第五章 緑の島

5-1 降り浮く舟

「うわあ」


 湖上の風景は圧巻の一言に尽きた。


 水面にきらめく日差しが波間に揺れ、宝石の欠片かけらのようにはじけている。そこへ色鮮やかな水鳥の群れが急降下してきたかと思えば、あっという間に獲物をくわえ飛び去っていった。わずかに遅れ、鋭くとがった牙が突き出される。


「い、今のなに?」


「ワニよ」


「へえ!」


 初めて訪れる土地、初めて見る景色、さらには初めて出会う生き物たち。


 新しい体験の連続に、ヒタクは目を輝かせた。


 だが少年が高揚を覚えている間にも、空の旅は次の段階に移る。


「さあて、いよいよ着水よ」


「着水? 着陸じゃないの?」


「ふっふっふ。この飛舟とぶねは、飛行船みたいな名ばかりの船とは違うわ。ちゃんと水に浮いて、川を航行することもできるの」


「? 別に川に降りなくても。そのまま普通に着陸すれば」


「せっかくの舟なのよ。なら水上航行もできた方がお得でしょ」


「そういう問題?」


 少年には今一つ理解しかねる理屈だったが、どうやら詳しく聞いている暇はないようだ。少女が軽く肩をすくめて地上を指差す。


「ま、このメリットについては後で説明してあげるわ。それより見張りお願い。下にほかの舟がいないかどうか見ててくれる」


「うん。分かった」


 指示に従い、ヒタクは地上を見ようと舟縁ふなべりに寄った。


 一方、アヌエナは降下作業に入る。


「よっ」


 操作台のレバーを引き倒し、かまどの蓋と煙突の口を閉める。


 カタン。


 小気味のよい音とともに燃焼室が密閉され、酸素の尽きた火が消える。


「消火よし。お次は……」


 再びレバーを操作、舟の高度を下げるべく浮きの換気にかかる。排気筒を確認すると、普段は黒く立ち昇る煙が白くなっていた。


「あれ? ……ってそうだ。まきじゃなかったんだ」


 世界樹の管理者のにこやかな笑みを思い返しつつ操帆に移る。と、その弟が慌てた声で呼びかけてきた。


「アヌエナッ、湖が近づいてくるよ!」


「そりゃそうでしょ。降りてるんだから」


 素っ気なく返事をしながらも、彼に気付かれないよう小さく苦笑した。確かに、足の下から音もなく接近してくる地上は迫力がある。初めてならなおさら圧倒されるだろう。


(わたしもそうだったからね……)


 幼少期、親に連れられて来た時のことだ。


 アヌエナがほんのわずかに思い出に浸っていると、当時の自分が発したのと全く同じ疑問が聞こえてきた。


「で、でも大丈夫なの? 水にぶつかったりしない?」


「はいはい。心配しなくても大丈夫よ。それより岸の方にも気をつけて。たまに鳥が飛んで来たりするから」


 帆綱を手繰り寄せながら指示を出す。


「ああ、もう。こっちをあいつにやらせればよかったわね」


 神経を使う作業の中での会話に、ついぼやきが口をついた。実のところ、風をさばいて船体が傾かないようにするための作業なので、素人に任せられる仕事ではないのだが。


「さあて、こっからが正念場よ……。風よし。進路よし。角度よし」


 位置エネルギーを運動エネルギーに変えながら、双胴の舟が空中を滑り降りる。見る見るうちに小波さざなみの立つ湖面が間近に迫る。


「うわぁ」


 ヒタクが感嘆の声を上げた。高速で流れていく湖畔の景色に見入っている。すっかり見張りを忘れてしまっているが、どのみち水面すれすれまで来れば必要ない。それとは別に、アヌエナは彼に注意を促した。


「着水するわよ。衝撃に気をつけて!」

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