6-4 本当の気持ち

 それから、どのくらいの時間が経っただろう。ヒタクはうつろな足取りで森の中を歩いていた。


「……」


 どこをどう進んだのは覚えていない。ただ火の気のない、煙に巻かれない方向へと無心に歩く。もっとも、火災は調査隊の必死の消火作業と急な大雨によりほぼ沈静化していた。枝葉が焼け落ち青空ののぞく森の上を、残り火の警戒に当たる飛行船が横切っていく。


 だが今のヒタクにはどうでもいい。


 何かものを考える気力もないのだ。き出しになった木の根につまづくと、そのまま倒れこむ形で樹面へ腰を下ろす。それからしばらくの間、むせるような土と煙の匂いに身を任せていると、不意に明るい声が耳に届いた。


「あ、こんなとこにいた」


「……アヌエナ」


 のろのろと顔を上げると、少女が焼け焦げたシダの茂みを踏み分けながら近づいてくるところだった。少年の視線を受けて、彼女は肩に留まる朝焼け色のカラスをなでながらぼやく。


「ほんと大変だったんだからね。舟を降ろそうにも、火が燃え盛ってるから下手に高度を下げられないし、調査隊には騒がれるし、スコールで浮力が消えかかるし。この子が先導してくれなかったら、今頃どうなってたことか」


「ごめん……」


「本当にそう思ってるの」


 お腹にたまった鬱憤を吐き捨てるように言ってから、アヌエナはヒタクの前に立った。


「で、何があったの。カグヤさんの姿が見えないようだけど」


「えっと……」


 のろのろと口を動かし、単身で飛び出した後のことを説明する。


 調査隊を率いていたのが自分の兄だったこと。


 フソウの内部に白虹はっこうへ通じる空洞があったこと。


 姉に別れを告げられたこと。


 彼女は一つ一つに驚きながら聞いていたが、最後のくだりで怒りを見せた。


「そんな! それじゃわたしとの取引はどうなるのよ!」


「さあ……」


「さあ、じゃないでしょ!」


「ごめん」


「ごめんでもない! 大体、あんたは……!」


 怒りはいつしか説教に変わり、小言じみた怒声が延々とヒタクに浴びせ掛けられる。だがその内容は耳に入るも頭まで届かない。ぼんやりと聞き流しているうちに、少女は言葉でなく息を吐くようになった。


「はあ、はあ……ふう」


 ひとしきり叫んで落ち着きを取り戻したのだろう。アヌエナは腕を組むと、改めて少年の目を見据える。


「一つ確認しておきたいんだけど。お兄さんが森を出て行った時、どうしてあんたは残ったの?」


「え?」


「だから、どうしてあんたは森に残ったの? 故郷ふるさとを出た時は一緒だったのに」


「それは……姉さんに、恩返しがしたかったから」


「その本人に出ていきなさいって言われたのよね。で、どうするの。素直に出ていく?」


「……」


「あ、先に言っとくけど。わたしは後を追うわよ。対価をもらってないんだし。出ていくんなら六つ星の連中に同行させてって頼むのね」


 現実を突きつけられ、ヒタクはようやくものを考えられるようになった。


 これからどうするのか、どうしたいのか。


 自分の本当の気持ちは――。


「姉さんがそう言うなら仕方ないって思う」


「あ、そう」


「でも……!」


「ん?」


 拳を握り締め、内に閉じ込めていた思いを絞り出す。


「こんなお別れは嫌だ。どうして今になって兄さんが戻ってきたのか。姉さんがフソウを登ることを許したのか。分からないことだらけだし、それにお土産みやげだって渡せてない!」


