青く輝く惑星(ほし)で

朝倉 畝火

序章 大空の漂流者

0 小さな冒険者たち

 大昔、天人てんにん白虹はっこうから降りてきた。


 空に浮かぶ島々には、そんな伝説が伝わる。


 長い年月を経て天人はいなくなったが、蒼穹そうきゅうには今も白い虹が弧を描いている。


 ずっと南天に架かるそれが、本当に虹なのかは分からない。


 だが底なしの空に大地が浮かぶこの世界。


 大人たちはそういうものだと思って、特に気にしていなかった。


 いつの時代も、お伽話を本気にするのは子供たち。


 ある日、とある浮島うきじまに住む兄弟がゼンマイ式のプロペラを備えた気球に乗り込み、天人てんにんが降りたであろう虹の先を目指して旅立ち――そして遭難した。


―――――――――――――――――――


「通り雨だと思ったんだがな。まさか、雲と一緒に流されてんのか」


「う~」


 雨天を漂う気球の中、まだ少し幼さの残る少年が厳しい目で灰色の空をにらむ。その隣に、こちらは本当に幼い子供が座り込んでいた。


「もうシロニジの真下まで来たと思うんだが……。こう曇ってると、なにも分からん」


 白虹はっこうを追い求めた兄弟は、故郷から遠く離れた南の空で雨雲の歓迎を受けた。


 気球を打つ雨はぬるく、寒くはない。むしろ熱帯の空気と相まって蒸し暑いぐらいだ。


 この気温ならば気球の皮――球皮を膨らませる炉の炎が消えることはないだろう。


 しかし、まだ余裕があるのは乗り物の方で、乗員二人には限界が近づいていた。


「おなかすいた……」


「もう少し我慢してくれ。食料も残り少ないんだ。計画的に食べないと、あっという間になくなっちまう」


「うう……」


「クァ」


 弟が嘆く気力もなくぐったりしていると、どこからかカラスがやってきた。


 南方の固有種らしく、黒ならぬ赤みを帯びた黄色い翼を羽ばたかせている。


 雨空をさまよう幼い子供が気になったのか、気球のゴンドラまで来ると優しく鳴いた。


「クァー」


「うん、大丈夫。心配してくれてありがと」


「あ? なんだって?」


 半ば独り言のようなカラスへの返事に、兄が怪訝そうな表情を見せた。だが弟は気にせず、会話を続ける。


「南の空は太陽がまぶしいけど、カラスさんの羽まで明るいんだね……」


「は? お前、さっきから何言って……」


 ついに弟が幻覚を見始めたのかと焦る兄。だが彼は、ゴンドラの縁に止まる色鮮やかな鳥を目にすると笑みを浮かべた。


「しめた!」


「兄さん?」


「この近くに陸地があるぞ。いくら鳥でも、雲に住んでるはずがないからな」


「ほんと?」


「よく周りを見てろ。運が良ければ雲の間から見えるかも」


「うん!」


 兄の興奮につられ、弟も元気を取り戻す。小さな冒険者は勢いよく立ち上がると、ゴンドラから身を乗り出すようにして水のとばりに覆われた大気に頭を出した。


「……あれ?」


「見つけたか!?」


「雲が上に流れてる。風が下から吹いてるのかな?」


「なに?」


 雨に霞む灰色の塊を指さしながら言うと、兄が怪訝な顔をしながら寄ってきた。だが弟が示したものを目にした瞬間、血相を変える。


「……ありゃ雲が流れてるんじゃない。気球が降下してるんだ!」


「ええっ!?」


「いつからだ? いや、そんなこと考えている場合じゃない何か手は……ええいっ! この際だ、残ってる錬炭は全部使ってやる!」


「に、兄さん!?」


「陸地を見つけるのが最優先だ。雲の上に出れば切れ間も探しやすいだろ」


「なるほど」


 にわかに騒がしくなる気球。


 炉に灰白色の鉱石が投げ込まれ、炎が勢いを増していく。熱せられて膨らむ空気を受け、しぼんでいた球皮が張りを取り戻す。


「よし。俺はこのまま火の勢いを維持するから、お前は周りを見ててくれ!」


「わかった!」


 狭いゴンドラの中を慌ただしく動き回る兄と弟。


 そんな二人の姿を、朝焼け色のカラスはただじっと見つめていた。だが気球が上昇を始めると、空の客は一声残して雲の中へ帰って行ってしまった。


「カァー」


「あっ……!」


 反射的に引き留めようした弟が手を伸ばす――と、払われたかのように雲が薄れた。


 しかしそこに広がるのは、青い空ではなかった。


「ふえ?」


「なんだ?」


 頭上高くで、空を隠すようにして樹々の枝葉が広がっていた。雨雲に目隠しをされている間に、どこかの浮島うきじま近くへ流されたらしい。蒼々あおあおと茂った葉の隙間から目映まばゆい陽光が降り注いでいる。延々と続くその緑の天幕は、まるで果てが見えなかった。


