5-6 空を渡る理由(少年の場合)

「僕の故郷ふるさとはここよりずっと北の空の、アコナワの小島なんだ」


「アコナワ! また随分遠くから来たのね」


 温帯気候に属するその島々は、小さいながらも豊かな緑を育んでいた。四季を通じた降水に加え、大陸から吹く偏西風が栄養に富んだ土埃つちぼこりを運んでくるのだ。


 空が水と肥料を無償で届けてくれていると言ってもいい。雨風の恵みを受けた島々は毎年の豊作が約束されていた。さらに天空交易の中継点という地の利を活かし、大いに発展を遂げるアコナワ。だが、それでも問題は起きた。


 人口が増え過ぎたのだ。


 どれだけ豊かな土地であっても、限られた広さの中では養える人数にも限界がある。少年の故郷は、島の懐からあふれ出てしまうほど住人が増えたのだ。結果として、島での生活は忍耐を強いられるものとなる。


「お金がどうこうより、もう物理的に我慢しなきゃいけないんだ。二世帯三世帯同居なんて当たり前だし、定期便が止まると外からの食糧も止まってね。島で採れる食材だけじゃ全員のおなかは満たせないから、一つのおかずをみんなでってことも……」


「それはまた……」


 話が進むにつれて少女の眉間にしわが寄った。彼女にも共感できる部分があるのだろう。理解してもらえることを嬉しく感じながら、ヒタクは説明を続けた。


「でも島中親戚みたいなものだから。僕もそれが当たり前だと思ってた。けど兄さんは違った」


 もはや島に人を抱える余裕はなく、自分が家庭を築く頃には破綻する。むざむざ閉ざされた未来を迎えるぐらいなら、開かれた空に飛び出した方がいい。


 少年の兄は、そう思い詰めるほどに生まれ育った地を抜け出したがっていた。


「いつか絶対、シロニジ……あっ、僕らの島じゃあの白い虹をそう呼んでるんだけど、つかんでやる。それが兄さんの口癖だった」


「虹をつかむ?」


「そう。『シロニジには天人が残した叡智えいちが眠る』。アコナワにはそんな言い伝えがあるんだ」


「へえ。それって、ウラネシアに伝わる『世界樹の頂に隠された天人の宝』と同じものかしら」


「そうかもしれないね。どちらも空の上まで行かないといけないから」


 二人一緒に高く澄んだ空を仰ぐ。深い青を貫くように輝く白い筋を見上げながら、ヒタクは昔語りを続けた。


「けど当時の僕たちは、空の樹の存在までは知らなかった。でも確かにシロニジは空に架かってるから、天人の叡智えいちも本当にあるに違いないって兄さんは疑わなかった。それである日、とうとう兄さんは白い虹を目指して家を飛び出したんだ。幼い弟を連れてね」


「目指すって、具体的にどこへ?」


「ここ。クロロネシアだよ。とりあえず虹の真下に行こうってことで、家にあった気球に乗って島を出たんだ」


「家にあった? アコナワでも飛晶が取れるんだ」


「ううん。熱気球」


「へ!?」


 空をまたいだ交易に携わる彼女にとっては思考の外だったのだろう。目を丸くするアヌエナに、ヒタクは事実を淡々と教えた。


「空気を温めて浮いて、ゼンマイ式のプロペラで移動するの。って言っても飛晶は張ってないから、行き先は大まかにしか決められないけど」


「それ、島の見回りとか観光に使うやつでしょ。間違っても空を渡るものじゃないわ」


「そうだね。出発して二、三日は行けるかもって思ってたんだけど、一度嵐に巻き込まれるともうだめ。どこを飛んでるのか、どこへ飛んでいいのか分からなくなっちゃった」


「よく生きてたわね、あんた」


「うん。ほんとに」


 しみじみと言われるが同感だった。『島を出ればどうにかなる』というのが子供の発想だったのだ。だが浅慮に基づいた行動は、最後の最後に幸運を引き寄せた。


「空を漂ってたのはどれぐらいだったかな。水も食料もなくなって、もうどうしようもないってところでフソウ……君の言う世界樹に流れ着いたんだ」


「おお!」


「で――」


 現在に至る、と少年は昔話を終えようとした。だが、少女の方はすっかり話に引き込まれていた。身を乗り出すようにして続きをせがんでくる。


「それでそれで?」


「それでって?」


「やあね。流れついておしまいってわけじゃないでしょう、水も食料もないんだから。サバイバルはここからが本番じゃない」


「サバイバルって……」


 ヒタクとしてはちょっとした身の上話のつもりだったのだが、思った以上に食いつかれた。しかし自分が空の樹にたどり着いた経緯は、これで全てなのだ。距離を詰めてくる瞳にたじろぎつつも、興奮する彼女をどうにかなだめにかかる。


「悪いけど、そんな展開ないよ。気球が樹の枝に引っかかったところを姉さんに助けられたから」


「あ、そういえばカグヤさんっていう管理人がいたんだったわね。見回りでもしてたの?」


「実はその辺りの記憶は曖昧なんだ。漂流で疲れがたまってて、僕はそこで寝ちゃったから」


 そう言いながらも、ヒタクは幼い日に見た光景がまぶたに映るのを自覚していた。少女の問いに釣られ、意識の底に沈んでいた思い出が脳裡のうりに浮かび上がってくる。


「雨雲が晴れた後で、大きな樹が空の底から上まで伸びてたのは今でもはっきり覚えてるんだけどね」


「でしょうね。わたしも初めて世界樹……フソウ? を見た時のことは一生憶えてると思うわ。雲一つない大空の直中ただなかに、天を貫く巨大な影が浮かび上がってくるんだもの。鳥肌立っちゃった」


 アヌエナも過去を反芻はんすうするように、自身の腕をさすりながら遠くを見つめた。そうしてしばらくの間、二人の周りに静寂が訪れる。次に会話が動いたのは、ヒタクがタロ芋の蒸し焼きを食べ切り一息ついたころだった。


「最初の質問の答えがまだだったわね。結局お兄さん、一人だけ帰っちゃったの?」


「帰ったていうのかな。姉さんが追い出した……っていうのもなんか違うし」


「はっきりしないわね。あ、ひょっとしてカグヤさんと喧嘩でもした?」


「喧嘩、なのかな? いまいちよく分からないんだけど……」


 どう説明したものかと、少年は過去に埋もれた記憶を掘り返した。

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