「そっか。あんたらしいわね」


 アヌエナが優しく笑った。その笑みに応える形で、ヒタクは立ち上がった。


「よし。行こう」


 決意も新たに、少年は一歩を踏み出し――。


「って、ちょっとちょっと。どこへ行こうとしてんのよ!」


 少女に止められた。


「え? だから、姉さんを追い掛けに……」


「だからって真正面から行ってどうすんの。調査隊がうろついているのが見えないの?」


「でも、ほかに入口なんてないし」


「だからって正面から行く必要ないでしょうに」


 ヒタクの馬鹿正直な行動を、アヌエナは呆れながらいさめた。彼女は軽く首を振ると、話の仕切り直しに入る。


「一応確認するけど、中に通じる隠し通路とか亀裂とかは知らないのよね」


「うん。フソウにシロニジまで届く空洞があるって知ったのも今日が初めてなんだ。天人は樹の枝を伝って降りて来たって思ってたから、中もなにも……」


「そうね。わたしも漠然とだけどそう考えてた。でも今は内部を奴らに押さえられてることだし、そっちの方向から行きましょう」


「そっちって?」


「だから、外側を伝っていくのよ。フソウがシロニジに通じてるのははっきりしたんだから、表面に沿って上がっていけば必ず追いつける」


「上がるって……、それは無茶だよ。猿じゃないんだから。いや猿でも無理かな」


「別に木登りするわけじゃないわ。舟で昇るの」


「ああー」


 ようやくヒタクは納得した。確かに彼女の舟なら、フソウに沿って上昇できるだろう。


 だがそれでも、いくつか疑問が残る。


「でも、そんなに高く上がれるの?」


「ちょっと。わたしの舟を、その辺の風船と一緒にしないでくれる?」


「だけど君が昇る理由は……」


「あるわよ。このまま契約を反故ほごにされたんじゃ商売上がったりだもの。それに同じ風を浴びた仲じゃない。ここまで来たなら最後まで付き合うわ」


 思わぬ言葉をかけられてヒタクは感極まった。少女の両手を取って、心の底から叫ぶ。


「あ、ありがとう!」


「い、いや。別にお礼を言われるようなことじゃ……」


 急に顔を近づけられてアヌエナの頰に朱が差した。目をそらしてもごもごと口を動かした後、ヒタクの手を振り払って空を見上げた。


「って、こんな長話してる暇ないでしょ。早く白虹へ昇らなきゃ」


「あ、そうだね」


 話を本題に戻して、二人で白虹を目指す作戦会議を始める。


「一度空へ出ましょう。森から十分に離れたところで上昇すれば、あいつらの目も出し抜ける」


「あ。それだったらわざわざ遠くに離れなくても大丈夫だよ、きっと」


 少年が軽く請け負うと、少女は分かってないとめ息をついた。


「なに言ってんの。青空に舟が浮かんでたら一発で見つかるでしょうが。飛行船に追いかけられでもしたらお手上げよ」


「ってことは、雨空だったら見つからないよね。さっきのスコールみたいに土砂降りで真っ暗だったら」


「それは、まあ。あの大雨だったら見通しもほとんど利かないでしょうけど……」


 あくまで楽観的なヒタクを、アヌエナはなおも胡乱うろんそうに見つめた。


「なに? おまじないでもする気? あんたがわたしより天気を読めるわけないし」


「わけないって……。まあそうだけど」


 断言されるとへこむ。だが、そのまま話の腰を折られるわけにはいかない。ヒタクは気を取り直して続けた。


「でもこの森のことは君より詳しいよ。おまじないなんか必要ない」


「と、言うと?」


「あそこで雲が湧き上がってるでしょ。あれがスコールの前兆だよ。もう少しすると発達しながらこっちに流れてきて、そのままフソウにぶつかって雨を落とすんだ。それに紛れて出発しよう」


 説明を続けながら空を振り仰ぐ。


「フソウにいつも雲に覆われてるところがあるから、そこまで一気に上昇すれば下からは見えないよ」


「いつも雲に覆われてる? どこよ……あれ?」


 緑にあふれる熱帯の森と、青空に溶け込み色も形もぼやけるこずえ。その狭間はざまに広がる淡灰色の雲に目を止め、アヌエナは戸惑いの声を漏らした。


「あれって確か、初めて来た時もかかってたように思うんだけど……。もしかして、ずっとあのままなの?」


「そう。あれが雲霧林。決して晴れない雲と霧に包まれた森だよ」

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