2-4 危難を逃れて

「この辺りなら大丈夫かな」


 大グモの襲撃を逃れた後。


 絡繰からくり仕掛けの翼を背負った少年は、視界の開けた場所に移動した。見通しが利くほうが警戒もしやすい。


 ただし、気温が尋常ではなく高いので日陰を選んでおく。さらに、周囲に一通り危険がないことを確かめると、ヒタクは少女へ笑いかけた。


「うん。周りに大きな虫はいないから安心していいよ」


「あ、ありがと」


 先程までの強気が嘘のような、しおらしいお礼が返ってきた。彼女は気まずそうに視線をそらしながら、自己紹介を始める。


「わたしはアヌエナ。飛舟とぶねであちこちの浮遊島を回って交易をやってる……まあ、商人みたいなもんかな」


 少女――アヌエナの素性を聞いてヒタクはようやく合点がいった。色々と聞きたいことあったが、その前に挨拶を返さないといけない。


「僕はヒタク。この森の番人をしてる……って、さっき言ったかな?」


「まあそうだけど、具体的に何してるの?」


「そのままの意味だよ。樹の管理とか花の世話をするんだ。と言っても、ほとんど真似事みたいなもんだけど」


「へえ。ずいぶんロマンチックなお仕事ね」


「そうかな? でも、宝探しだって結構ロマンにあふれてると思うけど」


「う」


「商人って言ってたけど、この空の森じゃ商売なんてできないよね。ということは、交易に出せるような品を探しにここまで来たってこと?」


「そうよ。でもまさか、先人がいるなんてね」


「え? いたらなにか不都合でも?」


「世界樹の探索が目的だったから、物々交換できるようなもの持ってきてないのよ。参ったな。手ぶらで帰るわけにもいかないし」


 アヌエナは当てが外れたとばかりに嘆いた。きっと宝島を見つけたと思ったら、そこは私有地だったという気分なのだろう。だが、ヒタクからすればそれは誤解だった。一人空を渡ってきた彼女の苦労を徒労で終わらすのも悪いと思い、基本的なことを説明しておくことにする。


「僕も君と同じく、よそから来た人間だよ。別にここで産まれたってわけじゃないから、僕に森の恵みをどうこうする権利はないんだ。仮に、フソウのどこかにお宝が眠っているとしてもね」


「あ、そうなの♪」


「でも、姉さんはずっと昔からここに住んでるから、なんて言うかは分からないけど」


「あ、そうなの……って、え? どういうこと? 姉が昔からいて弟がよそから来たって、ちょっと意味が分からないんですけど」


「ああ、ごめん。説明不足だったね。僕は七年前に空で遭難したんだ。それで運良く空の森の端に流れ着いたその時、元からこの樹で暮らしていた女性が助けてくれてね。それから、いろいろと面倒を見てくれているその人を姉さんって呼んでるんだ」


「あ、そうなんだ……」


 初めのうちは期待に目を輝かせた少女だったが、補足を聞くにつれて顔を曇らし、最後は失望したようにめ息をついた。


「もう。ぬか喜びさせないでよね。一瞬、あの森を全部自分のものにできるって思っちゃったじゃない」


「ご、ごめん?」


「仕方ないわ。そのお姉さんと交渉して……って、今絶賛遭難中じゃん」


 自分の置かれた状況を思い出し、アヌエナは打ちひしがれたように両手を樹面につけた。


 だがそれも、わずかな間のこと。


 パシッ。


「な、なに!?」


「これぐらいじゃ終わらないわよ。だてに独りで空を渡ってるんじゃないんだから」


 気持ちを切り替えるように己の顔をはたき、彼女は再び問いかけてきた。


「あなた、空飛んでたわよね。その背中のやつで」


絡羽からばねのこと?」


「からばね?」


「そう。僕の故郷ふるさとで、羽ばたき機のことをそう呼ぶんだ。たぶん『絡繰からくり仕掛けの羽』から来てるんだと思う。ゼンマイ仕掛けの翼だよ」


「羽ばたき機……。ってことは、さっきも鳥みたいに羽ばたいて飛んでたの? 滑空して揚力を得るんじゃなくて?」


 少女は未だ半信半疑というふうに、ヒタクの背中をしげしげと眺めた。前に進むための仕掛けと、宙に浮くための仕組みが一つになった機器が珍しいのだろう。たとえば飛行機ならば、プロペラと翼は別物だ。


