2-3 森の主との遭遇
彼女はすぐに見つかった。
木々の合間に張られた網に絡め取られ、空中でもがいている。
「いけない!」
クモの巣だ。
大型化した虫たちを捕獲する、さらに巨大な森の主による網細工。
「あ~もうっ! なんでとれないのよ。このっ。このっ!」
身をよじらせるうちに巻きついてしまったのだろう。少女は細い糸に手足を何重にも縛られ、身体の自由を奪われている。さらに危険なことに、樹の枝先から当の罠を仕掛けたクモが姿を見せている。
緑の森で慎ましやかに暮らす同類とは桁が違う、人間の頭をリンゴのように丸齧りできるほど大きな
「こ、来ないで。来ないでよぅ……」
少女が弱々しく叫ぶ間にも、この赤い森の頂点に立つ主は人の背丈の倍ほどもあるある巨体を揺らし、八本の脚を糸に絡めることなく静かに歩み寄っていく。その感情の映らない八つの眼は、身動きのとれない獲物だけを見つめていた。
(間に合え!)
ヒタクは一気に高度を下げた。
クモの第一脚が振り下ろされる寸前に、横合いから飛び込む。素早く少女を抱き抱え、粘り付く糸が追いすがるように伸びるのも構わず飛び離れた。
「よし……あれ?」
間一髪で割り込むことに成功。
だが、思ったよりもスピードが出ない。
「お、重い」
本来なら軽やかに飛べるはずの
〈――!〉
森の主も、せっかく掛かった獲物を見逃す気はないようだった。ふらふらと力なく飛ぶヒタクを仕留めるべく動きを早める。
「わっと」
「きゃあっ!」
「あ、危なかった……」
耳元で鳴った風切り音でとっさに身体をひねり、どうにか回避するのに成功した。だがクモの爪が目と鼻の先をかすめた少女にとっては、とても安心できるものではないのだろう。手足を封じられたまま、彼女は激しくもがく。
「やっ。やだ! また捕まっちゃうっ!」
「大丈夫。これ、運動性に優れてるからそう簡単には捕まらな……わとと。だからちょっと大人しくして……っと」
「そそ、そんなこと言われたって……きゃっ。い、今かすった。ちょっとかすったっ!」
「だから大丈夫……わっ」
少女を落ち着かせようとする間にも、鋭い爪が何度も迫ってくる。ヒタクはその生きたを、ぎりぎりでかわしながら逃げ道を探した。
(このまま振り切るのは無理……タイミングを見計らって上に飛んで、クモの脚が届かない高さで体勢を直して最大速度で逃げよう)
「ちょっと、来るわよ!」
「え?」
いつの間にかクモがすぐ近くにいた。
意識が思考に沈んだわずかな間に、距離を詰められたのだ。ヒタクの眼前で
「ふわあああ!」
もはや考えごとをする余裕などない。自分でもよくわからない悲鳴を上げ、ヒタクは無我夢中で飛んだ。だが、少女にねっとりと絡みついた糸は未だに振り切れない。このままではゼンマイが切れて、翼の羽ばたきが止まってしまう。
「あとちょっとなのに!」
もう動きが鈍るのを承知で、バネに動力を
ぎりぎりの決断を覚悟した、その時。
ぷつん、と小さく音がした。
「わ!」
「な、なに!?」
日頃の行いが良かったのか、それとも運か。
獲物に食らいつこうと前に出たクモの爪先が糸を踏み付け、かえって引き千切る形でヒタクたちを解放したのだ。
「ひゃあ」
「きゃ」
一瞬の合間に束縛が解かれ、
ゼンマを巻き、レバーをひねる。
「
羽を支える木組みが開き、歯車が組み変わる。増幅された渦巻きバネの力を受け、まだ生きている二枚の翼が空気をねじ伏せ、かき分ける。
羽ばたきの速さは落ちたが強さは増したのを肌で感じながら、ヒタクは森の主に別れを告げた。
「残念。僕らは餌になりに来たんじゃないんだ。ほかを当たって」
「た、助かったの?」
少年の腕の中で、少女が信じられないというように呆然と呟いた。
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