3-3 管理者の告白

「すごっ……」


 樹の上の露天風呂は絶景だった。


上空では宵闇の濃い紫にいくつかの星が瞬き、三つの月が下空を照らす。そして浮かび上がった雲海の黒いうねりは遙か彼方の空平線まで続き、切れ間に稲光がのぞいたかと思うと遅れて重低音が鳴り響く。


「下は雨のようね。降り出す前にあなたたちを連れ戻せて良かった。いくら赤の森の気温が高くても、濡れたままだと風邪をひくもの」


 カグヤがほっとしながら呟くが、アヌエナは聞いていなかった。目を丸くして、眼前に広がる宵の空に見入っている。


「ほへ~」


「どうしました?」


「や、すごい眺めだなって思って」


「そうですか? 地平線ができるような広い大地ならともかく、浮島うきじまなんかだと普通の景色だと思いますよ。それにあなたは、カヌーでここに来たのではないですか?」


「まあそうなんだけど。空を独りで旅してたら、こんな風にのんびりできる状況なんてそうそうないわ。迂闊に身を乗り出したりしたら、大空に真っ逆さまだもの」


 現在位置を確認するために星を観測するぐらいで、とてもではないが夜景を楽しむ余裕などなかった。日が暮れるとカヌーの底に身を委ね、張り詰めた心を休めて明日に備える。それが彼女の夜の過ごし方だった。


「それにわたしの住んでる島はほとんどが平地だから、風よけに木を植えてて下空はあんまり見えないの」


 そう説明しつつ、アヌエナは改めて目の前の女性を見る。


(すごいのはこちらも、だけど……。ほんと、きれいな肌)


 世界樹の管理となると、一日のほとんどを日に当たって過ごさなけらばならないように思える。だがその透き通るような表面には、日焼けあとはおろか染みの一つもない。目につくのはせいぜい、筋のようなラインだけ――。


「……ん?」


 初めは目の錯覚かと思ったが、違った。彼女の肩や手首の周りにかけて、薄く細い線が走っている。髪の毛ほどの太さもないが、白い肌にはよく目立つ。


「なんなの、その、タトゥーみたいな線。ファッションにしては地味だけど?」


「ああ。これですか」


 指摘すると軽い笑みが返ってきた。管理者はそのまま、何でもないことのように続ける。


「これは、私の体の継ぎ目です」


「へ?」


「実は私、人形なんです」


「はい? 人形って、あの人形?」


「その人形です」


 ですからこんなこともできます、と言う言葉は聞こえなかった。彼女の見せる背中が光り、二対の翼が広がる。飛沫しぶきを散らして四枚の羽が淡い輝きを放つ。自分を赤い森から連れ出してくれた、あの羽だ。


「それ、背負ってたんじゃないんだ……」


「はい。ヒトの肩甲骨に当たる場所に発振機が組み込まれていまして、電磁力と重力を媒介する粒子の振動――」


「いや。分からんし」


「つまりは光の翼を持った人形です」


 アヌエナのぽかんとした声に軽く応じた後、カグヤはいたずらっぽく付け加えた。


「ですので、そんなに意識する必要なんてありませんよ。女の子ですから、つい気にしてしまうのは分からないでもないですが、造り物に張り合ってもただ虚しいだけでしょう」


「な、ななな、なんのことかしら?」


「さあ。なんのことでしょう?」


 そのころころと笑う姿はおしゃべりに興じる女性のそれで、どう見ても人間だ。造り物めいた感じなど一切しない。とてもではないが口で言われて納得できるものではなく、じかに確かめたくなる。


「ちょっと触ってもいい?」


「どうぞ」


「じゃ、失礼して……」


 わりとあっさりお許しが出た。少女は湯船を泳ぐように進むと、人形を自称する女性の肩や腕をぺたぺたと触っていく。


「うわー、すべすべ。でもやっぱり、人肌とは違うのね。中が詰まってるって言うの? 固くはないけど堅いって言うか張りがあるというか……」


「そうかしら」


「そうよ(なでなで)」


 吸いつくような肌触りに、むしろ人工の物だと納得できる。その癖になりそうな感触に、アヌエナはつい夢中になった。


「ああ気持ちいい(さわさわ)」


「あ、あの。アヌエナさん?」


「んー。なに(ふにふに)?」


「その辺りで勘弁願えると嬉しいのですが」


「え(もみ)?」


 頭上からの戸惑った声で我に返る。そして自分の指が今、彼女のどこに触れているのか理解した。


「きゃああああっ。ごご、ごめんなさい!」


 謝りながら飛びのくと、風呂のお湯が跳ね上がった。その慌て具合がおかしかったのか、カグヤは苦笑しながらフォローしてくれた。


「いえ、まあ。触ってもいいと言ったのは私ですから。謝る必要はありませんよ」


「そ、そう? ならよかった~、なんて。あ、あははは……ごほん。それで――」


 気まずさを愛想笑いでごまかし次の話題に移る。納得はできたが、疑問はむしろ深まった。この様子なら全て答えてくれるだろうと判断し、アヌエナは正面から問いをぶつけることにした。


「あなたが人形っていうのは、まあいいわ。でもそれなら、誰かに造られたってことよね。一体誰?」


「ココを造った……と言いますか、ウラネシアの伝説に合わせて言うと、空に大地を浮かべた人達です」


「ここを造った? そりゃ伝説じゃ『天人が天から星の欠片を降ろして空に浮かべた。それが大地の始まりだ』ってなってるけど……世界樹は種を空の底にまいたんじゃなかった? あ。ひょっとして、空の向こうで生えてたのを持ってきた?」


「まさか。フソウも最初から大きかったわけではありませんよ。それこそ、始まりは小さな一欠片です。この空のセカイは、人が手を加えることで大きくなったのです。種をまいて終わり、というわけにはいきません」


「そっか。なるほど」


 確かに、自然に成長した木ならばもっとほかにあってよさそうなものだ。だが、山に肩を並べる巨木さえ噂にも聞いたことがない。ましてや天をも貫く大樹となると、後にも先にもここだけだ。


「もっとも、この森は人の手を離れて長いですけどね」


「伝説になるぐらいだもんね。……ん?」


 相槌あいづちを打ったアヌエナの脳裡のうりに光りが灯る。世界樹が天人の手によって大きくなったというのはつまり、伝説は確かに過去の事実を伝えていたということだ。となると、あれが成功する可能性も高い。


「じゃあさ。この樹を登っていけば!」


「ええ。白虹はっこうにたどり着けます」


「よっしゃあああ!」


 幼い頃から追い求めてきた夢が今、頭上にある。そう思うと居ても立ってもいられず、アヌエナは湯船から立ち上がり叫んだ。


「もうすぐだわ。もうすぐお宝がこの手の中に!」


 興奮しながら天を仰ぐ。するとその様子をどう見たのか、カグヤはにこやかな笑みを浮かべながら問いかけてきた。


「登りたいですか?」


「もちろん!」


「では、取引しましょうか」


「ええ! ……へ?」

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