7-2 先に進む理由

「うっん」


 昔の夢を見た。


 おそらく、自分が思い出せる中では最も古い昔の夢。


 今まで意識することのなかった、長らく忘れていた記憶。


 そう自覚すると同時に、なぜか涙が出た。


「大丈夫? どこか痛いの?」


 横合いから声がかけられた。誰だと思う間もなく、ヒタクが心配そうな眼でこちらをのぞきこんでくる。そこでようやく、アヌエナは自分がベッドに寝ているのだと気付いた。


「うん……」


 頭を動かすと、枕元にある机の上で朝焼け色のカラスが羽繕いをしている。視界に映る簡素な部屋の様子から、彼女は自身の置かれている状況を理解した。


「また……、あんたに助けられたのね」


「え?」


「ここまで運んできてくれたんでしょう」


 身を起こしながら感謝を伝える。すると、少年は困った顔を見せた。


「ああ、いや。僕も助けられたんだ。それにまたって言われても、あの時赤い森から連れて帰ってくれたのは姉さんだし」


「でも、あの怪物みたいな虫から助けてくれたのはあんたでしょ……ん?」


 彼らしい控えめな物言いに引っかかりを覚える。


 『僕も助けられた』ということは、助けてくれた誰かがいるということだ。あの雲の上の雪原に、一体誰がいたというのだろうか。


(六ツ星の調査隊? 子供が倒れているのを見つけたから保護したの? いや、まさか。あいつらはフソウの中からシロニジに向かっているんだし、わざわざ外に出てくるはずが……)


「大丈夫? なんだかつらそうだけど」


「平気よ。ちょっとクラっとしただけ」


 起き抜けで頭が重く、思考がうまくまとまらない。先に意識をはっきりさせようと額を押さえていると、思わぬ言葉が耳に届いた。


「引き返そう。これ以上は危険だ」


「……なんですって?」


「アコナワの昔話だと、天人は空に降りるためにシロニジのたもとから梯子はしごを降ろしたことになってるけど、本当にそうだった。フソウは天と空を結ぶ道なんだ。シロニジまで行っても天人の家があるぐらいで、お金になるようなお宝があるとは思えない。君がこの先に進む理由はないよ」


 ヒタクはそう言うが、商売に携わる者からすれば十分に進む理由になる。空の伝説を証明する物品ともなれば、たとえ日用品でも高値が付くだろう。


 しかし今は、業界の実情など大した問題ではない。


 アヌエナは自分の感じた疑問を解消するため口を動かした。


「じゃあ、あんたはどうするのよ? お姉さんを追いかけるんじゃなかったの?」


「うん。だから一度君を飛舟とぶねまで送ってからまた戻るよ。なんなら舟の補修を手伝ってもいい。僕のわがままに君が付き合う必要なんてないから……うわ!?」


 ぼそぼそと言葉を紡ぐ少年の胸倉をつかむ。そうしてそのまま、息のかかるほど顔を近づけ言ってやる。


「ないから? だからウラネシアに帰れっていうの。わたしの命、そんなに安くないわよ」


「え?」


「わたしは商人よ? 死にかけたところを二度も助けてもらっておいて、なんの借りも返さないなんてありえない。きっちり最後まで付き合って、負債を帳消しにしないといけないの」


「ふさい?」


「だ~か~ら! わたしの命を救ってくれた分あんたのやることを手伝ってあげるって言ってんのっ! 先に進む理由だとかわがままだとか、そんなつまらないことは気にしなくていいから! あんたはカグヤさんに追い付くことだけを考えてなさいっ!」


「う、うん」


 一息にまくし立ててやると、ヒタクはようやく理解できたようにうなづいた。そしてわずかに首を傾けると、至近距離のまま微笑む。


「ありがとう」


「ふふん。分かればよろし……って!」


 密着したままだったことに気付き、アヌエナは顔を隠すようにしながら身を引いた。だがそのとっさの反応が、かえって少年の注意を引いてしまった。


「アヌエナ?」


「へ? あ、ああ。別にお礼なんかいらないわよ。これはわたしが好きで……じゃなくて商売の義務としてやること! 借りを返してるだけなんだからっ!」


「いや、そうじゃなくて。ほんとに大丈夫? 顔がまだ赤いけど」


「ももも、もちろんよ。外へ出れば熱なんかすぐに引っ込むわ。……だからお願い。あんまりひっつかないで」


 動悸どうきがするのは病み上がりのせい。


 少女はそう思うことにした。

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