7-10 譲れぬ思い
鬼ごっこを名目にロボットと騒ぎを起こし、調査隊をコントロールルームから引き離す。同時に、カグヤの部下でもあるロボットと距離をとる。
アヌエナの立てた作戦は成功し、隊員たちを広いステーションの中に分散させることができた。しかもそのうち何人かは、地上に送り返せてまでいる。
「ふっふっふ。上手くいったわね」
「そ、そうだね」
「どうしたの?」
「や、なんか地上と勝手が違って」
背中に負うバネ仕掛けの羽と格闘しながら、ヒタクはアヌエナの問いに答えた。
ここ、空の上では重力が働かない。
そのため
「侵入者と聞いてまさかと思ったが……ここまで来るとはな」
「兄さん!」
通路の先にシグレが浮いていた。一瞬、ヒタクは飛び掛かりたい衝動に駆られるが、ここで下手に動くと体がどこに流れるか分からない。背に負う翼を軽く震わせて静止し、改めて思いの丈をぶつける。
「兄さんこそ、どうして戻ってきたの? アコナワを離れる時も、空の森から出ていく時も、閉じた世界で一生を終える気はないって言ってたのに」
「
「じゃあ別に森を焼く必要なんてないじゃない! 森は空で遭難した僕らを助けてくれたんだよ!」
湧き上がる気持ちのまま叫ぶが、兄は鼻で笑った。
「忘れたのか? 白き虹をこの手につかむ。それが、俺達の見た夢だ。目指したのは森じゃない。だだっ広い
「そんなっ……!」
幼少期に家を出たヒタクにとって、空の森は第二の故郷といえる場所だ。それを
「ここで言い争っても仕方ないでしょ。あんたが探してるのはお姉さんなんだから」
ともに空を旅してきた少女が、少年を諭すように言葉を続ける。
「カグヤさんを探しましょ。どうして自分の管理物を破壊するのを許したのか、重要なのはそこでしょう」
「行かせると思うか」
兄が前へ進み出る。宙を滑り近づいてくるが、ヒタクは避けず、背中のレバーに手を掛けた。
「行くよ。僕ももう子供じゃない。なにも疑わず連れ回されてた頃とは違うんだ」
「ふん!」
返事はなかった。シグレの腰からサバイバル用のナイフが突き出される。鋭い刃が
より正確には、ゼンマイ仕掛けの羽の付け根を。
一本の牙となった白刃が突き立てられる、その直前。
「強行展翅ツノカブト!」
ヒタクは
「なに!?」
腕に伝わる強力な振動に耐えきれず、シグレがナイフを手放した。しかし宙に浮いた状態では受けた反動を抑えることができない。その大柄な身体は、クルクルと回転しながら通路の角へと流れていく。
「ちっ」
壁にぶつかる直前、シグレは両手両足をつくことで勢いを殺し、全身で衝撃を受け止めた。そしてすぐさま、次の攻撃を放とうとナイフを構える。
対するヒタクは、体勢の保持を放棄した。羽ばたきを停止し、手早くゼンマイを巻きながら羽の角度を変更。最大限に巻いたバネを改めて解き放つ。
「いっけえええ……!」
「ぐおっ」
「でやあああっ!」
回転の勢いが十分に乗ったところで、ヒタクはシグレを投げ飛ばした。重力の働かない環境下、完全に平衡感覚を失った彼は
「く、くそ……」
「行こう」
悔しさにうめくシグレから視線を外し、見守ってくれていた少女と朱色のカラスへ声を掛ける。そうして兄に背を向けた、直後。
「お前は、カグヤをこのまま森に縛り付けておく気か?」
「え?」
思わぬ問いが投げ掛けられ、ヒタクは反射的に顔を戻した。だが頭では理解が追い付かない。しかし自ら故地を飛び出し、大空を巡る少女は違った。アヌエナが手を打って口を挟んでくる。
「あ! ひょっとして、お兄さんはカグヤさんを空の森から連れ出したかったの? でもあのヒトは自分の務めに忠実で、決して外に出ようとしない。だから六つ星にフソウのこと教えて――」
「まってまって」
独り納得する彼女に、ヒタクは口早に問うた。
「どうして姉さんを連れ出すのに、よその国の力を借りるのさ?」
「管理者が別にいればカグヤさんはお役御免でしょ。でもこんな大きな建物……建物よね? 点検するだけでも大変でしょうし、国みたいなしっかりした団体じゃないと、維持しきれないわ」
「それは……そうかもしれないけど」
天に架かる
そう理解はできたが納得はいかない。自身の感情を整理できないでいると、再び背中に声が掛かった。静かな決意を秘めた兄の声が。
「そうだ。俺は、あいつを解放したいんだ」
その言葉で、これまで抱いてきた疑問が一つにつながった。
なぜ自分は森の外に出されたのか。
なぜ森から出た兄が帰ってきたのか。
なぜ姉は調査隊を受け入れたのか。
「そういうこと……」
小さくつぶやいてから、ヒタクは物憂げな表情で兄と向き合った。
「誰かの力なんて借りなくても、近いうちに姉さんは解放されるよ」
「……どういうことだ?」
「この空の樹は、フソウはもう長くないんだ」
「なんだと?」
「今日、明日の話じゃない。だけどあと何年かすれば、フソウの幹そのものが死んで森を支えきれなくなる」
「それは外壁に生い茂った木だろう。フソウ本体は天人が空に降りるための塔……」
「じゃあどうして、幹を焼いたら中に入れたの? 壁がないことに疑問を感じなかった?」
「それは……」
「外壁に宿り木が根付いて侵食したんだ。鋼鉄の壁が樹の皮に取って代わられたんだよ。きっともう、全体がぼろぼろになってる」
調査隊にとっても、森を焼いたのは失敗だ。フソウの弱体化が早まれば足場となる樹面も雲霧林の先にある広場も崩壊し、結局は拠点となる足場を失うのだから。
「枝の一部はもう枯れ始めてる。そのせいで、樹面から養分を吸収できなくなった
「な、んだと……!」
信じ難い、信じたくないという感情が兄の顔面を覆う。だが弟は、努めて冷静に事実を突き付ける。
「帰って来た時に気が付かなかった? 空を舞う花びらが異常に多いことに。草や木ができるだけ種を実らせようと必死になってるんだ。森の母体であるフソウが崩れる前に、少しでも多く子孫を残そうとして」
どこかの国の力を借りても、結局は無駄に終わる。その事実を告げると、シグレの全身から力が抜けた。これまで積み重ねてきた努力を否定され、しかし反論もできない兄はうつろな瞳でただうめく。
「そんな……あいつは一言も……教えてくれればずっと側に……」
平衡感覚が回復しないことも相まって、シグレはその場から動けなくなった。
「兄さん……」
痛みを含んだヒタクの声が、無機質な通路に散った。
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