1-2 伝説を追ってきた娘

「……お宝?」


 今度はヒタクの体から力が抜ける番だった。思いもよらなかった言葉を聞かされて、呆気に取られたのだ。


(お宝って……宝石みたいな? ここ、樹の上にできた森だから鉱物なんてないはずだけど……)


 素直に事実を教えてあげるべきだろうか。だが目的の地にたどり着いて瞳を輝かせている少女を見ると、夢を砕くようで気が引ける。はるか遠い空の彼方からやってきたことを思えば、なおさらに。


(まてよ)


 積み重ねる思考を養分に、芽吹いた不信感が育っていく。瞬く間に疑惑の蕾が開き、ヒタクにある可能性を見せる。


(お宝を狙ってきたっていうことはつまり……)


 彼女の目的は金目の物だということだ。閉ざされた世界で暮らす少年だったが、そうした人間のことを何と言うのかは知っていた。


「ひょっとして……君、泥棒?」


「なっ」


 少女が血相を変えた。自信にあふれた顔が一転、朱に染まる。


「どうしてそうなるのよ! 変な言いがかり付けないで!」


「だって、お金になるような物を取りに来たんでしょ?」


「そうだけど、別に人様の物を盗むつもりはないわ。わたしが探し求めているのは、大昔に持ち主がいなくなったお宝よ」


「大昔の宝物?」


「そう!」


「そんな昔の宝が遠い空の森にあるって、どうして分かるの?」


「絶対、って言うほどの確証があるわけじゃないわ。根拠といっても古い伝説なんだけど」


「伝説?」


「ええ。大昔、空に大地を浮かべた天人てんにんが世界樹に宝を隠したって話。聞いたことない?」


 確認するように問うてくるが、生憎あいにくヒタクは初めて聞いた。だが一口に伝説といっても色々だ。地域によっては、そうした伝承も存在しているのかもしれない。しれないが。


「でも、伝説なんだよね」


「そうよ。けどわたしは、例えおとぎ話みたいな内容でも、実は遠い過去の記憶が含まれているんじゃないかって思ってる」


「それが?」


「昔はどうだか知らないけど、今は天人てんにんなんてどこにもいないわ。それなら、持ち主のいないお宝を拝借したって誰も文句言わないでしょ。まさか、こんな空の果てに人が暮らしてるなんて思わなかったし」


「宝を目当てに留守を狙ってきたってこと? ……やっぱり泥棒!」


「だから違っ……て、あれ? 違わない?」


「とりあえず、一緒に来て。話ぐらいは聞くから」


「いやいやいや。おしゃべりなら、ここでもできるでしょ」


「お宝なんて知らないけど、フソウ……この樹に関することは、僕だけで決めるわけにはいかないもの。あのヒトに判断を仰がないと」


「げ! やっぱほかにも人がいるんだ」


 少女が嫌そうな顔を見せる。だが突然、彼女はあらぬ方向を指差しながら叫んだ。


「あ! あれはなに!?」


「え?」


「いまだっ!」


「え? あれ? ……あーーっ!」


 がさがさがさがさ。


 枝葉の揺れる音に振り向くと、少女を乗せた舟が森に突っ込んでいた。飛舟とぶねの浮力を弱めたのだろう。ほとんど落下に近い速度で舟底ふなぞこを樹面に叩きつけ、強引に緑の床を突破する。枝が折れて葉が落ち、花が舞い散った。


「なんてことを!」


 力押しで樹海に潜った舟を見て、ヒタクは怒りを覚えた。


「いくら逃げるためだって、やっていいことと悪いことがある」


 最近の空の森は、あちらこちらで樹木の衰弱が進んでいるのだ。彼女の操る飛舟とぶねが隠れた辺りはまだ健康だが、だからこそ、ダメージを受ければあとで深刻な影響が出てくるかもしれない。


「きっちり教えてあげないと。森は大切にって」


 少女の後を追って降下し、木々の間に潜り込む。


「どこ行った?」


 飛舟とぶねはすぐに見つかった。


 無数の枝をへし折り葉を散らし、下敷きにしながら新たな樹面に着地している。


 そして当然のように、少女の姿はどこにもない。


「でも、舟を捨てていくはずがない」


 彼女がどこからきたにせよ、帰るためには空を渡る翼が必要。


「と、すると……」


 この近くのどこかに隠れている。


 ヒタクはそう判断して、もう一度絡羽からばねを起動する。


「浮遊展――」


「隙あり!」


「え?」


 背後に生えた木の、太い幹の影から先程の少女が飛びかかってきた。飛舟とぶねの備品とおぼしきデッキブラシを振りかぶり、絡羽からばねに向けて叩きつけようとする。


「うわあっ」


「こうなったら作戦変更よ。あんたを人質に、お宝と交換してやる!」


「だから、お宝なんて知らないってば!」


 ヒタクは身をかわしながら宙に浮かび上がり抗弁した。だが襲撃者に聞く耳はないようで、返事の代わりに懐からロープを取り出し投げつけてくる。


「せいっ!」


「うわっ!」


 係留用の太い縄が足にからみつく。バランスを崩したヒタクは、少女を中心に弧を描くように旋回し、強力な遠心力でもって近くの木に激突する。


「いった」


 顔面からもろにぶつかり思わずうめく。背中の羽も落ちてきた葉っぱと接触し、甲高い悲鳴を上げる。故障してはいけないと停止させたところに、少女が襲いかかってきた。


「もらい!」


 縄を足で踏みつけてヒタクの自由を奪い、大上段に構えたブラシを振り下ろしてくる。


「うわっ!」


「大人しくお宝の場所を教えなさい! でないと痛い目見るわよ」


「だから、そんなのないんだってば!」


 頭上に迫り来る凶器を無我夢中でつかみ、どうにか相手の動きを封じる。だが空を渡ってきた少女の膂力りょりょくは強かった。受け止めてなお、ぎりぎりとデッキブラシが押し付けられてくる。


(うう、体勢が悪い。こんな無理な角度で飛んだら、またぶつかっちゃう……!)


 ヒタクは抑え込んでくる相手を受け流そうと、上半身だけ体をひねった。


 ――結果。


 つるッ。


「きゃっ」


 勢い余って少女がもたれかかってくる。


 押されて少年の身体が後ろに下がる。


 その先に樹面はなかった。


「あ」


 と言ったのはどちらだっただろうか。


「わあああああ!」


「きゃああああ!」


 森に悲鳴が木霊こだまし、空を貫く大樹から影が一つこぼれ落ちる。


 驚いた鳥たちが、枝々から一斉に飛び立った。

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