3-2 お茶会、あるいは話し合い
広場のように開けた樹面に、空の森の避難小屋はある。ちょっとしたコテージようなこの小屋は木造だが頑丈で、空でも一二を争う脅威である
問題は、こんな大空のど真ん中に誰が建てたのかだが、管理者に聞くとカグヤ本人だという。幼いヒタクは単純にすごいと思ったが、兄のシグレは納得しなかった。
『昔フソウで暮らしてた天人じゃないのか? 天から降りてきてすぐ空に散らばったわけじゃないんだろ』
『まあ、そうですけど。でも彼らがここにとどまっていたのは遅くとも千年前です。この小屋も多少古びてはいますが、そこまでではないですよ』
『じゃあ、あんた一人でどうやって建てたって言うんだよ?』
『妖精さんに手伝ってもらいました』
『ほんと!?』
『こらヒタク、急に押すな!』
『フソウの上層、雲よりも高いところにはまだ残っているんですよ。天人のお手伝いをしていた妖精さんが』
『へえ!』
『んなバカな……』
夢のある答えに当時の自分は興奮したが、今思えば兄が正しかった気がする。しかし自分が空を飛びたいと思い始めたのはこの頃だ。
――――――――――――――――――――
「まあ。ウラネシアからわざわざ? それは大変だったでしょう」
「や、それほどでも……。って、そうだ! わたしの舟は?」
「はい。ちゃんと安全な場所に置いてありますよ。久方ぶりにここを訪ねて来てくれた、お客様の舟ですから」
一通り落ち着くと、女性二人はコテージのテラスでおしゃべりに興じ始めた。ヒタクも同じテーブルでお茶を飲みながら、それとなく耳を傾ける。
(久方ぶり……。そうだね、僕と兄さんがフソウに流れついて以来だもの)
彼女は遭難ではなく、自らの意思でたどり着いたことは少し意識した。しかしそれ以上に、ヒタクは少女が独り空を渡ってきた事情が気になった。
(確か、普段から空の行き来が盛んなところだったっけ?)
昔、兄から教えてもらった話を思い出す。
ウラネシア。
天空の島々を意味するその名の通り、無数の島々が浮かぶ広大な空域。
そのほとんどが自給自足の難しい小さな島で、そのためかえって往来が活発で活気にあふれているという。日々の生活は島と島の間で行われる交易によって支えられており、人々は積極的に空の向こうへと旅立つのだ。
(この子もそうして暮らしているのかな? でもなにも、ここまで来なくても……)
おそらく、あの双胴のカヌーで物資を運ぶのだろう。
だが交易が目的なら、既知の空路を行けばいい。
一体、こんな空の果てまで来る必要はあるのか。
不思議に思ううちに、いつしかヒタクは少女の話に聞き入っていた。
「雲がわたしを呼んでいる。風が背中を押してくる。ずっと同じ空をぐるぐる回ってなんかいられない。そうしてわたしは
「まあ。素晴らしい心意気です」
(ああ……そうか)
自分の知らないセカイを目指す。
それはかつて、幼い兄弟が大空へ飛び出した理由。
未知への好奇心からこの空の森を訪れた、というのならば理解できるし納得がいく。
(『わたしの狙いはお宝はよ』っていうのは驚いたけど)
赤い森での出来事を経て、少年には彼女が悪い人間に見えなくなっていた。
もっとも、警戒心より好奇心の方が
「今日一日で色々とあって疲れたでしょう。続きはお風呂に入ってしませんか? 疲れと一緒に、汗も流せますよ」
「お風呂! そんなのあるの!?」
(……んん!?)
アヌエナが目を輝かせたが、ヒタクは焦りを覚えた。いくらなんでも、裸の付き合いというのは気が早すぎるのではないか。
「はい。と言っても、最低限の設備しかない簡単な……」
「ちょっと、姉さん!」
「はい? どうしたんですか、ヒタク。あ、もしかして一緒に入りたいの?」
「あんた……」
「ちがっ」
ヒタクは冷たい目線を向けてくる少女の誤解を否定しようとしたが、姉の方が早かった。やんわりと的外れな説教をしてくる。
「駄目ですよ。もう子供じゃないんですから。お風呂ぐらい一人で入らないと」
「うわーその歳で」
「ちが、一緒に入ってたのはもっと前――」
「あ! 私じゃなくて、この子と?」
「えええっ!」
「そんなこと一言も――」
あらぬ疑惑を次々と掛けられる。ヒタクは必死で潔白を主張するが、なぜか女性陣の会話にかき消された。
「そう。ヒタクもそんな年頃になったのね」
「わたしだって相手は選ぶんですけどー」
「僕だって――」
「まあ、そう言わずに。まじめでいい子ですよ。少し鈍感ですが」
「鈍感はよけ――」
「それって結局、特になにもないってことじゃない?」
「でもいざという時は、頼りになりますよ」
「それは……まあ。でも全体的になよってしてない?」
「まだ成長期――――」
「そこが可愛いんじゃないですか」
「えー。それは分かんないかなー」
「ああ! 反論が追い付かない」
完全に本題からずれている。ヒタクは二人の間に口を挟むことを諦め、思い切って実力行使に出た。
「そうじゃなくて!」
どん、とテーブルを叩く。するとようやく、こちらに注目してくれた。
「ヒタク?」
「なによ、いきなり」
おしゃべりの邪魔をとがめるような視線が二つ、少年の目に突き刺さる。
だがここで引くわけにはいかない。
これは大事なことだから。
「姉さん」
「なにかしら」
「その子と一緒にお風呂ってことは、姉さんのことも知られちゃうんじゃない?」
「そうなるわね」
「そうなるわね……って。今日初めて会ったばかりの相手だよ」
このフソウの管理者は特別な存在だ。お互いの抱える事情を説明しあうにしても、もう少し彼女の人柄を見極めてからの方がいいのではないか。
ヒタク自身は関係しないものの不安が残る。だがカグヤは柔らかに、しかし断固とした口調で言った。
「大丈夫。そんなに心配しないで」
「けど……」
「姉さんを信じて、ね?」
「でも……うう……」
「んん?」
姉弟のやりとりの意味が分からず、客の少女は首をかしげながらぬるくなったお茶に口をつけた。
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