った。
「っとと――姉さん、大丈夫!?」
「ヒタク……まさか、このタイミングで戻ってくるなんて」
「姉さん?」
見たところカグヤの身に異変はない。無事を確認できてよかったが、普段の穏やかな笑みは一片も見えず、かえって不安が募ってくる。やはり火災は深刻なのだろう。何かできることはないかと口を開きかけたその時、聞き覚えのある声がした。
「どうした? ――お前は!」
「え?」
反射的に振り向き、ヒタクは目を疑った。この森にいるはずのない人が、
「帰っていたのか、ヒタク。久しぶりだな」
「兄さん!?」
記憶にあるより
「どうしてここに? いつ戻って? それにその人達は? 今までどこで何を?」
今見ている現実への理解が追いつかない。三年ぶりの再会で本来なら喜ぶべきことなのに、困惑ばかりが強くなる。
何を聞けばいいのか、どこに目を向ければいいのか。
そんなヒタクの定まらない視線は、兄の放った言葉によって止められた。
「彼らはエクアトリア連邦の軍人で、世界樹調査隊の調査員だ」
「調査隊?」
「エクアトリア連邦は知っているか? 赤道大陸の大半を治める大国だ」
「うん」
交易から急ぎ戻る風の中でアヌエナに教わった。拡大政策を採用し、積極的に外空――陸地が視認できない空域へ進出している国だ。ヒタクが思い返すうちにも、シグレは己の来し方を語り出す。
「フソウを出た俺は、クロロネシアへ渡り今後の身の振り方を考えた。そして情報を集める中で、国土の大半を開発した連邦がより多くの資源を求めて、積極的に大陸の外へ出ていると知った」
拡大政策を押し進める国ならば、自分の外空を渡った経験が生かせるはず。
そう考えたシグレは赤道大陸に渡り、空に広がる森と
「上層部に認められた俺は隊長として調査隊を率いて再び空を渡り、今こうしてここにいるわけだ」
簡潔な昔語りの最後に、兄は立ち上る黒煙に
「俺は戻ってきた。あの虹を、未来をつかむために」
「だ、だからって森を焼くなんてひどいよ!」
「別に木を燃やそうとしたわけじゃない――見ろ」
「え?」
突き出された指に釣られ、ヒタクの視線が焼け
「フソウの内部は、筒のように中心が空洞になっている。大昔、人類の祖先はここを通って天の頂から空の中へと降りてきたんだ。だからこれを逆にたどれば、シロニジへと至ることができる」
「じゃ、じゃあ普通に切ればいいじゃない。なにも燃やさなくても……!」
「始めはそうしていたさ。だが宿り木が思った以上に邪魔でな。手っ取り早く焼き払おうとしたら引火してしまった」
さすがに失敗だったという自覚があるのだろう。シグレは渋い顔をして目をそらした。だがすぐにかぶりを振ってヒタクを見据えると、力強い声で宣言する。
「ここまで来て足踏みなどしていられない。森の全てを灰にしてでも、俺は道を切り開く」
「そんな! ただでさえ今この森は大変な時期なのにっ!」
「知ったことか。森だろうが何だろうが、邪魔する奴は全て
「兄さん……!」
その自己中心的な物言いに、かつてない怒りを覚える。沸き上がる激情のままヒタクは叫んだ。
「あなたはいつもそうだ! 島を出るのも森を出るのも突然で、いきなり帰ってきて森を焼く! もういい加減にっ……」
煮え
「やめなさい!」
雷鳴とともに、鋭く
「言い争いなんてしている場合ではないでしょう。早く火を消さないと、調査どころではなくなる」
管理者は静かな口調でシグレを
「あなたも本当は分かっているのでしょう。この森の衰弱は、子供一人の力でどうにかなる物ではない」
大粒の雨が降り出す。
熱帯特有のスコールだ。
森へ叩きつけるように降り注ぐ水の
「これでまよくしてくれました。もう十分です。森を出て、新しい世界へ旅立ちなさい」
「っ……!?」
これまでになく低く冷めたその声音に、少年は言葉に詰まってしまう。
その一瞬が決定的だった。
「さよなら」
「あ、待っ……!」
姉が身を翻し、兄を連れて樹の
遠ざかる二つの背中を、白い雨が覆い隠した。
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