「うん。僕の故郷ふるさとの島は資源が少ないから、できるだけ小型の航空機を造る必要があったんだ。だから燃料いらずのゼンマイ仕掛けで、上昇と前進を一対の翼でこなせる羽ばたき機が選ばれたんだって」


「ふ~ん」


 よその島の事情までは興味が湧かないのか、アヌエナは気の抜けた反応を見せた。しかしすぐに、ひらめいたとばかりに表情を明るくする。


「じゃ、さ。その羽でさっさと上まで飛んで行きましょうよ。こんなじめじめした森に長居する必要ないわ」


「ちょっと無理かな。ゼンマイじゃ、何千メートルも重力に逆らうには力不足なんだ。多分、途中で羽が止まるよ。巻き直しながら上昇し続けるのも難しいし」


「じゃ、どうすんの。またあの化蜘蛛ばけぐもに襲われたら……!」


「大丈夫。もうじき助けが来るから。それまでじっとして、大人しく待ってればいいんだ」


「ほんとに~?」


「うん。絡羽からばねの実験に失敗して、ここに何度か落ちたことがあるけど、その度に助けてもらった。きっと今回も大丈夫だよ」


「ならいいけど」


 力強く請け負うと、アヌエナはようやく落ち着きを見せた。それでも気分を入れ替えようとしてか、次々と別の話題を振ってくる。


「さっき故郷ふるさとがどうこう言ってたけど、あんたはこの森の人間じゃないの? ひょっとして、そのゼンマイ仕掛けの翼で空を渡ってきたってこと?」


「え? ああ、ごめん。説明が正確じゃなかった。僕は七年前に空で遭難して、フソウに流れついたんだ。この翼は、その後にここで造ったの」


「へ?」


絡羽からばねって、本当は気球よりちょっと小さいぐらいの乗り物なんだ。でも羽ばたき機として飛ぶ原理は同じだから、これも『からばね』って呼んでる」


「ちょ、ちょっと待って。ここで造ったって、どういう……」


 がさり。


 不意に、背丈ほどもあるシダの草むらが揺れた。


 反射的に目を向けると、そこには大きな赤い影。


「わ!」


「どうしたの……って、ええっ!」


 巨大カマキリだ。


 その背は見上げるほど高く、後ろに続く腹部も大人が数人乗れそうなほど太い。さらに掲げるように構えられた刃の腕は、さきほどの大グモも一振りで仕留めてしまいそう。


 だが瞳のないその眼が見つめるのは、虫ではなく人間だった。


「な、ななっ」


「危ない!」


 驚愕のあまり呆ける少女を庇うのと、カマキリが飛びかかってくるのは同時だった。


(駄目だ、これじゃ……!)


 羽が展開するより先に、カマキリの刃の餌食となる――。


「クワァ――ッ」


 頭上に迫る死の前に、朱色のカラスが割り込んできた。鋭いくちばしを巨大昆虫へ向けて突進する。


 ひゅんっ、と風切音が鳴ったかと思うと、カマキリの背中が折れ曲がった。


 その強烈な一撃は、続けて巨体を支える四本の脚を挫くのに十分だった。赤い森を大グモと二分する怪虫が、地に腹をつくようにくずおれる。


「え、なに。なんなの?」


 事態の急変について行けず、アヌエナが目を白黒させている。だがヒタクは、二人の命を救ってくれたのが誰なのか知っていた。


「ヤタ!?」


「クァ」


 朝焼けの色をまとった鳥が少年の呼びかけに応える。仕留めた獲物に興味はないようで、軽くはばたいてこちらへ飛んできた。その黄色がかった朱色の羽を見て、アヌエナが驚きの声を上げた。


「うっわ! 派手なカラス……カラスよね? やっぱこの森じゃ、鳥も赤いの?」


「ううん。この子は……」


「ヒタク」


 少女に説明しようとしたところに、第三者の声が割って入ってきた。明るく軽やかな声音が、つい先ほどまで満ちていた重い空気を追い払う。


「あ!」


「今度はなにっ!」


 少年はその聞き覚えのある声に喜ぼうとしたが、少女の反応の方が早かった。二度も死を目の前にして過敏になっているようだ。


 アヌエナは声のした方向へ勢いよく振り向き、そして戸惑うように言った。


「……今度は誰?」


「いけませんよ。こんな危ないところへ女の子を連れて来ては。デートなら、もっとロマンティックな場所へ誘いませんと」


「姉さん!」


「はい」


 少年の安堵に満ちた声に、宙に浮いた女性は優しく微笑んで応えた。

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