第二章 赤く色づく森で

2-1 青い空から落ちた先

 ズドン、と鈍いながらも大きな音がした。衝撃に驚いた蝶たちが群れをなして飛び去るが、したたかに背中を打ちつけたヒタクに気付く余裕はなかった。


「いたたた……」


 全身に痺れが走り頭が揺れる。体の痛みが引くまでは、しばらく安静にしていた方がよさそうだ。それでもせめて状況は確認しておこうと、ゆっくり首を巡らせる。


「あ……」


 見上げた空は赤かった。


 だが日はまだ高く、夕焼けが広がるような時間帯ではない。なにより、朱に染まっているのは天空の全て。蒼穹そうきゅうと呼べるような青は一筋も見当たらない。


「ああ……」


 いやな予感がひしひしとする。しかし現実から目をそらしても仕方がない。


 どうにか上体を起こして顔を前に向けると、緑豊かなはずの森は焼け焦げたかのように赤黒かった。


 それどころか、実際に大気が焼けるように暑い。真昼の熱帯雨林のほうが、まだしも涼しいとさえ思えるほどに。さらに気温とは別に湿度も高く、水の味がする空気に息苦しさを覚える。


 しかし植物にとっては快適な環境であることは、高く太く育ったシダの群生が証明している。空からの赤い光を浴びながら風に揺れる黒葉は躍動感にあふれており、その暗い色合いに反して生き生きとした印象を受ける。


 空も空気も樹木も何もかもが違う。自分が普段、見回りをしている森でないことは明らかだった。


「落ちちゃった、か……」


 ヒタクはもう一度、空を見上げて嘆息を漏らした。


(どうりで、暑いわけだ)


 空を高く、上に昇ると気温は下がる。


 ならば逆に低く、地面よりも下に降りればどうなるか。


 それは陸上に住む人間にとって無意味な問い。


 だが実際に空へ飛び出してみれば、気温の上昇という形で答えが現れる。


 同時に大気が厚く濃くなり、太陽光が強く散乱されて空全体が夕焼けのように赤くなる。


 自分は今、人々が暮らす標準的な高度よりも低い場所にいるのだ。空の色が変わるほど落ちて、よく五体満足ですんだと思う。


「……ん?」


 ふと視界にひっかかりを覚える。なんだろうと目を凝らすと、頭上のシダの枝に幅広の布地が引っ掛かっているのが見えた。


「あれは……」


 見覚えがある、というより自分が作ったものだ。絡羽からばねの背面から展開するパラシュートで、緊急時に開いて墜落を防ぐためのものだ。さらによく見ると、枝先から垂れ下がる形で絡羽からばね本体が揺れている。


 どうやら降下の途中であの枝にからまり、もがくうちに身体を固定するベルトが外れてしまったようだ。


「ああ。だから樹面に落ちたんだ……って違う。そもそも、どうして下の森まで落ちて来たんだっけ?」


 樹面に激突した影響が残っているのか、ヒタクの記憶はあいまいだった。まだくらくらとする頭を押さえ、状況を整理してみる。


1.空の樹へ少女が泥棒に来た。


2.彼女を捕まえようとして、逆に襲われた。


3.最後は力比べになり、二人そろって足を滑らせた。


(それで……そうだ。落ちる途中でパラシュートを開いたんだ)


 もつれ合う形で落下したため、下手に飛ぶと絡繰からくり仕掛けの翼の羽ばたきに彼女を巻き込んでしまう恐れがあったのだ。次善の道として降下を選び、下層の森に不時着……しようとしたところで木の枝に引っかかってしまった。


(あそこで無理に体勢を立て直そうとしたのは失敗だったな。人一人抱えながらベルトの調整なんて……って、そうだ。あの子!)


 一緒に落ちたはずの姿が見えないことに気付き、ヒタクは慌てて周囲を見回した。だが探すまでもなく、彼女は少し離れたところで自分と同じように転がっていた。


「ああ。無事だったんだ」


 良かった、と言えるほどの好意はないが、それでもほっとする。とりあえずは危機を乗り切ったと知り、ヒタクの心にも余裕が戻ってきていた。


(さて、どうするかな。まずは絡羽からばね回収して点検して……だめなら狼煙のろし上げて……まきがいる? いや、それは後でいいか。あの枝今にも折れそうだし、急いで回収しないと)


 次にとるべき行動を考えながら立ち上がり――。


「……あの子、どうしよう」


 途方に暮れる。


 理性は警戒するよう告げてくる。なんといっても、こんなところに来る羽目になった元凶だから。だが当の本人は、樹面を覆う腐葉土に横たわったままピクリとも動かない。


「……仕方ない」


 そのまま放置しておくわけにもいかず、ヒタクは少女に近づき声をかけた。

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