「うわあ。すっごく大きな森だね。島からはみ出てる」


「……でかいのは森だけじゃないみたいだぜ」


「え?」


「ほら、あそこ」


 怯えをふくんだ声で、兄はゴンドラの下に広がる雨雲の向こうを指さした。


「?」


 釣られて視線を深い空に転じる。


 すると、青く霞む大気に横たわる黒い影が目に入った。


「あれって……」


 下側でも森らしきものが広がっている。その先を追ってさらに視線を動かせば、はるか遠くで垂直に伸びる影。


「ふわあ……」


 木漏れ日にあぶり出されるように揺らめくそれは、まるで一本の巨大な樹のようだった。こずえの向こうにそびえる先は濃い霧に包まれ見えないが、ひょっとしてあの中でも森が広がっているのだろうか。


「すげー……」


 兄はすでに影から視線を外し、頭の上に大きく広がった枝に注目している。枝、といってもその太さは尋常ではなく、一本一本が幹のようだ。さらには無数に広がる枝葉が重なり合い、葉っぱのステージまで成している。


 それはまるで、緑色の大地を裏側から見ているかのような光景だった。


「ひょっとして……。この森は浮島うきじまみたいな陸地じゃなくて、あの樹の枝の上に広がっているのか?」


「そんな……」


 二人が空の森に見とれている間にも気球は上昇を続け、陽光を遮る葉っぱの屋根に突っ込む。枝の網に捕らわれゴンドラが揺れる。


「っと。大丈夫か?」


「うん。ありがと……」


 弟は支えてくれた礼を言おうとするが、当の兄に慌てた声で遮られた。


「やべ。からまった!」


 揺れた拍子に、ゴンドラを吊り下げているロープが細い枝を巻き込んでしまった。のみならず、とがった枝先が気球の皮に突き刺さる。


「兄さん! 球皮に穴が開いちゃうよ!」


「後でふさぐ。それより火を消さねえと!」


 兄は弟の叫びを一蹴して炉を閉めた。間一髪で枝に火が燃え移るのを阻止し、気球もろとも炎に包まれるのを防ぐ。


「ふう。あぶね……うおっ!」


「わあっ!」


 炎上はどうにか防げたが、今度は浮力を失った気球が落下を始めた。


 しかし天の加護か運命の皮肉か。


 樹に絡め取られているおかげで墜落は避けられた。


 ひとしきり枝葉を揺らし、ゴンドラは転倒することなくどうにか止まる。


 そこは立体的に重なる緑の舞台の最下段だったが、太くしなやかな枝は余裕で訪問者を受け入れた。


「……よし。着地成功」


「着地って……。どうするの、これから」


「カア、クァー」


 弟の問いに重ねるように、こずえで先ほどのカラスが鳴く。


 歓迎か、それとも警告か。


 ひとしきりさえずった後、カラスは黄色い翼を羽ばたかせの差す緑の向こう側へと消えた。


「くそっ。馬鹿にしやがって、あのカラス!」


「ま、待ってよ、兄さん。今はそれどころじゃ……」


 ない、という言葉は続かなかった。全身から力が抜け、足元がおぼつかなくなる。


(あれ。なんか体が転がってるような……)


 弟の視界がぐるりと回り始めた、その時。


「こっちね、ヤタ?」


「クヮ」


 かさり、と枝葉を揺らす音ともに、人とカラスの話し声がした。やや高めの声だが、落ち着いた話し方からして大人だろう。


「誰だ!」


(あ、よかった。誰かいたんだ……)


 警戒を露わにする兄とは対照的に、人がいると知った弟は緊張を緩め――そのまま意識を失った。


――――――――――――――――――――


 七年後。


 幼い兄弟が漂流した空を、今度は一そうの舟が航行していた。


 大小二つの船体を横木でつなぎ、三角の帆を掲げた双胴のカヌー。


 重力に逆らい風をかき分け、目指すは天高くそびえる大樹。


「やった! ついに見つけたわ。蜃気楼しんきろうなんかじゃない、本物の世界樹!」


 舟を操る少女が興奮して叫んだ。


天人てんにんが残したお宝は、このわたしが頂くわ!」

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