6-7 空を探る
きぃこきぃこと音が鳴り、静かに漂う霧雨に溶けていく。それを受けて伴奏でもするかのように、無数の滴がヒタクの額を打つ。
(……なんだろう。あの奥で誰か聞いてるみたい)
謎の構造物に何者かが潜んでおり、即席の合奏に耳を澄ませているのではないか。そんな妄想にとらわれていると、舟が揺れてアヌエナが小さく叫んだ。
「おっといけない」
「どうしたの?」
「火力の調節をミスったのよ。周りが雲ばっかりで、高度の変化が分かりづらくて」
「確かに。ちょっと殺風景だよね」
同感だとうなづいたヒタクだが、そこであることに気付いた。かつてカグヤから聞かされた話が確かなら、空を行く乗り物には必須のものがあるはずなのだ。ところがそれが見当たらない。
「……高度を測る道具ってないの?」
「そんなの邪道よ。自分の身一つで空を渡ってこそ、一人前の舟乗り!」
「へえ!」
彼女は
「すごいや。さすが
素直な感嘆を口にするが、褒められた本人は顔を真っ赤にした。わたわたとしながら前言を撤回する。
「ごめん。調子に乗りました」
「え?」
「本当は単に必要がないだけなのよ。そりゃあったら便利だけど、うちの島に
「
むしろ空の旅の必需品ではないのか?
ヒタクが疑問を顔に浮かべると、彼女はもう少し詳しい事情を教えてくれた。
「
言われてみれば確かに、彼女の仕事は交易なのだから空高く昇る必要などない。障害物を見つけてから高度を調節すれば十分だ。舟の装備と操作を必要最低限に絞っているから、一人で空を渡ることができるのか。
ヒタクがそんなことを考えていると、不意にアヌエナが微笑んだ。
「そういう意味じゃ、あんたにお礼言わなきゃね。わたし、こんな高さまで昇ったの初めて。本音を言うと少しわくわくしてるんだ。こんな機会、そうあるもんじゃないし」
「そ、そうだね」
「ま、やっぱりこの寒いのには文句つけたいけどね」
少女特有のやわらかな表情にヒタクはどきりとした。だが彼女の方は少年の動揺に気付かず、最後におどけるように笑って空に視線を戻す。
「それより、見て。薄日が差してきた。もうじき雲が晴れるわ」
「うん」
つられてヒタクも、舟を包み込む白い空を見た。純白の雲は冬を思い出させ、空気も体が震えるほどに冷たい。寒さに文句を言いたいという彼女の言葉にも賛成したくなる。
(もう少し暖をとれないかな)
などと考え、舟の双胴をつなぐ炉台に目をやり――。
「あ! アヌエナ!?」
驚きの声を上げた。
「ん? なに、どうしたの?」
「火っ、火が消えかかってる!」
「え? うそっ!」
雲中の水滴を吸ったのか気温の低下にやられたのか。
炉で燃える炎の勢いがすっかり弱まっていた。周囲が白一色で判別しづらいが、すでに降下を始めているかもしれない。
「ああもうっ。この根性なし!」
炉の中を確かめ悪態をつくアヌエナだったが、やるべきことは忘れていなかった。火勢を取り戻そうと燃料を追加し、火吹き棒で空気を送り込む。
「ふう~。ふう~っ」
「あ。火の勢いが戻った……」
ピシッ。
ヒタクが
「なに? 何の音?」
「やばっ。排気管が裂けた!」
アヌエナの顔が青くなった。
炉で熱せられた空気を浮きの飛晶に送る管。冷たい雨に濡れながらも熱い風を通し続けていたそれが、内と外の温度差に耐えきれなくなり継ぎ目から割れてしまったのだ。
状況を理解できないヒタクは、おろおろと声を上げるしかない。
「え! 何で?」
「疑問は後! その辺につかまりなさい!」
「つ、つかまれって? え?」
「早く!」
「うん!」
叱り飛ばすような指示で、どうにか
つかもうとした。
「わ!」
突然体が軽くなったように感じ、ヒタクはバランスを崩してよろめいた。伸ばした手が
「しまった!」
アヌエナが
管の割れ目から浮きに冷気が入り込み、彼女の思っていた以上に飛晶の生み出す浮力が小さくなっていたのだ。支えを失い、舟が急降下を始める。
「わわっ」
「ヒタク、これっ!」
あわや舟から放り出されるというところで、帆柱にしがみついていたアヌエナが帆綱を投げ渡してくれた。それを無我夢中でつかんだヒタクは、手繰り寄せるようにして彼女の元へ向かう。
「あ、ありがと」
「お礼なんて後よ。早く体勢を立て直さないと……きゃ!」
高度を下げ続けていた
「いたたた……」
「今度はなによ……」
「もう地上に着いたとか?」
「んなわけないでしょ……。って、そうか。さっきの骨組み!」
「あ!」
その
「どう?」
「あ。そこ、崖になってる」
「うわ! あっぶな~。あとちょっとずれてたら空の底じゃない」
二人の乗った主船のすぐ側で、青い奈落が口を開けている。どうやらうまい具合に空中建築の上面、それも端に不時着したらしい。思いがけない幸運の来訪に感謝しつつ、副船側の確認に移る。
「そっちは?」
「なんか白いみたいだけど……」
霧の雨は静かに空を去ったようだ。わずかに残っていた雲も薄い
染み一つない、白銀の平原が。
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